表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻(とき)吸いの魔女  作者: かもライン
愛しの人を、赤ちゃんにしてしまったら
9/20

after 2 産後健診

「はい。えと、総務課の方お願いします。そうですか、あの岡倉健太の身内の者ですが、昨夜からかなり高熱出しまして、今は寝込んでいます。それで、念の為抗体検査しましたら陽性が出まして、ええ、コロナの。はい」

 優子は、健太の会社の始業時間が近づいてきたので、欠勤の電話をかけていた。


「あ、はぁそうなんですか、社内規定で。5日間って事は、やはり年末最後の出勤日もダメですよね。そうしましたら次は年始開始日の、1月5日ですか? 分かりました」

 その電話している優子の会話を、健太も聞きながら不安そうな顔をしている。

 百合子もボンヤリと、お茶を飲みながら聞いている。


「ええ、はい。ではそのように部署の方にもそちらから連絡入れて貰えますか? 業務の確認? あ、でもまだ本人かなり悪いようで。あ、もし必要でしたらこちらにかけて頂ければ。あ、番号そちらに出ていますか? はいそうです。私、春風優子と申します。では、すみません、よろしくお願いします」

 優子は携帯電話を切った。


「どうだった?」

 百合子は一応聞いてはみるが、まぁ優子の言葉を聞いているだけでも特に問題はなさそうに感じている。


「とりあえず有給で受理されたから、年明けの初出勤の日まで猶予は出来たわ。それまでに退職までのシナリオを完成させなきゃ」

「あ~」

 健太は心配そうに声をかける。


「まぁ仕事上問題があっても、現場で何とかするしかないんじゃない? ややこしいから健太くんのスマホは電源切っておきましょ」

「そうね、こっちに電話かかってきても、何の対応も出来ないしね」

「うう~~」

 健太は何とも、もどかしい。


 今、特に問題ある案件は無い筈。だが、細かい内容の打合せとか出来ないのが辛い、と言う。

 とはいえ、優子と一緒に職場に乗り込んで、通訳して貰いながら引継ぎなんて事も、正直現実的ではない。


 やっぱり電話も、直属上司とか部署とかではなく、総務で良かった。優子もさらっと身内であると切り出せ、細かく関係を聞かれなくて済んだ。聞かれたら、同居やら同棲やら言えば良かったのだろうけど、こちらの細かい事情や問い合わせされても、すぐには答えにくい。


 コロナも騒動の時は色々と困ったが、こんな時の言い訳に使うには便利だった。

 もはやコロナも落ち着いて、もはやインフルエンザと同程度の認識になったが、インフルエンザは家庭での検査薬が一般的ではないので、1回で説明できるコロナを理由にする方が手っ取り早かったのだ。(※1)


    ☆


 でもって、その健太の会社の総務/経理室。

 小さい部屋には、机が3つづつで島を作っている。

 総務部と経理部で分かれているが距離はすぐ近くなので、普通の声で話は出来る。


 今その部屋には、その電話を受けた総務の女の子と、隣の島の経理部に年配の女性の2名しかいない。時間が早いから、まだ出社していないのだ。


「え~っと」

「どうしたの?」

 電話を切った総務担当の女性に、経理担当のお局OLが尋ねた。


「あの、倉岡さん、コロナで高熱出してお休みの連絡ありましたので、次回の出社は社内規定で年明けになりますと説明していたんです」

「あ~……」

 お局OLは、微妙に困ったなぁの反応。


「収まったかと思ったけど、まだあるんだねぇ。部署への連絡は?」

「ええ、総務からして下さいと依頼。本人寝込んでいるみたいで」

「え、じゃあ今の電話は誰から?」

「あの、身内の方みたいで、女性ですけど」

「ん、まぁ!」

 お局は、その話に喰いついた。


「誰か、家族とか来ていたのかしら」

「あの、一応連絡先も聞きました。姓も違って『春風』さんって」

「ま~ま~まぁ! 倉岡くん、彼女とかはいないって言っていたけど、看病してくれる彼女とかいるのね!」

「やっぱりそうかな?」

「あ~、ひょっとして倉岡くんの事、狙ってた?」

「え~、そんなんじゃ無いです。でも、何かショック」

「まぁ、休み明けに、問い詰めちゃおうかね」

 健太自身は、全くモテていないと自己評価していたが、意外と隠れファンはいる様な雰囲気である。



 優子は、百合子が書き出したメモというか必要事項をチェックしている。

 一つ一つ、クリアしないといかないと、と。


・出生届(母子手帳)

・婚姻届け(本籍・姓)

・会社への報告(欠勤報告、退職・年明け?)

