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さくらの恋  作者: ゆり
19/30

雨上がり

 夢と現実を行き来する心地よいまどろみの中、柔らかでいい香りのする枕にすりすりと顔をうずめた。


(あ、斗真さん柔軟剤変えたんだ〜。これもいい香り〜)


 そのまままた夢の中へ旅立ちそうになったが、ハッと我に返り、がばっと身を起こした。脳裏によぎるのは、あの日の映像。



『もう、仕事以外で会うのはやめよう』ーーーー


 

 そうだった、私はふられたんだった。


 大好きだった人からの、突然の別れの言葉。夢であるように、と何度願ったことか。

 けれど。

 同僚として最低限の会話はするが、練習も1人でこなし、なかのにも全く行かなくなってしまって……。

現実をひしひしと感じていた。

ズキンと痛んだ胸をおさえ、下唇を噛んだ。




ーーーーいや、でも待って。ここどこだっけ。




 失恋の痛みに浸りたい気持ちは一旦忘れ、見慣れぬ部屋をぐるりと見渡した。

家主の性格を表すように、きちんと整頓された部屋。


(そうだ、昨日谷川さんの部屋にお邪魔して……)


『うぇーーーーーーーーん!!!!』


 幼いこどもがそうするように、声を上げて大泣きしたのだった。

気の済むまでわんわん泣いて……


(そのまま寝てしまったんだ…………!!)


 しまった……!


 さーーと血の気が引いた。


 温かいお風呂に上げ膳据え膳のおいしい食事を頂いただけでも恐縮なのに、大泣きして泊まらせてもらうなんて……!


 後輩として、あるまじき態度。


 己のやらかしに、手をくわえてあわわ…と震えた。


(と、とりあえず土下座して謝罪!!誠心誠意謝ろう……!!)


 そう決意し、ベッドから下りる。

そーっと忍び足で部屋を歩くも人の気配が全くなく「?」となっていたとき、テーブルにサンドイッチと置き手紙があることに気づいた。かさ、と手紙を手にとる。


『仕事行ってくる。自由に過ごして』


 端には『腹が減ったときの出前用』と、マンションの住所が書いてあった。


「…………………………!!」


 なんて、面倒見の良い先輩なんだろう。


『気のいい兄ちゃん』が多い整形外科の中で、谷川さんはどちらかというとクールな印象を持っていたけれど。受けた親切を思うとそのイメージのままではいられなかった。今までの認識を改めようと思った。


