表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刻(とき)吸いの魔女  作者: かもライン
愛しの人を、赤ちゃんにしてしまったら
12/20

after 5 ワクチン接種

 ♪赤ちゃん、夜泣きで困ったな。疳虫・乳吐き、弱ったな


 そういうCMがある様に、新米ママさんが真っ先に直面する子育ての最初のハードルは夜泣きではなかろうか。ひょっとしたら、夜泣きの前にミルクだのオムツ替えだのの洗礼を受けるかもしれないけど、まぁ必ずこの夜泣きで子育てが甘くない事を実感するであろう。


 何せ、赤ちゃんの胃は小さい。小さいからすぐ胃は空っぽになるし、小さい胃はとてもデリケートなので、すぐ吐き戻しする。


 お腹が満たされればそれで良いか、という訳でも無く、真っ暗で誰もいないと思えばすぐ不安にもなるし、オムツが濡れて蒸れれば、とても不快だ。

 当然赤ちゃんは喋れないし、なぜ不安なのかすら理解できていない。


 だからママは、1時間おき2時間おきに夜泣きで起こされるのは仕方ないものとして開き直るしかない……というのが一般論。


 と、まぁ優子も覚悟したが、結果。あれ?


 実際には愛美自身が新生児としての自覚あって、枕元に置いていた哺乳瓶を自力で飲むから、差し当たっての空腹は防げるから、空腹による夜泣きは無かった。


 またオムツも中がいっぱいになってきたら、一応は声出したり、ツンツンつついて訴えてはみるが、それで起きて来なければ我慢して待つ。今の紙おむつは、おしっこ数回分は全然問題ないが、ウンチはやはり気持ち悪いようで……。


 あと暗闇の孤独感や不安感等は、本当の新生児ならあるだろうけど、少なくともそういった意味での不安はない。しいていえば、慣れない身体の不安感から夢見が悪いくらいだろうか。

 あと、寝返りも自力で打てないから、多少身体が痛くなる事も。

 それでも世間で言う様な夜泣きはしなかった。おそらく本人の意地で。


 そういう訳で

「何で優子は、そんなにすっきりと、満足そうな顔で起きてこられるの」

「百合子だって……」


 2人共の名誉のために、それぞれ一晩で2回か3回はちゃんと起きてオムツやミルクの交換はしてくれたし、だっこしてあやしてもくれた。だっこされて嬉しいというより、凝り固まった身体がほぐれて気持ち良かった。


 でもまぁ、それなりに早起きしたにも関わらず、寝不足のストレスはさほど感じていない状況で、2人は朝ごはん食べながら今日のスケジュールを確認していた。


「今日も病院で診察は来るように言われたって聞いたから行くけど、普通の出産の場合、退院は出産4日後以降で、それまで安静にしないといけないのよね」

「まぁこういう事言うのも何だけど、貴方もちょっと普通じゃないからね。普通、受精して妊娠・出産まで1年かけてするけど、あなたは1晩……というより数時間で全てやり終えちゃったのだから」

「まぁ、そう言う意味では、そうだけど」


「普通なら、1年かけてお腹の中で赤ちゃんはゆっくり成長する。母親も1年かけて栄養や環境を与え続ける。その負担は言葉で表わせないわ。それが貴方達の場合は、急激に時間を退行させて“零”に戻し、その反動で一気に新生児になった。言ってしまえば、地面に落ちたボールが跳ね返って宙に浮きあがった様なもの。途中 端折はしょっちゃった分、一年かけて成長させたりする時の負担が、母体にも新生児にも無いから。だから貴方達はその分元気なのかもしれないわね」


