寛解
眠りの海からゆっくりと引き上げられ、そっと目を開けた。あたたかい布団の中。谷川さんが私にしがみつくようにして眠っている。
(あ……そっか……私……谷川さんと……)
『好きだ』
彼の愛を、受け入れたんだった。
自分に絡みついている腕を、起こさないようそっと掴んだ。改めて、自らに確認する。
(勘違いしないようにしよう。昨日の『好き』はきっと、その、シたかったから言っただけのことだろうし)
『ヤってるだけで付き合ってるってのも……ね?』
『誤解させたんだったら、ごめんね』
あの日のことが頭をよぎり、身がすくんだ。
セックスって、好きな人とするものだと私は思っていたけれど、男の人はそうじゃないんだ。
この年になってそんなことも知らなかった(いや、情報として知ってはいたのだけど)自分が恥ずかしくなってくる。
(……勉強と部活しかしてこなかったもんな……。みんな、こういうのを経験してきてるんだー……)
今まで聞いてきた友人たちの恋愛話はこういうことを言っていたのか、と今さらながら理解が深まった。
「……ん……」
谷川さんが私を抱き枕か何かと思っているのか、さらにぎゅっとまきついてきた。さらさらの髪がくすぐったかった。
ごそごそと腕から抜け出し、谷川さんの方を向いた。顔にかかっている髪が邪魔そうだったのではらってやり、額にそっと口付けした。
「………?………あ……さくら………」
一瞬目を開けた谷川さんが少し微笑んで、またすぅすぅと眠りへ落ちていった。
ーーーー それからというもの、
『勘違いをしないようにしよう』という私の薄暗い決心が試されているかのように、谷川さんは私に優しく接してくれた。
就寝の挨拶のみではあるけれどほぼ毎日電話をくれたり(『あぁ、俺。今から寝るから。おやすみ』『あはは!はい、おやすみなさーい』)、帰宅する際雨が降っていたら送ってくれたり。
職場のエレベーターで乗り合わせたときに、そっと手をつないできたときはずいぶん驚いたものだった。
どれも谷川さんなりの愛情表現なのだろうと思うと、そのいじらしさに胸がときめくのを自覚した。
なんて、かわいらしい人なのだろうか。
ぎゅっと抱きしめて、よしよしとこねくりまわしたい衝動に駆られた。
そんな中、久しぶりに谷川さんの部屋にお邪魔したところ ーー
「充電させて」
ソファに座るやいなや、そう言って私に抱きついてきて、もうどれくらい経っただろうか。
読み終わった雑誌を脇によけ、谷川さんの肩に頬を寄せた。
「……もう満タンになりました?」
私の問いかけに答えはなく、ぎゅっと力が入ったのがわかった。
「もう少し……」
かすれた声がきこえる。どうしたのかと思い谷川さんを見ると、唇の端が上がっていた。その様子に安堵し、背中に手を回して、私も彼をぎゅっと抱きしめた。
「そうそう、満タンって、満タンクの略って知ってました?」
「……知ってる」
「じゃあ、給油機マークの三角の向きがそのまま給油口の左右を表してるのは?」
「……………それも、知ってる」
谷川さんが軽く微笑みながら私を見据えた。唇が重なり、そのまま互いの存在を確かめるようにキスをし合った。
「今度休みが合ったら少し遠出する?」
「いいですね。ただ、いつ休みが合うかが問題ですが」
くすくす笑いながら言うと、谷川さんが私の頭をくしゃっとなでた。
「…………牧田さんが、当直とかを嫌がる理由がわかった気がする」
「ふふ」
私の髪を手でときながら、彼が眩しげに目を細めて私を見ている。
「そんなに見つめられたら恥ずかしいんですが……」
甘い視線に耐えられず、横を向いた。
谷川さんが笑った気配がして、頬に優しくキスされた。
「さくら」
「はい」
「……さくら」
「もう、なんですか」
照れくささで顔がにやけてしまう。
職場でのクールな印象とは全然違う柔らかな表情。ふと整形外科の飲み会での出来事を思い出した。
『谷川さんって、彼女できたらどんな感じになるんですか?』
いい感じにお酒がまわり、遠慮がなくなってきた頃合いでの問いかけ。
皆が興味津々で耳を傾ける中、谷川さんの答えは確かこうだった。
『……どんな感じって言われても自分ではわからないけど……』
『……デレデレ、してると思う。嬉しくて』
その信じられない答えに、みんながゲラゲラ笑ったっけ。その反応に『じゃあ君たちはどうなんだよ』と憮然とした表情で返していた谷川さんを思い出す。
「なに考えてる?」
谷川さんがちゅっとキスしてきた。
「ふふ、飲み会のときのこと、思い出してました」
「……理佐主催のやつ?」
かなりの金額を出してくださった飲み会を思い出したのか、谷川さんが眉をしかめた。
「あ、いえ、それではなく。ーーその節はありがとうございました ーー、科の忘年会?か何かのときで」
「?」
「谷川さん、彼女できたらどんな感じって聞かれて ーー」
そこまで言ったところで、思い出したようで「あぁ」と言った。見つめ合い、ふっと笑った。
「デレデレ、してくれてるんですか?」
そう聞くと、抱きしめられ、ぎゅっとされた。
「……うん。本当に、嬉しいから……」
その言葉を聞いて、心がじんわりあたたかくなるのを感じた。谷川さんの優しさに、すさんだ心が癒されていく。
甘やかされる日々に、警戒心もだんだん薄れてきていた。
ーー もう一度、恋をしてみようか。
ーー 信じて、いいのかな?
谷川さんのぬくもりの中で、そっと目を閉じた。
『正………惑だっ…………だよね』
気づけばあの呪文も、最近は聞こえなくなってきていた。




