居酒屋にて
「私がご馳走しますから!遠慮しないで頼んでくださいね!」
「はは、じゃあほんとにごちになりまーす」
「はい!!」
2人肩を並べて向かった先は、こじんまりとした居酒屋『なかの』。ご主人夫妻の名字を冠したそのお店は、カウンターと座敷が少しあるだけの小さなお店。
女の子を連れていくには少々適さないかもしれないが、なんだか今日は無性に焼き鳥が食べたいし、おごると言ってきかないさくらと来るには丁度よい塩梅のお店だと考えた。
のれんをくぐると、焼き鳥を焼く香ばしい香りが漂っていて、食欲をそそった。
「おぅ斗真ちゃん、いらっしゃい」
白髪頭のきっぷのいいご主人が、威勢のいい声で出迎えてくれた。
「マスター、こんばんは。カウンターいいですか?」
「あぁ、丁度1番奥空いてるから座りな。おっこいつ、彼女連れてきてやがる。生意気だな。ママー!ママー!2名様ご来店ー!」
マスターが奥の方に声を張ると『はいよ〜ただいま〜』と返事が聞こえた。
カウンターに座って待っていると、ママがお通しを持ってきてくれた。
「ありがと、ママ」
「斗真ちゃん、久しぶり。相変わらず色男だね」
「はは、そうかな」
「あら、今日は彼女連れてきたの?かわいいね。斗真ちゃんのこと、よろしくね」
よろしくね、と言われ、先程からぼそぼそ「彼女だって彼女だって彼女だって」と呟いていたさくらの顔が真っ赤になってしまった。
立ち上がり腰を90度に曲げ挨拶する。
「任せてください!!斗真さんのことは必ず幸せにしますので!!」
「…………………………はい?」
突拍子もない言葉に唖然とする俺。
「あっすみません!!思っていたことが口に出ました!!!!」
両手で口を押さえるさくら。一瞬間があき、
「「あっはっはっはっは!!」
ご主人夫妻の、風船が破裂するような笑い声が店内に響き渡った。
「こりゃ〜いい!!なんとも頼もしいお嬢ちゃんじゃないか、なぁ?」
笑顔のマスターがママを見る。ママも満面の笑みだ。
「そうよ、今の時代女の子もこれくらい強くなくちゃ!気に入った!好きなボトル入れなさい!」
「ありがとうございます!!!!」
すっかり意気投合した様子のママとさくら。そんな2人を横目に見ながらマスターに向き直ると、彼は至極ご機嫌な様子で顎をさすっていた。
「そうかそうか。ついにお前にもこういう日が来たか」
「えと、なんかちょっと誤解が……」
「大事にするんだぞ」
あ、いつものでいいか?と柔らかな笑みを携えて言った。
「あ、はい。あとすみません、レバー追加でお願いします」
常とは違うオーダーに、マスターがおや、という顔になる。肩をすくめて、理由を伝えた。
「さくらちゃんがさっき血を出したので。出た分の補給です」
「!…………そうか…………」
何かを察したように、笑いを堪えるように唇を合わせたマスター。俺の言い方がまずかったと思い、訂正した。
「あ、いや、血って言っても鼻血です鼻血。女の子のこういうこと言っちゃいけないって思ってあえてぼかして言ったんですけど」
「はは、いいって」
「マスター、誤解です……俺の言い方悪くてすみません……!」
すっかり黙り込んでしまった彼の手元を見ながら、美しい焼き目がついていく串たちを眺めた。
さくらはようやくキープするボトルを決めたようだった。
「へ〜さくらちゃんて3人きょうだいの真ん中なんだ〜。俺も俺も〜」
運ばれてきた串にかぶりつきながら話す。さくらも、箸でとってから……なんてお上品なことはせず、そのままかぶりついていた。
変に気を使われず、男女の駆け引きなんて皆無な感じがなんだか嬉しかった。
「そ〜なんです〜。兄と弟がいて〜。小さい頃は3人でプロレスしてました〜」
「あはは!うちもうちも!……つっても兄貴は割とおとなしめだったから、主に俺と絢斗でやんちゃしてたわ〜」
幼き頃を思い出す。
就寝前の布団の上。よく絢斗に技をかけて泣かせてたっけ。その度に母からげんこつくらってたのはいい思い出だ。
「あはは!今の鈴木くんからは想像できない!」
「な?すっかりでっかくなっちまって。今は多分俺の方が泣かされるって」
「もし喧嘩して骨折したら、私に担当させてくださいね」
周囲に聞こえないよう小声でそう言って、けらけらと笑った。
楽しそうにしているのを見ていると、こちらの気分まで明るくなった。本当に元気な子だ。
そうだ、元気と言えば……
「ねぇねぇ、さくらちゃんって、当直明けでもちょー元気じゃん。なんであんなに体力あるの?」
大半の者が『疲れた〜』とぐったりしている中、ぱたぱたと元気に動き回っているのを見ると、若さの尊さを感じるのだった。
さくらのキープボトルからもらった焼酎を一口飲む。さくらはかしわをもぐもぐ食べながら「ひょっほはっへくらさいね…」と言った。一生懸命咀嚼する姿がリスみたいでとてもかわいらしい。ごくん、とこれまた一生懸命飲み込んだ。
「……ぅうん、元気じゃないですけど、斗真さんの姿見たら元気が出てくるんですよ〜」
にこっと笑った。
「あはは!そーなの?」
なんてかわいいことを言う後輩なんだ。吉田といい、さくらちゃんといい、俺はこの学年と相性がいいのかもしれない。
