「三人斬り岩」と鉄道工夫の叫び 第6話:汽笛の下に眠る声(終)
作者のかつをです。
第十五章の最終話です。
罪悪感を一生背負い続けた一人の男の、最後の巡礼。
そして、近代化の礎の下に埋もれた声なき声への、鎮魂の祈り。
そんな思いを込めて、物語を締めくくりました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
何十年という歳月が流れた。
佐吉も、すっかり腰の曲がった老人になっていた。
彼は、港町で小さな家庭を築き、孫にも恵まれ、穏やかな晩年を送っていた。
しかし、彼の心の奥底からあの日の記憶が消えることは、決してなかった。
夜、眠りにつくと、今でも夢に見る。
血に染まった仲間たちの顔と、監督の狂気の目を。
ある晴れた日のこと。
彼は、息子に手を引かれ、生まれて初めて「汽車」というものに乗った。
自分たちが、かつて命がけで敷いた、あの山陽本線である。
汽車は、信じられないほどの速さで田園風景の中を走り抜けていく。
佐吉は、車窓から見えるそのあまりにも平和な景色に、ただ呆然としていた。
やがて、列車は見覚えのある山間へとさしかかった。
瀬野の、あの急峻な谷間だ。
「じいちゃん、もうすぐだぞ。あれが、有名な三人斬り岩だ」
孫が、指さした。
その言葉に、佐吉の心臓が大きく跳ねた。
車窓の向こうに、あの忌まわしい岩壁が現れた。
何十年ぶりかに見る、その姿。
岩肌は、あの日のまま赤黒く、まるで血の跡のように見えた。
その岩壁の真下を、汽車は何事もなかったかのようにけたたましい汽笛を鳴らしながら、通り過ぎていく。
その、一瞬。
佐吉の耳にだけ、聞こえた気がした。
汽笛の音に混じって、聞こえてくる懐かしいあの声が。
「なあ、佐吉。神戸の、西洋料理、食いに行こうや」
辰夫の、おどけた声。
「佐吉さん、無理は、するなよ」
三郎の、優しい声。
涙が、あふれてきた。
とめどなく、あふれてきた。
俺は、生きている。
お前たちの夢見た、この平和な時代を生きている。
お前たちの、命の上で。
「じいちゃん、どうしたの? 泣いてるの?」
孫が、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「……いや、なんでもねえ。目に、ゴミが入っただけだ」
佐吉は、そう言って涙を拭った。
そして、もう一度過ぎ去った岩壁の姿を、瞼の裏に焼き付けた。
忘れない。
決して、忘れない。
この便利な暮らしの枕木の下に、お前たちの声なき声が眠っていることを。
汽笛が、長く、長く谷間に響き渡っていた。
それは、まるで名もなき工夫たちの魂を弔う鎮魂歌のように、佐吉の耳には聞こえていた。
(第十五章:枕木の上の鎮魂歌 了)
第十五章「枕木の上の鎮魂歌」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
「三人斬り岩」の伝説は、私たちに問いかけます。
私たちが当たり前のように享受しているこの便利な社会が、一体どのような犠牲の上に成り立っているのか、と。
この物語が、そんなことを少しだけ考えるきっかけになれば幸いです。
さて、近代化の暗い影の物語でした。
次なる物語は、少し趣向を変えて、この土地に眠る神秘的な伝説の世界へとご案内します。
次回から、第四部が始まります。
**第十六章:川の女神は見ていた ~河内神社と瀬織津姫の秘密~**
瀬野川のほとりにひっそりと佇む、河内神社。
そこに祀られている謎多き女神、瀬織津姫。
彼女の視点から、この土地の悠久の歴史を見つめます。
引き続き、この壮大な郷土史の旅にお付き合いいただけると嬉しいです。
ブックマークや評価で応援していただけると、第四部の執筆も頑張れます!
それでは、また新たな物語でお会いしましょう。




