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さくらの恋  作者: ゆり
17/30

〈サイドストーリー〉谷川くんと前田ちゃん

 今回の主人公は、鈴木病院で働く看護師・前田ちゃんです。

 勤務時間が終わり、やり残した事務作業を片付けて、ようやく帰路に着く。太陽はとっくに沈んでいて、きれいな三日月が静かに街を照らしていた。

 オレンジ色の柔らかな街灯の下、てくてく歩いていると、よく見知った後ろ姿が、前を歩いていることに気づいた。


「ーーーーーーーーーー」


 たたたっ、とかけ寄り肩を叩いた。


「よっ!ここで会ったが百年目……」


「…………………………」


 無言でじとっと見るーーーー谷川先生に構わず、私はくいっとお猪口をあおる仕草をした。


「いっとく?」


「……休肝日は作ってるのか」


 返事を待たず、すでに繁華街の方へ足を向けていた私に向かって、言う。


「理佐」


「あはは!出たよ、修也の小言が〜」


 笑いながら振り向くと、谷川せんせーが先ほどとかわらないジト目で私を見ていた。






ーーーーー






 ほどよく落ち着いた小料理屋のカウンターで、2人、酒を酌み交わす。


「ていうか、君との付き合いももうどれくらいだっけ?小・中…9年?足す、大学で3年?足す今の病院でもう何年だっけ……」


「……………………………………………………」


「ちょっと、何か言ってよ〜!さっきから私1人で喋ってんじゃーん!」


 私が修也の肩をバシバシ叩くと、彼は少し眉をしかめ軽く睨んできた。


「………………お前相手に話すこともないだろ」


「修也くーーん?それって『付き合いの長いあなたでしたら無理して話す必要がないので気が楽です』って意味だよね?」


「……………………………………………………」


 修也が酒をあおった。コップに琥珀色の液体を満たしてやり、自分のコップにもついだ。


「ねぇねぇあんたさ、付き合いが長くなるほど無口になっていくから、今までの彼女にも逃げられたんじゃない?」


「…………………………そうかもな」


「おっ、返事したところ見るとちったぁ気にしてんだ?」


「……………………………………………………」


「せっかくこんなに麗しい見た目してるのに、イケメンの無駄遣いだよ、君は」


 遠慮なしに覗き込んで、観察する。


 さらさらの髪に、日焼けしたらすぐ赤くなってる白い肌、身長は175くらいって言ってたっけ?

そして『谷川くん』と言えば、


「ね、メガネはずしていい?」


「…………………………どうぞ」


「…………いつ見ても、綺麗な色の目だよね〜」


 彼の、切れ長で、そして日本人にしては珍しい灰色の瞳をじぃっと見つめる。いつもはメガネをしているからあまり目立たないけれど、なんて神秘的なんだろう。その美しい双眸に自分が映っていることがなんとも不思議だった。


「うっとり〜」


「……………理佐」


「うん?」


「胸、テーブルに乗せるな」


 恥ずかしげもなくさらっと指摘され、思わず笑ってしまった。こいつの、こういう何も意識してないところが、嬉しかった。貴重な友人だ。


「あはは、ごめんごめん。大きいと肩凝るのよ」


「……またしょうもない男に引っかかるぞ」


「またって言うな」


 タックルすると「やめろって」とたしなめられた。

酒を煽りながら話を続けた。


「は〜〜〜〜なーーーーんか私って男運ないんだよね〜〜〜〜」


 修也が酒をトポトポと足してくれた。


「修也は?どうなの最近?いい人いないの?」


「母親みたい……」


 ははっと吹き出したときの彼の笑顔に、なんだか嬉しくなった。彼がこんな風に笑うのは親しい人の前でだけだから。友情のリトマス紙がいい反応をしてくれたことで、私は一気にテンションが上がった。


「そうだよ!おばちゃんだって心配してるって!!だって私たちもう36だよ!?周りのみんなもう結婚してこどもいちゃったりするよ!?あ、ていうか、おばちゃん元気?」


「……元気でやってるよ。理佐が手術室看護師で頑張ってるって知って、泣いてた」


 この間久しぶりに帰省したときに理佐の話になってさ、と言った。


「…………………………」


 修也の言葉に、私も胸があつくなった。目頭がじんとして、思わず涙がこぼれそうになった。

無言で差し出されたハンカチを受け取り、目に当てた。


「あ、ごめん、化粧ついちゃった。洗って返す」


「……別にいい」


「えーーおばちゃん私のこと覚えててくれてんだ〜嬉しいなぁ」


「……お前が大学中退したときもずいぶん心配してた。なんとか理佐ちゃんの分もってお金の工面、努力したみたいだけど。すまないな、うちはフツーのサラリーマン家庭だから……」


「いやいやいや、そこまでしていただくわけにはいかないって!!」


 修也とは家族ぐるみで仲良くしていたから、その関係で私のことも娘みたいに思ってくれていたのかもしれない。


……思い出すのは、私の人生の転換点。

親の会社が倒産し、私はーー 医学科を中退せざるを得なくなって。

国立だから学費だけでもなんとかとアルバイトに精を出すと今度は授業についていけなくなり。

精も根も尽き果てて、私は中退という道を選んだのだ。援助を申し出てくれる親戚もいたが、家族が大変な中自分だけ好きなことをやり続けるのは気が引けて、辞退したのだった。

 