 確かに愛美は、その役所の手続きの間、大体ずっと起きていて付き合ってくれていた。普通の新生児では、ありえない体力。

「でも今日も、ちゃんと病院で診断だけはしっかり受けときましょうか」

「そうね。駆け足で産んだけど、産んだし、産まれたという事実は確かだから」


「それと、他に行きたい所はある? 愛美ちゃんの服とかグッズの買い出しとか」

「あ、1か所、ちょっと行きたい所あるんだけど。そういうのではなくて」

「遠い? 時間かかる?」

「そんなにはかからないと思うけど……」

 百合子は、ベビーベッドで寝ていて愛美の方を見た。というか姿勢は寝ころんだままだが、顔はこっちを向いて目は開けている。起きていて話は聞いている様だ。


 そう。普通の新生児は24時間中20時間眠っていると言われる。ずっとではなく、数時間眠って、ちょっと起きての繰り返し。まぁ子宮の中では24時間寝ているのと同じだろうから、少しずつ外の世界に身体を慣らすという意味からだろうが。


 でも愛美は、こちらが起きて何かしている時には大体起きている。身体に無理をしない様に普段は眠っている様だが、ちょっとしたことですぐ目を覚ます。

 眠っていると思っていたら、実は起きていたという事も、よくある。


「ねぇ、愛美も病院行くからね、その心づもりで」

 起きている事を確認して、優子は話しかける。

 愛美は、うんうんと頷く。


 首が座っている訳では無いが、常に自分の身体の状態を把握して、首も腰とかも無理のないように動かしている。百合子・優子が寝ている時でも、哺乳瓶を自力で支えるまではいないが、手を当て位置調整をして、横向いて飲んでいる。


 寝返りではない。上向いているところから90度顔が横を向くだけだ。それでも新生児の能力としては驚異的だ。


 優子が、お出かけ用品を色々まとめてカバンに詰め込んでいる間に、百合子はベビーカーを準備し、愛美を乗っけてベルトで固定し始めた。


 今日はタクシーは使わず、ベビーカー押しながら、電車とバスを乗り継いで、昨日も行った産婦人科病院に着いた。

 受付すると優子は、また愛美は別の診断になるからと、別れて2Fへ行った。


 愛美も本来は、保育器の中にいないといけないような新生児なので、外来で来る事が間違いの様な気もするが、まぁ昨日の診断でも良好であったから、良しとする。


 今日は個別の部屋ではなく、健診会場の様な大きな広間に、他の赤ちゃんやお母さんと一緒にそれぞれ診断を受ける事になった。優子は別の部屋で診察しているので、愛美には百合子が付き添っている

 比較的若い先生が、愛美の診断をしてくれた。昨日中に、身長・体重等は計測は済んでいるし、皮膚や頭頸部・各臓器も異状無い事分かっている為、今日はその1日経過後の変化等が主である。


 一通り終えた後、通常は退院直前にする先天性代謝異常検査をする為、採血の準備を始めた。ベッドで寝かせた状態で看護婦さんが身体を押さえ、注射針がついたカプセルの様なもので、かかとから採血をするのだが、

「チクっとしますよー」といつもの習慣でそう看護婦さんが言う。

 どうせ赤ちゃん本人は聞いていない。付き添いのお母さん達に言っている様なものだが、あれ?


 愛美は、ギっと食いしばっている。しっかり食いしばる為の歯は無いが、傍から見ても覚悟決めたような顔をしている。

 一瞬、看護婦さんは「え?」と思う。言葉とか、理解している筈ないのに、と。


 先生は注射針を刺して、かかと全体をマッサージする。そうする事で、かかと全体から必要な血を集めるのだ。看護婦さんは赤ちゃんが暴れない様に身体を押さえてはいるが、どうも暴れる様なそぶりはない。

