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さくらの恋  作者: ゆり
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転換点

 失恋の痛みを忘れたいから、というある意味身勝手な理由で、仕事に打ち込んだ。

朝から晩まで病院に詰め、当直をこなし、ほぼ休みなく働いた。必死だった。


 けれど、そんな機械みたいな働き方を生身の人間が続けられるはずがなく ーーーー











 麗らかな午後の昼下がり。ナースステーションではみんなが集まり患者さんの状態を確認・報告しあっている。私もその輪に参加し、耳を傾けて必要なところはメモを取っていたーーーーつもりだった。


「ーーせい」「ーーんせい」



「さくら先生」



 谷川さんから肩をゆすられ、ハッと顔を上げた。


「えっあっはい」


「……居眠りとはいい身分だな」


 辺りを見回す。みんなが遠慮がちに私を見つめていた。その視線を一身に受け気まずさに固まってしまったけれど「すみません」と声を絞り出した。


 仕事を頑張ろうと決心し最初は猪突猛進でなんとかなっていたのだけれど、回復できない疲労は徐々に積み重なっていき、確実に私を弱らせていた。1日に何本も栄養ドリンクを飲むのが癖になっていたが、最近はあまり効かなくなってきていた。


 谷川さんが、静かに続けた。


「あのさ」


「……はい」


「そんな状態で仕事できると思ってんの?舐めてんのか」


 氷のように冷たい声音に、全員が押し黙った。


「体調管理はしっかりしろ。自覚はないかもしれないが、細かいミスが多くなってる」


「!」


「感情の起伏も激しい」


「……申し訳ありません」


 沈黙が流れる。

 悔しくて、自分が許せなくて、握った拳がふるえた。涙を流さないよう、下唇を強くかんだ。


「………………今日はもういいから。家帰って寝ろ。明日も来なくていいから。ゆっくり休め」


「!そんな……


「今の君だったら、見学の学生の方がよほど役に立つ。ちょろちょろされたら目障りだから、みんなのためを思うんだったら家で寝てろ」


 いいな、と念を押し谷川さんは白衣を翻してナースステーションを出ていった。

ナースのみんなが気まずそうにお互いに目配せし合い、やがて各々持ち場や作業へそそくさと戻っていった。


 言われたことにショックを受けて立ち尽くしていたが、邪魔になっていることに気づき、深く一礼してナースステーションを後にした。












 結局早退をさせてもらい、部屋に戻ってきた。が、先ほど飲んだ栄養ドリンクが今頃効き始めたのか、目が冴えて眠ることができない。ソファに座ってぼーっとしているとスマホがなった。


 画面には『谷川さん』の文字。


 びくっとして、そのまま放っておこうと思ったが何か緊急の連絡だったらいけないと思い、通話ボタンを押した。


「……はい、藤村です」


『やっぱり寝てなかったか』


 電話口から聞こえた呆れたような声音にむかっとした。睡眠不足と疲れのためか、最近は怒りの導火線が短くなっている。

こういうところか、と谷川さんの指摘が正しいことに気づき、恥ずかしくなった。


「寝てたんですけど、谷川さんからの電話で起きてしまいました。ご用は何ですか?」


 精一杯虚勢を張って、言った。私が間違っていた、と認めると、気が緩んだのか目頭が熱くなった。


『……ご用というか……部長に叱られたよ。帰らせたのはやりすぎだって』


「…………………………」


 でも、と谷川さんが続ける。


『今の君が危なかっしいということは部長も同意見だった。というわけで、明日も休みでいいから。眠れ』


「えっちょっ、


『……期待の新人とか言われて天狗になってるんだろうけど。君ができることなんて俺たちは片手間でできるから。だから、こちらのことは心配しなくていい』


 全くその通りなのだけれど、現実をはっきりと言葉にされて、傷ついた。それだけ自分が調子に乗っていた証拠だろうと感じた。


 涙が溢れた。


「……わかりました。ご迷惑おかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」


 頭を下げながら言った。無意識で鼻をずずっとすすってしまう。谷川さんが電話先で眉をしかめたのが見えた気がした。


『……また泣いてんの』


「いえ、泣いてません」


『飯は?ちゃんと食ってんの?』


「…………………………」


『今から何か買って持ってくるから。逃げるなよ』


「えっいや、あの」


 ツーツーツー


 電話が切れてしまった。


 あらためて、部屋を見渡す。


 脱ぎ散らかした衣服、洗ってないお皿、捨てるのを忘れていたゴミ……。


 ひどい状態にもはやどこから手をつけたらいいのかわからない。思えば最近はカーテンもろくに開けていない気がする。


(…………………………)