「……懐かしいなぁ。あったよねぇ、そういうことも。ふふ」


 懐古モードに入った私に、励ましのつもりなのか修也は私の好きな鴨を頼んでくれた。


「退学届出したとき、君が外で待っててくれたんだよね。あれ、まじで泣いたわ」


「……………………………………………………」


 退学届が受理されて、担当課の自動ドアから出てきたとき。修也の姿が目に入って涙が溢れてきたんだった。

先が見えない不安に押しつぶされて、修也の胸の中でわんわん泣いたっけ。『どうして』って。『辞めたくないよ』って。ーー本当に、今ではいい思い出だ。


「……あの翌日から急にいなくなったから、ずっと心配してた。実家に行ってももぬけの殻だったし」


「あはは、見送られるのが嫌だったからさ。引っ越しの日にち、嘘教えてた。ごめんねー!なんか、意地?だったのかもー」


「……大変だったな」


 ふと隣を見ると、修也が慈愛に満ちた目で私を見ていた。その優しさに、不覚にも涙が出そうになった。どうも今夜はセンチメンタルになってしまっていけない。努めて明るく言った。


「ちょっと、何よ今さら〜!黒歴史だけど、もはや私を彩るアクセサリーにすぎないわよ〜!」


 バシバシ修也の肩を叩いた。華奢に見えるけれども、意外に逞しい腕にどきっとした。


「……うちの科の医者全員、理佐のこと一目置いてる」


「あっはっは!そうそう、だから皆気前よくおごってくれるのよね〜!」


「気前よくかどうかは……わからないけど……」


 修也が笑いを噛み殺すように口元に手をやった。


「一目置いてる、だなんて嬉しいこと言ってくれちゃって!このこの〜」


 肘ドリルを喰らわすと「痛いって」とまたたしなめられた。


「……私さ、猛勉強して奨学金勝ち取って看護学校に入学したときに、決めたんだよね。絶対医者から尊敬される看護師になってやるって。だから、今の言葉聞いて、なんか嬉しかったわ。昔の私が救われた感じ」


 いや、私の仕事ぶりに、というよりは私の生い立ちにって感じなんだろーけどさーていうかこんな動機じゃナイチンゲール先生に怒られるねーと頭をガシガシしながら言うと、


「……きっと、両方だよ」


なんて言うものだから、本日のお会計は私が持つことにした。








「ごちそうさまでした。ありがとう」


「うんうん、楽しかったー!今度はまたみんなで行こうね!」


「……ボーナス出たあとね」


 そんな会話を交わしながら、とことこと川沿いを歩いていた。風がほどよく冷たくて、いい酔い覚ましになった。


 ふと、横を歩く修也の手を握ってみる。


 相変わらずの無表情で、こちらを見た。


「どうした」


「いや、この手がたくさんの患者さん救うんだよな〜って思って」


「…………………………」


「いいな〜私もそうなりたかったな〜」


 看護師を選んだことになんの後悔もないけれど、たまに、ごくたまに、私が諦めた職業に就いている人たちが羨ましくなることがあった。私だって、もしあのまま勉強を続けてたらって。ま、八つ当たりしても仕方ないことは、よくわかってるんだけどね。


「……お前が器具を渡してくれるから、手術ができる」


「えっ?なんて?」


 物思いにふけっていたせいで、よく聞き取れなかった。


「医者1人いたってどうにもできない、って言った」


 繋いだ手は握ったままで、修也が言った。その真剣な瞳と目が合い、どうにも気恥ずかしくなって目を逸らした。


「理佐、だから、君みたいな優秀な人がいて助かってる……っていうようなことを……言いたいのか?」


 うん?と小首をかしげる。その仕草が面白くて、吹き出してしまった。


「私に聞かれても」


「うん……まぁそうなんだけど……」


「あはは、まぁ明日からもまた頑張ろうね!」


 繋いだ手を「おー!」とかざした。夜空にきらめく星たちが見えて、こんな街中でも見えるんだ、と嬉しくなった。






「そうそう、君のいい人の話、聞きそびれたね」


「…………………………お前に話したら明日には院内中に広がるからやだ」


「えっ、やっぱいるんじゃん!院内に広まったらやだってことは院内の人だよね?えっ誰?あ、わかったさくら先生でしょ!それとも薬事課のあの子?技師のあの子や医事のあの子も修也好みだと思うけど……」


「…………………………」


「とにかく応援するから!大丈夫、君見た目も中身もイケメンだから、あとは自信持つだけ!基本無口でたまに喋ったと思ったら小言で言い方きついから反感買うのが玉にキズだけど!!」


「……ねぇ、それ褒めてるの?」


 苦笑いする修也に、言った。


「褒めてるに決まってんじゃ〜ん。君は、私の自慢の友達なんだから!」


 酔っ払い特有の気の大きさで修也と肩を組む。小学生のときは同じくらいだったのに、今は腕を上に上げないといけないことに、時の流れを感じた。

うん、お互い、大きくなったな。


「……俺もそう思ってるよ」


「あ?なんて?」


 またまた物思いにふけっていて、修也が何か言ったようだったけれど、よく聞こえなかった。


「何でもない」


「えー何か言ったじゃん今!あ、私の部屋に来たいって言ったの?」


「一応送っていくつもりだけど、それは絶対ない」


「なんでよ!はさんであげるよ?」


「……だからしょうもない男に引っかかるんだって……」


「言うなそれを〜〜!!」


 ヘッドロックして頭をぐりぐりしてやった。なんだか、小学生の頃 ーーあの、金持ちもビンボーも男も女も関係ない、ただただ楽しくてひたすら退屈だった日々に戻った気分になって、でも決して戻れないんだと思うと、胸がズキンとした。

まったく、今夜はどうもセンチメンタルになってしまっていけない。

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