・実家への報告(年明け?)

・赤ちゃんグッズ揃える(正式な抱っこ紐・A型ベビーカー・衣類・ミルク・食器)

・健太(死亡?・失踪?、捜索願い出す? 年明け?)

・アパートの掃除・解約


「うぉあ~、あうっ」

「え、そうなの? あ、でも家賃と同様に自動引落なのね。じゃ、しばらく何もしなくても大丈夫ね。ええ、落ち着いたらね。放置はしないから」

「えー、何ってー?」

 ちょっと離れたところで百合子はノートPC操作しながら聞いてきた。

 こういう以心伝心も、ちょっと離れていると聞き取りにくいらしい。


「あの、健太くん、愛車あるんだって。軽だけど。でも駐車場代も自動引落で振り込む必要ないみたい」

「あー、そうなんだ」

 狙ってした訳じゃないが、月末から月を挟むタイミングでは色々な手続きが発生する場合がある。家賃関係は特にそう。振り込みを忘れたら、微妙にややこしい。


 でもさて、現時点で、まず会社への欠勤報告は済んだ。

 とはいえ、あえてここには書いていないが一番厄介な、産み戻し・出産は済んでいて、健太との和解も済んでいると思えば、少しは気が楽だ。


「えっと、婚姻届けに必要なものは、まずは届の用紙。これは区役所のホームページからダウンロードできるみたいだから、まぁこっちで用意しておくね。優子は前回に経験あるから大体覚えているでしょ?」

「確かに、やったけど、あんまり覚えていない」

 そういう経験、人生何度もやるもんじゃない。

 

「まぁ用紙見たら思い出すだろうから、次は出生届関係も兼ねて、朝一で病院行って健太くんの診断もしないとね。一緒に準備しなさい」

「あ、はーい」


 玄関入ってすぐ横の納戸に赤ちゃん関係のストックがある。昨夜みたく、すぐ出産というパターンまでは予想できなかったが、ある程度は困らない位に想定できる範囲での赤ちゃん関連のグッズは揃えてある。


 だから昨夜も、赤ちゃんのへその緒を切る為の臍帯クリップとか救急剪刀もあったし、粉ミルクや新生児用紙おむつも多少ある。


 そして今、赤ちゃんとのお出かけ関連を、中から選定して準備している。オムツは予備も含めて。お尻拭き。タオル・ビニール袋・ティッシュ。それと着替え、ただし本当に最低限しかないから、ストックでサイズが合うものから。

 粉ミルクと哺乳瓶と、それから授乳ケープ(母乳を与える時に肌を隠す外套の様なもの)。そしてそれらを、でっかい肩掛けカバンに片っ端から突っ込んでいく。


 それと簡易抱っこ紐、本当なら新生児用にがっちりとしたものが必要なのだが、そこまで想定して準備していない。簡易タイプでも無いよりはマシ。


 それらの準備出来たら、健太くんを抱いて、抱っこ紐の中にくるんで縦抱きする。特に首がまだ据わっていない為、左の肩でしっかりカバーする様に支える。

 優子が支度している間に、百合子は、色々と電話をかけていた。

 頼りになる馴染みの病院があるそうな。


 百合子が、かつて優子をを産んだ病院か?

 だとしたら、それから四十と数年経つ。


 病院の後に、自分たちの会社の方にも電話入れていた。

 もう百合子と優子は今朝、とりあえず午前中は出社できそうにない。まぁ直近では一番の面倒事があったけど、昨日中に百合子が出張対応して解決した筈だから、他には特に急ぎの対応案件は大丈夫と思う。

 

 呼んだタクシーが、マンションの前に着いていた。

「あら? このタクシー」

 車から運転手が出てきて一礼した。


「いやーどうも。御贔屓にして頂いて」

 昨夜、百合子を運んでくれたタクシーだった。


「え? 貴方、確か」

 優子もそのタクシーと運転手に見覚えあった。


「ありゃ、同じマンションとは思いましたが、御家族でしたかい?」

 健太と優子を送ったのととも同じタクシー運転手であった。

 でも、まさかその優子が抱いた赤ん坊が、その時の青年だとは気づいてはいない様だ。というか、気付く訳がない。


 運転手はトランクからしっかりしたベビーシートを出してきて後部座席に取り付け始めた。

「新生児用と聞いております」

 本当に、至れり尽くせりだ。(※2)