 玄関を少し開けて受け渡しすればいっか、と思い、そのままベッドに寝転んだ。


 何もかもが、もうどうでもよかった。








 ピンポーン、とインターホンがなり、来訪者を知らせた。


「…………………………こんばんは、ありがとうございます」


 玄関を少しだけ開け、手を出す。


「………………お邪魔します」


 手は払いのけられ、強引に玄関ドアを開けられた。谷川さんがそのままズカズカと部屋に入っていく。


「ちょっちょっ、今部屋めちゃくちゃ散らかってて」


「……だろうと思った。とりあえずテーブルの上、飯食うスペース分だけ開けて」


 お湯ある?とインスタントのうどんを並べながら聞いてきた。


「あ、いえ、ないです、今切れてて……お水入れなきゃって思ってたんですけど……」


 言い淀みながら電気ポットの方を見やる。


「…………………………」


 谷川さんが無言で水を追加してくれた。いたたまれなくて、とりあえずそこらに散らばっているゴミをまとめ始める。


「……牧田さんで慣れてる。だから、別に恥ずかしく思わなくていいから」


 ゴミを集めている私に哀れを感じたのか、お皿を水につけてくれながら谷川さんが言った。


「風呂に入ってるだけ、君はまだマシだ」


 牧田さんは彼女に振られるとしばらく自暴自棄になるのだった。少しすると復活するのだが、その一助を担っていたのは谷川さんだったのか、と思い至った。

 コト、とうどんをテーブルに置いてくれた。


「インスタントで悪いけど、食べて。俺その間に風呂の掃除してくるから」


「いえ、そこまでしていただかなくても……」


「湯船につかれ。そしたら少しは疲れが取れるから」


「…………………………」


「もしかして、風呂掃除した後風呂に入ることに抵抗ある人?」


「いえ…………」


 これ以上言い返す気にもならず、麺をすすった。谷川さんが「ちゃんと噛めよ」と言って、お風呂へ行った。ご飯を食べさせ、お風呂に入れる。落ち込んだ人を慰める彼のメソッドなのかな、と思った。






 お風呂が沸くのを待っている間、谷川さんがお皿を洗い、私はゴミを集めたり衣服を洗濯機にかけたりした。夜だけれどカーテンも開け、空気の入れ替えもした。近所迷惑にならないようリビングだけ掃除機もかけた。

いつぶりか、部屋が蘇ったようだった。ずっと沈んでいた気分も、なんだか明るくなった。


「……谷川さん、ありがとうございます……!」


 両手を胸の前で組み、謝意を伝えた。そんな私に谷川さんは普段通りの無表情で言った。


「別にいい。それより早くお風呂入ってきて。それを見届けたら帰るから」


 時計を見ると22時少し前だった。谷川さんは明日も出勤なので、早く家に帰らせねばいけない。


「はい、じゃすみません、お言葉に甘えて入ってきます」


「……早く、とは言ったけど、ゆっくりつかってくればいいから。これ、読んでていい?」


 谷川さんが持っているのは私が学生時代に使っていた教科書だった。


「あ、どうぞどうぞ。基礎的な内容なので谷川さんには退屈だと思いますけど。ていうか、ここにあるもの、なんでも読んでくださいね。お腹空いたら冷蔵庫にあるものもどうぞ」


「……ほとんど傷んでたから、袋にまとめた」


「…………えっと」


「さっきも言ったけど、牧田さんで慣れてるから大丈夫。お風呂、どうぞ」


「すみません……」


 なんともバツが悪い。










 久しぶりに湯船につかると、体がふわっと浮かんだように感じ、そのままその温かさに身を委ねた。体の隅々までぽかぽかしてきて、谷川さんが言ったように疲れが取れるようだった。そのまま眠りそうになってしまい慌ててあがってきた。


「すみません、谷川さん。ありがとうございました。すっきりしました」


「うん。髪もちゃんと乾かせよ」


「あはは、なんか眠たくてもう立っていられないのでこのまま寝ようと思います〜」


 正直に伝えると、谷川さんがため息をついた。


「……乾かしてやるから。ソファに座って待ってろ」


 洗面所からドライヤーを持ってきてくれた。

 温かさとわしゃわしゃされる心地よさで猛烈な眠気が襲ってきて、船をこぎながら乾かしてもらった。


「ここで寝るな」


「……鍵は……カウンターに置いてます……使った後はポストに入れてくれればいいです……」


「…………………………」


「……わたし……谷川さん好きになればよかったんですかねー……」


 柔らかなぬくもりに包まれ、知らず知らず私は夢の世界へ旅立っていた。


 夢の中にも谷川さんが出てきて、私の髪をそっとなで、ぎゅっと抱きしめてくれた。


『…………やっと気づいた』


 何を?と思ったが、夢の中だとはっきりわかっていたので、問い返すことはしなかった。

そのまま贈られた ーーーー優しいキスに『くすぐったいよー』と言うと、見つめ合った谷川さんは、困ったように、笑った。

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