 針を刺したまま採血している。

 また「あれ?」と思う。


 泣かない。普通、赤ちゃんは痛くて泣く。でもこの子は泣かない。

 まぁ、かかとであるし、痛さに鈍感な赤ちゃんもいるが、どうやらこの子はそうではなさそうだ。

 顔を見る。何かに耐えている表情。まさか……。

 でもって早々に採血は終了する。

 終了と同時に、看護婦は脱脂綿でアルコール消毒する。

 反応を見る彼女の疑問が、MAXになる。


「あの……」

 看護婦は、付き添いの百合子に声をかける。

「この子、採血したのに、泣かないんですね」

 でもって経緯を説明する。耐えている表情についても。


「あ~、この子らしいわ」

「らしいって」

「多分、こっちが言っている事が何となく分かっている感じで、しかもかなり我慢強いのよ」

 本当に分かっているとは言えないから、当たり障りのない言い方で説明する。


 と、百合子が看護婦と話しているところに、診断を終えた優子が帰って来た。

 子宮収縮も含め異常なしの健康体で、もう明日以降はもう毎日の健診も不要。次回は1か月後に来て下さいと言われた、との事だ。さすがにお風呂の湯船にも浸かってもいいですよ、とまでは言われなかったが昨日からシャワーは許されている。


「あら? 愛美ちゃんが何か?」

「ああ、採血でチクっとしたけど、耐えて、泣きもしなかったんだって」

「あああ」

 らしいと言えばらしい。愛美と言うか健太くんと言うか。まさに注射なんかで泣いてたまるかというおとこの意地のような。

 いいのよぉ、泣いても、赤ちゃんなんだから。


 看護婦は、母である優子のところにも来て、そのいかに漢らしい表情で耐えているかとか、凄いとか、今までこんな例は見たことが無い、とかまで力説された。

「あ……あ、そうですか」

 流石に優子も笑って誤魔化している。


 でもその看護婦からしたら、とても凄いとベタ褒めである。

 聞いている若い先生も苦笑いしている。


「ところで、あの」

 改めて看護婦は、訴えかける様に迫って来た。

「本来、ワクチンとか予防接種の大半は、2か月後健診以降からしか打っちゃいけない事になっているんですが」(※1)

「ええ」

「でも、BCGとB型肝炎だけは、生後、すぐに打っても良い事になっているんです」

 一応そうなっていても、普通はそれも含め、生後2か月後から打つ。


「BCGは今、用意が無いから無理ですが、B型肝炎ワクチンならすぐ出来ます」

「は、はい」

「打って、良いですか?」

「え!?」

 看護婦は、いつの間にか用意していたB型肝炎のワクチンのキットを持って、優子に迫った。


「あの、B型肝炎ワクチンは、今すぐじゃなくても良いんですよね」

「今すぐじゃなくても良いんですが、今すぐ打ちたいんです」

 打ちたいのは看護婦さんの都合で、こちらではない。

 うるうるした目で訴えかけてくる。


「あ、あ~」

 優子は愛美の顔を見た。

 愛美は愛美で、訴えかける目付きで優子を見ている。『断ってくれ!』と。

 優子は、傍にいる百合子の方を見た。

 こちらはこちらで、興味深い表情で、ただニヤニヤしている。


 この病院の先生方には、今回は多分にお世話になっているし、また今後においても。そんな心の天秤に両方の言い分を乗っけてみた。わずかに片方に傾いた。

 どうせ今でなくても、2か月後には打たなきゃいけない予防接種だ。


「分かりました。ワクチン、打って下さい」

「い、良いんですかぁ!?」

 看護婦さんの表情が、ぱぁっと明るくなり、逆に愛美の表情が暗くなった。


「え? どうしたの、どうしたの?」

 その部屋にいた看護婦が全員集まって来た。他の先生方も何人か見に来ていた。

「じゃあ、先生。お願いします」

 看護婦は、注射器でワクチン接種の準備をした。先程の採血のキットと違って、本当に痛そうな注射器だ。成人が打つものに比べ、本体も針も小さいようだが。

 その用意した注射器を先生は手に取り、これから打つ腕の部分にアルコール消毒をする。

 看護婦は、しっかり身体を押さえている。


 愛美からしたらとても怖い。実は注射は大人の時も、かなり苦手だった。注射も怖いが、集まってきている人達の目も怖かった。なぜこんな事で注目されているのだろうか。


「打ちます。チクっとしますよー」

 そう言いながら、愛美の腕に注射器を突き立てた。

 とたんに食いしばって耐える愛美の表情。皆の注目も集まっている。

 中身を注入して、注射器を抜く。都度、痛い。

 抜いて、その傷跡に極小のバンドエイド状のものを貼り付ける。

「お疲れさまでした」

 愛美の目は、ちょっとうるうるしている。でも泣かなかった。


「はい、お利口さんでした」

 優子は愛美を抱きあげる。愛美の顔が優子の胸に埋もれる。

 泣いてはいなかったが、ちょっと涙が出ていたかもしれない。

「いや、良いもん見せて頂きました」

 バラバラと皆、解散する。

 ひょっとして、2か月健診の時もまた、こうなのか?


