斗真さんvs谷川さん
俺の暴走から、幾日かが経った。
正気に戻り、自分のやらかしに青ざめ、さくらに謝罪しようと機会を伺っているのだが、谷川さんの鉄壁のガードで近づくことすら叶わない。
そんな状況に悶々としながら、本日は詰所で1人事務作業をしていた。
と言ってもちゃんとしていたのは最初の5分だけで、今はぼーっとパソコンの画面をスクロールしているだけだ。
(焦りすぎたな……。まじでさくらちゃんに謝りたい……)
頭をくしゃっとし、うなだれた。
「………………そんなの調べるくらいには、気にしてるんだ」
背後から突然響いてきた声。気配にも何も気付かなかったなんて迂闊だった。
驚いて、文字通り椅子から飛び跳ねて距離を取った。
声の主・谷川さんが俺のパソコンの画面 ーー 刑法176条不同意わいせつ罪について解説しているページ ーーを覗き込んでいる。
手で隠しても遅かった。
「お疲れ様です……」
「…………………………」
谷川さんが、冷たい目で俺を見た。
「……自分がフった女性は、いつまでも自分のことが好きって思ってんの?」
「…………………………!」
既視感のあるセリフに、思わずびくっとしてしまう。これは世の常識なのか。考える機会がなかった自分は、果たして勝ち組なのか負け組なのか。
「……それとも、元カノだったら何しても許されるって?」
「…………………………」
周りの温度が5度くらい下がったように感じる。俺の暴走を聞き及んでいるのだろう。谷川さんが怒っているのがわかる。
「……さくらちゃんに、謝りたいと思ってます……」
「……謝って自分がすっきりしたいだけだろ。悪いって思ってるんだったら、もう無理に接触しないでうだうだ悩んどけ。それが償いだろ」
「…………………………」
谷川さんのごもっともなセリフにしゅんとなる。ーーーーが、同時に怒りも湧いてきた。
さくらちゃんに言われるならまだしも、なんで谷川さんにここまで言われないといけない?
正義は我にあり、とばかりに俺を責め立てるけど自分はどうなんだよ。
ぷつん、と何かが切れる音がした。
それは「今」に限らず、これまで我慢してきた堪忍袋の緒が切れる音だったのかもしれない。
「……谷川さん」
「………………なに」
ゆらっと立ち上がった俺に若干気圧されたように返事が返ってきた。
「聞いていいっすか?ほんとにさくらちゃんのことが好きなんすか??」
「は?」
谷川さんが思いっきり眉をしかめる。
「だってそうでしょ、俺に『素直でかわいい』『お願いしたらなんでもしてくれそう』なんてゲスなこと言ったじゃないっすか。好きなことは好きなんだろーけど、ほんとは誰でもいいんじゃないっすか?」
やれるなら、をつけようとして思い止まった俺を褒めてほしい。
「…………………………」
谷川さんは無言だ……けれども、思いっきり眉をしかめ汚いものでも見るかのように俺を見ている。頭の中で反論を組み立てているのだろうと感じた。
口を開きかけたのを制し、続けた。
「っていうかこの際だから言っちゃいますけど、谷川さん俺のこと嫌いじゃないですか」
小さく「うん」と言ったのはショックだったけれど、聞き流す。
「…っだから、さくらちゃんが好きっつーよりは俺へのあてつけの意味合いが強いんじゃないんですか?嫌がらせっつーか」
我ながらとんでもない言いがかりだとは思ったが、今までさくらのことを気にしていた素ぶりなんて微塵もなかったのに、急にこんな風になるなんておかしくないか?