「…………………………」


 谷川さんがいるであろう病院の方角に向けてぺこ、と頭を下げる。

ソファの上にきちんとたたんである自分の洋服に気づき、赤面した。






・・・






 がちゃがちゃ……と部屋の鍵を開ける音を聞きつけ、だだだっと玄関へ走った。

扉が開く前に滑り込み、額を床にめりこませる勢いで土下座した。


「すみませんでしたぁぁぁぁ!!!!!!」


「…………あぁ、うん」


 一拍置いていつも通りの声がきこえ。がちゃ、と鍵を閉める音がした。


「……えっと……そこどいてくれないと部屋入れないんだけど……」


「どうぞ踏みつけてお入りください!!!!」


「……そういうわけにはいかないでしょ。馬鹿なこと言ってないで早く立てって」


「合わせる顔がございません!!!!」


「…………………………」


 はぁ、というため息が聞こえ、脇の下に腕が入り込んできたかと思うと、私は持ち上げられ、谷川さんの肩に担がれていた。


「え!?え!?私重いですよ!ていうか谷川さん力あるんですね……!」


 どさっとソファに下ろされた。


「だる……」


「すみません……!!」


「…………っていうか、何これ」


 谷川さんが ーーテーブルに乗っている2人で食べるには少々多いスイーツ達を見て、ぎょっとして言った。

彼を直視することができず、目を逸らしてしどろもどろで答えた。


「えと、その、昨日のお詫びをって思ったんですが」


「…………………………」


「谷川さんのお好みがわからなかったので、あれもこれも頼んでしまって……」


「…………………………」


「その……今日食べきれなくても冷蔵庫に入れればいいかなーって思って……」


 沈黙が、つらい。


 お詫びをするつもりがさらにお詫びをしなければいけなくなりそうで、冷や汗が出てきた。


「……余計なことでした申し訳ありません論文のお手伝いでもなんでもいたしますのでどうぞこき使ってください」


 ソファの上で再び土下座すると、また谷川さんがため息をついた。


「……手洗いうがいしてくる。コーヒー淹れるからお湯沸かしといて」


「! はい!」


「あ、それと家の鍵、デスクの上に置いたままだった。危ないから回収してきた」


 ぽん、と渡された。


「……何から何まで申し訳ありません……!!」


「別にいい」


 そう言うとまるでペットにそうするように私の頭をわしゃわしゃとなで、洗面所へ向かっていった。














「あれ?谷川さんもう食べないんですか?」


「…………………………2個で……限界…………」


「え〜〜!おいしいのに〜〜!!」


「……………………………………………………」


 谷川さんがフォークを置いて、濃い目に淹れたコーヒーを飲んだ。表情がげっそりしているのは気のせいだろうと思いたい。


「…………今日はもう夕飯はいらないな…………」


「!あ、朝サンドイッチ作ってくれててありがとうございました!とってもおいしかったです!!」


 朝のご馳走を思い出し、慌ててお礼を言った。


「あぁ、レタス余ってたから……」


「それであんな美味のサンドイッチ作れるなんて尊敬です……!」


「…………………………」


「谷川さんが家にいてくれたら、毎日ご馳走ですね〜」


 そう言いながらフルーツタルトを口に運ぶ。新鮮な果物の美味しさが口いっぱいに広がり、なんとも幸せな気分になった。


「……少しは元気になったみたいで、よかった」


 谷川さんと目が合う。相変わらず無表情ではあったけれど、雰囲気が少し柔らかい気がして、なんだか照れくさくなった。舌がもつれた。


「あ、えと、その、本当に…ご迷惑おかけしてすみませんでした……!」


「別にいいって。そもそも俺が原因だったんだし。もうその話はなし」


「…………はい」


「…………別に今日も泊まっていいし」


「わぁぁぁほんとにすみませんでしたぁぁぁ」


 頭を抱えた私に谷川さんがふっと笑った。


「皮肉で言ってるんじゃないけど」


「甘やかさないでくださーーい!谷川さんみたいなしっかりした人といると絶対自堕落になりますからーー!!」


 手のひらを向けてNOの意思表示をする。弱っているときにこんな風に至れり尽くせり優しくされたら、私きっと……きっと……




(………………ものすごくっ……ダメ人間になるっ………………!!)


 


 寝転がってせんべいを食べながらお尻をかいている自分が想像でき、身震いした。あれは正月だから許されることであって、日常では許されないはずだ。

うんうん、と1人納得している私に、谷川さんが静かに言った。


「……ま、いつでも来ていいから」


「ありがたいご提案、深謝いたします……!」


 深々と頭を下げると谷川さんが「深謝って書き言葉だろ」と笑った。











「じゃ、気をつけて」


「はい!お世話になりました!」


 谷川さんが頭をなでてくれる。


「…………こういう時は、あまり1人にならない方がいいんだけど」


 心配してくれているようだ。本当に、なんて面倒見のいい先輩なんだろう。


「大丈夫です!今日は学生時代の友人のところに行く予定ですので!」


 谷川さんが仕事に行っている間、香奈恵から『ねぇたまには遊びに来ない?』と連絡があった旨を伝えた。ほっとした様子で、言った。


「ならよかった。じゃまた病院で」


「はい!」


「あ、ちょっと待ってて」


 友達と食え、と余ったスイーツをもらった。香奈恵もきっと喜ぶだろう。ぺこっと頭を下げて谷川さんの部屋を後にした。

 吹き抜けから暖かな風がさぁっと吹いて、頬をなでていった。

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