「三人斬り岩」と鉄道工夫の叫び 第5話:見て見ぬふり
作者のかつをです。
第十五章の第5話をお届けします。
今回は、事件がいかにして闇に葬られ、そして「伝説」へと姿を変えていったのか、その過程を描きました。
語られることのない歴史の裏側で、何が起きていたのか。想像していただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その夜、佐吉はタコ部屋には戻らなかった。
彼は、夜の闇に紛れてひたすら東へと歩き続けた。
もう、ここにはいられない。
ここにいては、自分もいつか殺されるか、あるいは人殺しになってしまう。
数日後。
彼は、隣国の備後の港町にたどり着いた。
そして、自分の素性を隠し波止場の人足として働き始めた。
彼は、二度と瀬野の地を踏むことはなかった。
そして、あの日の出来事を誰かに語ることもなかった。
それは、彼の心の奥底に深く重く封印された、忌まわしい記憶となった。
一方、瀬野の工事現場では。
消えた三人の工夫と一人の監督のことは、すぐに闇から闇へと葬り去られた。
会社は、彼らを「逃亡」として処理した。
警察も、それ以上深く捜査しようとはしなかった。
タコ部屋の人足が数人いなくなったところで、誰も気にも留めない。
それが、この時代の現実だった。
工事は、何事もなかったかのように再開された。
新しい監督がやってきて、新しい工夫たちが連れてこられた。
そして、彼らもまた同じように過酷な労働を強いられ続ける。
ただ、一つだけ変わったことがあった。
あの岩壁の前で作業をする工夫たちは、誰もが口を噤み、その場所を恐れるようになったのだ。
「あの岩には、斬り殺された三人の工夫の怨念がこもっている」
「夜になると、岩が血の色に染まってすすり泣く声が聞こえるそうだ」
そんな、不気味な噂が囁かれるようになった。
人々は、いつしかあの岩を、「三人斬り岩」と呼ぶようになった。
それは、見て見ぬふりをされた悲劇の、ささやかな、しかし消えることのない記憶の証だった。
真実を語ることができない者たちが、その無念を噂という形でこの土地に刻みつけようとした、必死の抵抗だったのかもしれない。
鉄路は、伸びていく。
文明開化の輝かしい光は、西へ、西へと進んでいく。
しかし、その枕木の下には、佐吉のような生き残った者の罪悪感と、そして死んでいった者たちの声なき声が無数に埋もれていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
このような、労働現場での事件が公式な記録として残ることは、ほとんどありませんでした。しかし、その記憶は民話や伝説という形で、その土地の人々の間にひっそりと語り継がれていくことがしばしばあります。
さて、罪悪感を背負い生き続けることを選んだ佐吉。
彼の物語は、どこへたどり着くのでしょうか。
次回、「汽笛の下に眠る声(終)」。
第十五章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