    ☆


 タクシーは、入院設備もある大きな産婦人科病院に着いて、正面に着けて貰った。


「本当なら入院して出産して、そこで母子とも診てもらうところだから、遅ればせながらまずは診察してもらわないとね」

 百合子は、何か懐かしそうに病院全体と玄関を見て言った。


「で、もし気に入ったら、かかりつけにして、今後は予防接種やら定期健診受けたら良いと思うわ」


 少なくとも、入口や外観等から見る感じ、その病院の雰囲気は良かった。建物は古いが、外装や看板とかは随時改装されている様で、とても綺麗だ。

 とりあえず玄関から中に入り、受付をする。


 優子が保険証を受付の人に渡している間に、百合子は見知った看護婦見つけてその人と、話を始めた。

「それでしたら、こちらの方へ」

 その看護婦さんは、2人+健太をエレベーターまで誘導し、自らも中に入ってエレベーター操作した。


 エレベーターは最上階まで上がり、そのまま奥の院長室まで案内してくれた。

 看護婦さんがノックをする。


「はい。どうぞ」


 中から男性の声がする。

 百合子と優子は、看護婦が開けたドアから中に入る。

 白い衝立の向こうに、白衣を着た初老の男性・おそらく部屋の主の院長先生だろう、が座っていた。


「どうぞ」

 目の前の椅子を手で示す。

 百合子と優子は言われるまま、その椅子に座る。


「どうも、ご無沙汰しております」

 百合子は深々と頭を下げる。


「今回の様な要件では40年ぶりですか? 実にお懐かしい」

 先生は百合子と優子の方を見て感慨深そうに笑いかける。

 そして優子に、その先生を紹介する。


「優子。こちらが貴方を取り上げてもらって、今は立派な院長先生。あの頃はまだ、駆け出しの若先生だったけどね」


「その時の赤ちゃんが、お母さんになる。とても嬉しい事です」

 そう言いながら、先生が健太くんの方に手を伸ばす。

 健太もそれに応えて手を伸ばし、先生の指を掴んで握手する。


 先生はそれを、とても嬉しそうに笑顔で対応している。

 院長になって偉くなっても、やはり現場の先生の顔になっている。


「なるほど、凄いね。この子を自宅出産で」

「この娘が頑固で、病院じゃなく、自宅で産みたいと言い張ってましたから」

 横から百合子が、口をはさむ。


「ん?」

 そうなんですか? と聞く代わりにチラッと優子の顔を覗き込む院長。

 優子は一瞬見つめ合いながらも、やや目をそらす。


「まぁ、そういう事にしておきましょうか」

 そう言いながら、引き出しから出生届の用紙を出す。左半分は、本人が記入する欄が並んでいるが、右半分は出生証明書。この欄を医者か助産婦が書いて証明しないと、役所では受け付けてもらえない。


「流石に、ウチの病院で出産したとは書けませんが、自宅出産に立ち会いましたと証明はしておきましょう。あとで母子ともに診察してもらって下さい。身長・体重も測って貰わないとね。それが終わる頃には、この届もお渡し出来ますよ」

「ああ。はい」

 優子は院長にお礼を言い、また百合子の方を見る。


 満足そうに頷く百合子。

 ある意味、腹芸だが、この先生も自分たち魔女の事をどこまで知っているのか?


 ひょっとして魔女の事情も全部分かっていて便宜を図ってくれるなら、いっそ昨夜はこの病院の分娩台で安全な出産が出来たのでは? と思わないでもない。

 ただあの急激な胎児の成長や、超高速出産にまで対応できるかは分からないが。


「そうしたら、この子は出産後の診察へ。お母さんは2階に案内して」

 院長先生は、その看護婦に指示した。


 看護婦は、優子から健太を受け取り、

「おお、泣かないのね。お利口お利口」

 手慣れた抱き方で、健太を連れて行った。


 その後、優子には別の案内の人が来た。

「じゃ私はもう少し院長と話したら一回会社に行くから、診断受けて書類貰ったら、連絡して。迎えに来るから。役所廻りは午後からにしましょう」

 百合子はその場で後ろ向いて、手を振った。


     ☆


 まず優子は看護婦の案内で、一旦ロッカーに行き、健診衣に着替えてから健診を受けた。

 血液検査、尿検査、触診とエコー。子宮の状態を確かめる。

 普通なら、そのまま数日は入院するよう勧めるところだが、どうやら産後の調子は良い様だ。安静にする事を前提に帰って良いと言われるが、念の為に明日もう一度経過観察したい旨を言われる。