俺への嫌がらせだと思えば、全て説明がついた。
谷川さんが小さくため息をついた。
「………………何を言い出すかと思ったら。自意識過剰もいい加減にしとけよ」
「だって……変でしょ……」
弱々しく反論すると、がっと胸ぐらを掴まれた。
「何がだよ。誰が好きとか嫌いとか、いちいちお前に報告しないといけないのかよ。ふざけんな」
「…………………………」
「お前が見えてる世界だけが全てじゃねぇんだよ。そんなこともわかんねーのか、お坊ちゃんは」
「…………………………」
谷川さんのバカにしたような言葉にムッとして、俺をねじ上げている腕を掴んだ。
「そういえば、谷川さん俺に言いましたよね?『さくらの兄さんより年上なんて恥ずかしくないのか』って。自分はどうなんです?」
「俺は別に恥ずかしくない。見た目ばっか気にしてるお前と違って、年相応の経験積んでるから。さくらのことも守ってやれる」
「…………………………」
ぐぅの音も出なかった。俺の美容好きは男達からは苦笑いされていることは知っていたけれど、今、こんな風に侮蔑を込めて言われるのは我慢ならなかった。
なんとか谷川さんに一矢報いたい。
「年相応の経験て……。さくらちゃんが弱ってるとこにつけ込んで恋人の座におさまることも入ってんすか?」
「…………………………」
今度は谷川さんが無言になった。しばらく2人無言で睨み合う。
ピリピリとした静寂を、明るい声が破った。
「おっつー!…………ってえぇ…… と?なにしてはりますのん??」
無邪気に入ってきた牧田さんが掴み合ってる2人に驚いて固まっている。それには見向きもせず、睨み合いを続けた。谷川さんが口を開いた。
「……お前が勝手に逃げ出したんだろ。今更俺に言ってくんな」
「…………………………!」
「え?なになに?なんの話??」
「…………………………羨ましい?俺のことが」
がつっっっ
気づいたときには谷川さんの頬を殴っていた。谷川さんが机の方に倒れ、本や書類がバサバサと落ちた。かけていた眼鏡も外れ、床にカシャンと落ちた。
「…………………………」
谷川さんが口の端の血をぬぐった。
「えっ、ちょ、大丈夫なん!?」
駆け寄ろうとした牧田さんを片手で制し、ぎらぎらした灰色の目が俺をとらえた。
「ーー上等だ、クソ野郎」
「!」
気がついたときには俺の頬にも熱い衝撃が走っていた。デスクの方に倒れ込んでしまい、そのはずみでノートパソコンが落ちたのを視界の端で確認した。
「ってぇ……」
「…………………………」
上半身を少し起こすと、そのまま胸ぐらを掴まれた。
「……なんの苦労もしてないお前みたいなお金持ちの坊ちゃん、大嫌いなんだよ。マジでムカつくわ」
「……お言葉ですけどぉ……」
谷川さんの頬を殴り、そのまま組み敷いた。形勢逆転だ。
「俺だって好きでこの家に生まれたわけじゃないですからね?わけのわからん嫉妬で八つ当たりするの、やめてもらえます?」
ちっ、と谷川さんが舌打ちをした。少し力を緩めてしまったのがいけなかった。また殴られ、よろけたところを谷川さんが自由になった足で俺を思い切り蹴飛ばした。衝撃でデスクに思い切り頭をぶつけた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「……そういう生意気なところが、気に入らないんだって……」
肩で息をしながら谷川さんが立ち上がった。俺も完全に頭に血が上っていて、今はもう、谷川さんをぶん殴ることしか考えられなかった。
「あわわ…2人とも、やめんかーーーーい!!何しとんのやーーーー!!!!」
牧田さんが静止する声を合図に、2人ともまた取っ組み合って殴りあいを始めた。ちくしょう、絶対、
泣かしてやる!!!!
どれくらい、殴りあっただろうか。
はぁ……はぁ……はぁ……
お互い肩で息をし、相手をにらみつけている。谷川さんの顔は赤い血と紫のあざでコントラストができていた。俺も片方の目は開けていられないので、似たようなものだろう。
喧嘩の原因はもうすっかり忘れてしまったけれど、今はただ谷川さんにだけは負けたくないという思いが俺を突き動かしていた。
谷川さんの胸ぐらをつかむ。殴ろうと拳を振り上げたとき、後ろから強く腕をつかまれた。
「そこまでだ」
「……せらさ……
世良さんだと認識した瞬間、頬を張られよろめいた。世良さんは、続いて谷川さんの頬も張った。
「いい加減にしろ、バカどもが」
「……………………………………………………」
周りを見渡すと、ひどいものだった。
本や書類は散乱し、イスはひっくり返っていた。何が当たったのかはわからないが、書類整理棚のガラス窓にはヒビが入っている。
「なんの騒ぎだ」
俺も谷川さんも何も言えず、黙り込んだ。そんな俺たちを見て世良さんは大きくため息をついた。
「……とりあえず、傷の手当てをしてこい。片付けはその後だ。牧田、付き添ってやれ。また喧嘩しないよう見張っとけよ」
えぇぇぇ荷ぃ重過ぎやろぉぉぉ世良さん呼んできただけで堪忍したってよぉぉぉと気が進まない様子の牧田さんに「……ほら、行くぞ」とうながされ、俺と谷川さんは処置室へ向かった。喧嘩中には感じなかったジリジリとした痛みを感じ始め、もだえた。谷川さんも痛そうに顔をしかめていた。
「なんやなんや、どうしたん?一体何があったんや」
エレベーターの中で牧田さんが俺たちの顔を心配そうに診察しながら、けれどもほんの少しうきうきした様子で言った。
「あー、これ2人とも縫わんとあかんなーあ、さくらー?悪いけど処置室まで来てくれん?」
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
牧田さんが応援を頼む電話に、俺と谷川さんはますます黙り込んだ。