 普通、赤ちゃんは注射打たれたら泣く。でもおそらく愛美は2か月後のワクチン接種時も耐えて泣かないだろうなと思う。

 でもまぁ2か月後は2か月後で考えよう。そうね。その時はこんな広い所でなく、先生とマンツーマンになる様にして貰うとか。

 先ほどの看護婦がまたやって来た。

「じゃ、ご褒美のK2シロップあげまーす」(※2)

 そう言って、シロップをスプーンに移して、愛美の口に持ってきた。

 これってご褒美なのかと思ったが、つい反射的に、愛美はそのスプーンをパクっと咥えた。

『あ、甘い。甘すぎる……』

 優子と百合子は、愛美の心の声を聞きながら、また複雑な表情を見守った。


 健診を終え、病院を後にする。

 健診内容は順調すぎる位に順調。本来なら、まだ入院してないといけない位の産後ではあるが、もう医師の診断のお墨付きあって、母子ともに健康体そのもの。

 まぁ最後に予防接種等で病院内お騒がせしたが、身体には問題ない。


「で、それで行きたい所って?」

「あ、うん。電車乗って、ちょっとあるんだけど」

 そう言いながら出してきたのが、健太の長財布と部屋の鍵。鍵と財布が、鎖でつながれている。


「健太さんの部屋、いずれ解約の為に整理しなきゃなんだけど、その前に見ておきたくて」

「ふぇぁあ?」

 愛美も、突然のその言葉にびっくりしていた。

「どこら辺?」

 優子はスマホの乗り換え検索画面を調べている。

「ここからなら、2回乗り換えて、駅から20分歩いて、全部で大体1時間くらいかな?」

「いううぉ、いうぁ?」『行くの 今?』

「そりゃ、出来れば早く行っておきたいし」

「あわわわわ」

 何か、愛美は動揺している。


「じゃ、行く?」

 百合子は、そう言われて何か、ふと感じるものがあった。

 大きな流れが自分たちの回りを流れている。優子の出産前後から流れる、色々な状況の流れだ。その流れが百合子の背中を押している。

 

 用事そのものは、いつでも良い感じではあるが、でも流れは今一緒に流れていこうとしている。これに逆らうのは、逆に不自然だ。


「そうね。付き合ったげる」

「ありがとう。じゃ、行こうか」

 愛美の意思は確認せず、優子はベビーカー押し始めた。


 唯一、愛美だけが不本意に狼狽うろたえながら、何の抵抗も出来ずにいた。 


 ――― 次回 after 6 アパートの大掃除

    想いもかけない人との出会いがあります   ―――



※1 新生児は、生後1年以内に、①Hib(インフルエンザ菌b型)・②小児用肺炎球菌・③B型肝炎・④ロタウィルス・⑤4種配合(ジフテリア・百日せき・破傷風・ポリオ)・⑥BCGを、それぞれ3回接種する必要がある為、出来ればスケジュール決めて計画的に打った方が良い。最初の1回目は生後2か月目からだが、免疫は早めに作った方が良いから、接種可能な時期が来たら出来るだけ早く打つよう医者から進言されます。


※2 K2シロップは、ビタミンKの欠乏による赤ちゃんに起こりやすい出血を防ぐためのお薬で、大体は入院時に2回と1か月健診時、後は週一ペースで自宅で与える様10回分のシロップを退院時に渡される。

 とても甘いが、別に水で薄めて与えても良い。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