 さて、診察が終わり、受付で出生証明書欄が埋まった出生届を貰った。

 この時点で母子手帳をこの病院で貰えるかと勘違いしたが、母子手帳の発行は地方自治体なのだそうだ。

 ただ、母子手帳は出産前の妊娠が分かった時点で申請するものなので、出産後に申請するのはかなりレアなケースだと思う。でも、妊娠そのものの病院の証明はない。とはいえ出産そのものをした以上、この出生届と一緒に申請すればいい筈。


 とりあえず優子は診察が終わった時点で会社に連絡したから、迎えそのものは会社を出発した筈だ。


 さて、健太も診察を終わっていて、やはり後日の経過観察を言われ、簡易抱っこ紐で抱きながら、一旦受付の方を見に行くと、百合子と一緒に、倉庫・流通担当の涼子りょうこ がもう来ていた。


 涼子は長身・短髪、まるでタカラヅカ・スターの様な容姿である。カーキ色の作業着上下に紺のジャンパー姿であった。


「あ、涼子さん。仕事中、すみません」

 そう声をかけると、本人意図してはやっていないんだろうが、歯が光る やたら爽やかな笑顔でこちらを向いた。


「いいんだよ。誰よりも先に優子の赤ちゃん見られたから、これも役得」

 とは言いながらも実際に6人の社員の中で、まともに営業車ハイエースの運転が出来るのは優子と涼子と、後は品証・営業担当の実花みかぐらいだ。

 他の社員も、免許証はあってもハイエースの様な大型車は、怖がって運転はしない。でもって実花は今、海外工場に出張中だから、もう他の選択肢はない。


「で、この子がそうなのか?」

 涼子が健太くんの顔を覗き込む。

 健太も初対面ながら、イケメンな涼子の顔をペチペチと叩く。


「良いな。将来が楽しみだ」

 それは、今後美人になりそうだとかいう意味か? それとも。


「もう営業車にはベビーシート取り付けたから、いつでも帰れるわよ」

 百合子は涼しい顔で言う。


「え? いつの間に」

「さっき会っていた時、院長先生に頼んでベビーシートとか、多機能抱っこ紐とか、新生児用品一式、まとめてレンタルで借りておいたの」

 流石、経営者だけあって、そういう事には抜け目がない。特に購入でなく、レンタルの手続きをしたところあたり。

 優子も、色々と買わなきゃいけない物を考えてはいたが、おそらく新生児ものは数か月でお役御免であろうから、買うかどうしようかと迷っていたところだ。


「じゃ、とりあえず帰りましょうか?」

 裏の駐車場に、白いハイエースが止まっていた。


 中を見ると、言われた通り既にベビーシートが後部座席にセットされている。先程のタクシーに設置されていたシートに比べて、かなり頑丈そうで立派に見える。

 シートを取り付けるためのベースをまず座席に固定して、そのベースにアタッチメントでベビーシートを取り付けする様だ。ベビーシートには大きな取っ手が付いていて、それだけでベビーキャリーとして使えるらしい。


「トラベルシステムっていうのよ」(※3)

「凄く安全性の説得力あるけど、何か高そうね」

「だからレンタルなのよ」


 優子はその後部座席に座り、健太をそのベビーシートに固定する。

 商業用バンだから、後部座席自体は折りたたみ式の薄っぺらい座席だが、ベビーシートをしっかり固定出来てさえいれば大丈夫だろう。

 涼子が運転席、百合子が助手席に座ると、程なく発進した。いつもはもっと乱暴な急発進・急ハンドルなのだが、赤ちゃんが乗っている今日ばかりは、ゆったりとした、ショーファー運転であった。


※1 2024年12月当時での話である。


※2 タクシー運転手

この先も出てくるかどうかは未定である。


※3 トラベルシステム

 ベビーシートを、車の座席にもベビーカーにも装着できるアイテムの事。利点は、赤ちゃんが寝ている状態のまま移動して装着・脱着出来る。

 それとほとんどのA型ベビーカーが生後1か月後からを想定しているのに対し、これは新生児でも対応出来る事が大きい。とはいえ、本来1ヵ月までの新生児は体温調節機能が未熟で外気温の影響を受けやすく、免疫や抵抗力も未熟な上、皮膚ひふもデリケートで直射日光に弱い為、外出そのものを避けるものなのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