「はい!斗真さんが出勤してくると、周りがなんかぱぁぁぁぁって明るくなるんです!それ見たら疲れてられないな〜頑張ろ〜って思えるんです!斗真さんと一緒の職場で働けて、本当に嬉しいんです!!」
にこにことプレゼンされ、俺は柄にもなく照れくさくなった。モテない方ではないけれど(むしろ女性に不自由したことはないけれど)、こんな風に、面と向かって、一生懸命好意を伝えられたのは初めてかもしれない。なんだか心が和むのを感じた。
「……俺も、さくらちゃんみたいな後輩が入ってきてくれて嬉しいよ。明るくて、勉強熱心で。……襟を正すことも多いよ」
思わず本心を言ってしまった。そんなに飲んでいないはずなのに、迂闊だった。先輩のメンツが潰れてしまったかもしれない。
けれどさくらは『嬉しいよ』の部分だけ聞こえたようで、「私たち両思いですね!やったー!」と喜んでいた。あえて訂正はしなかった。
お手洗いから戻り、さ、そろそろ帰ろうかとお会計をお願いする。するとマスターが苦笑いして、
「さくらちゃんからもらってる」
と言った。驚いてさくらを見ると、当の彼女は笑顔で力こぶを作っていた。
「今日迷惑をかけたお詫びです!私のためだと思ってご笑納ください!!あとお兄ちゃんが『相手が席を外したときに会計しとくとポイント高いぞ』って言ってましたので!!」
「えっと……」
ご笑納ってその使い方でいいんだっけとかお兄ちゃんのアドバイスは何か根本からずれてないかとか色々思ったけれど、耐えきれないとばかりに吹き出したマスターが提案してくれた。
「いいじゃねぇか、今日のところはさくらちゃんにご馳走になって、次はお前が出してやれば。さくらちゃんだって出したもんは引っ込められねぇだろ」
「あ、はい、いや、でも……」
「経緯はきいた。お前がほんとに奢ってもらおうと思ってないことぐらいわかってるから」
お前そういうとこちゃんとしてるもんな、と慈愛のこもった目で見つめられ優しくそう言われると、反論できなくなってしまう。
「えーーじゃーー本当にごめんだけど、今日はご馳走になるね?今度は絶対絶対ぜっっっったい俺が出すから」
「はい、よろしくお願いします!!」
「おっ次の約束もできてよかったじゃねぇか。寒いからあったかくして帰れよ〜。ありがとうございました〜」
マスターとママの温かい笑顔に見送られ、2人、なかのをあとにした。
タクシーをつかまえようと、歩道を歩く。さくらはカルガモのこどもみたいにトトト……と後ろをついてきていた。
「斗真さん」
遠慮がちに名を呼ばれた。
「なーにー?」
「怒ってます?」
「……怒ってないよ。なんで?」
足を止めてさくらを見やる。俺が急に止まったのでさくらが「わわっ」と俺の胸の中に飛び込んでくる形になった。そのまま俺を見上げて言った。
「奢るとは言っていましたけど、ほんとに私が会計しちゃったので。斗真さんが恥ずかしい思いをしたかなぁと思いまして……」
「…………………………」
心の中を読まれたみたいで、言葉に詰まった。戸惑いを是と受け取ったのか、しゅんとして言った。
「……すみません、いたりませんで……」
「いや、いいよ……いや、『いいよ』じゃなくて、えっとー……」
もやもやを言語化しようと試みる。
「断じて、恥かかせやがってとかは思ってないからマジで。……なんつーか、女の子にお金出させたのがなんか……俺的にショックで」
「?」
さくらがわけがわからない、と言った風に首を傾げた。
「……うん、ごめん、なんか、うまく言えないわ。ま、これからは俺に出させてよ。俺のためだと思ってごしょーのーください」
先ほどのさくらの言葉を借りて言うと面白かったようで、さくらがあはは、と笑った。
「自分で食べたのくらい自分で出しますよ!斗真さんって貢ぎ体質なんですか?」
「!あ、そうそう、それかも。なんか、俺が出すのが当たり前って思っちゃってるとこある。勿論男は自分で出させるけど」
「あはは!それは次お誘いしにくいです!」
さくらちゃんの発言に、ハッとしてしまった。
……あれ?これが世の普通の感覚なの??『嬉しい!あのね、行ってみたいとこあるんだ〜』『どこどこー?じゃ次はそこ行こーね』っていつもの流れにはならないの????
「斗真さん?」
会話のキャッチボールが止まったのを不思議に思ったのか、さくらが小首を傾げている。
「うん?……あ、ごめんごめん。……まぁとにかく、最大瞬間風速60メートルくらいの先輩風吹かせたいからさ、俺に任せてくれればいいからね」
「あはは、それは立っていられない風の強さです!でも、次はそうしますね。もし足りなかったら私がATMまで走りますので!」
「ちょっとちょっと、どんだけ食べる気よ。俺を破産させないでよ?」
「はい!」
さくらが、笑った。明るい笑顔だった。
その笑顔に引きつけられ、じぃっとさくらの顔を見入ってしまう。街灯のオレンジの光が彼女の大きな瞳の中でまるで星屑のように輝いていた。
「…………………………」
その美しい星を、いつまでも、いつまでも、眺めていたかった。
「わっ、そして私ずっとこの体勢ですみません!」
「あら、そんなにぱって離れなくても、そのままでよかったのにー」
「からかわないでください!あ、タクシー来ましたよー!ヘーイ!」
「ヘーイって……!」
うん。さくらちゃんは、面白い。