悠介くんに、相談だ
優美な箏の旋律が流れる中、いつもの料亭のいつもの個室で、俺と悠介くんは和やかに飯を食っていた。さくさくとした天ぷらが美味い。
悠介くんも「うまいっすね、これ」と舌鼓を打っていた。
2人してもぐもぐしながら、あるがままを話した。言葉を選びながら話をする間柄でもないので、気が楽だ。
俺の話を聞いて、悠介くんが言った。
「…………うん、事情はわかりましたけど…………」
困ったように笑っている。
「その……今すぐ関係を清算したいとかではなく……このもやもやした気持ちの正体が知りたいってことですかね?」
「………………ごめん、自分でもよくわかんなくて……。とりあえず誰かに話したかったのかも、この禁断の関係を……」
そう言うと、悠介くんが爆笑した。
「あっはっはっはっは!!禁断の関係、て!!相手が未成年とか人妻ではないんだから、法的になんの問題もないでしょ!!!!」
「いや、そうなんだけどさー……。後輩に手を出すって何かそれと同じような罪の意識があって……」
悠介くんがまた大声で笑った。
「斗真さん、意外に真面目なんですね」
「……だってさ、自分を慕ってくれる人に手を出すって、人の道を外れた行為じゃん……」
「そんな大袈裟な」
くっくっと楽しそうに笑いながら、汁椀に手を伸ばした。
「差し当たりなんの支障もないんだったら、しばらく様子見でいいんじゃないですか」
「……………………………………………………」
「……なんかあるんすか?」
悠介くんが汁椀ごしに俺を見つめてくる。相変わらずきれいな目だ。
うまく言葉にできるかわからないけれど、困っていることを伝えた。
「……なんかさ、さくらちゃんをめちゃくちゃ目で追うようになって」
あ、さくらちゃんって言うんだけど、と伝えると、悠介くんが合点がいったようにああ、あの!と言った。
「元気で明るい子ですよね。うちに何回か妻と娘に会うために遊びにきたことありますよ」
「へー、そうなんだ」
俺の知らないさくらのプライベートを知って、なんだか嬉しかった。
「知ってる子だから、なんかお話の解像度上がりました。目で追うんですね?かわいいですもんねー」
悠介くんがくいついてきた。完全に面白がっている。
「……かわいいとかじゃなくて……いや、かわいいんだけど……いや、うん、なんか気になって……」
「うんうん」
「姿が見えると嬉しいし、さくらちゃん休みの日だとなんだ今日休みか〜何してんのかなって思うし。さくらってきいただけでなんかどきっとするし……」
「うんうん」
「病院で普通にされるとなんだかもやっとするし、いや、べたべたされても困るんだけどさ……。で、2人になったときに甘えられると今までのもやもやが吹き飛んで『も〜〜この〜〜』ってなるんだけど」
「うんうん」
「……なぁ、このそわそわした?なんとなく落ち着かない気持ち?なんなの?胸が苦しいんだけど!」
「あっはっはっはっは!!」
悠介くんが大爆笑した。腹をかかえてひーひー笑っている。
「自分のことは案外わからないものですもんね」
「わからなすぎて困ってるのよ。俺まじどうすればいいんだろーーーーーー」
はぁぁぁ、と盛大にため息をつくと、悠介くんがまた笑った。
「うん、時の流れに身を任せればいいですよ。そのうちいい感じになりますって」
「…………………………」
「大丈夫、大丈夫」
「そうかなぁ……」
「そうですよ。ていうか、下手に別れ話になってこじれると大変ですし」
悠介くんがしみじみとしながら、鯛の茶漬けの準備を始めた。
「別れ話がこじれて、俺包丁持ち出されたことありますしね」
「マジで??どうやってサバイブしたのよ」
物騒な話だが、興味津々に聞いてしまう。
「そのとき2階の部屋だったんですけど、財布とスマホ持って、ベランダから飛び降りました。幸いその日雪積もってたんで、足首の捻挫くらいで終わったんですけど」
あはは〜と呑気に笑う悠介くん。なんてワイルドなんだ。確か何年か前に本当に刺されたはずだが、その話も彼の中では懐かしい思い出の1つになっているのかもしれない。若干気圧されながらすごいね……と伝えると、
「なんか俺、好きも嫌いも極端な感情を向けられやすいみたいで。そういう性質なんですかね〜」
とこれまた呑気にあはは、と笑った。
鯛茶漬けをうまうま、と食べながら悠介くんが言った。
「斗真さんはないんですか?そういうおもしろい……じゃなくて、印象に残る別れ方」
わくわくした表情に苦笑いしながら答える。
「ないね〜……ていうか、別れ話らしい別れ話ってしたことないかも」
「と、言いますと」
「うーん、なんか、なんとなく始まって、いつのまにか終わってる感じ。考えてみれば、ちゃんと付き合ったことってないかもー」
「あはは、思い返せばそう思うだけで、その時はその時なりにちゃんとしてたんじゃないですか?」
朗らかに笑う。
「………………悠介くんてさー、たまにめちゃくちゃ大人なこと言うよねー。年下とは思えないもん。兄貴と話してるみたい」
「あはは、そうですかね?あ、年といえば……」
悠介くんがそう言ったところで「失礼します」と襖が開き、仲居さんがお茶のおかわりを持ってきてくれた。デザートの準備をしていいか問われ、お願いした。
「ま、とにかく、様子見でいいと思います。続報、楽しみにしてますから」
男2人、抹茶のアイスを頬張りながら話す。
「………………完全に面白がってるでしょ。相談する人間違えたわ………………」
「あっはっは!!そんなことないですよ!!応援してますからね」
そう言って、さわやかに笑った。
妻ちゃんたちへのお土産を持たせ、その日は別れた。すっきり解決!とはならずとも、誰かに話したことでずいぶん気分が晴れた。
そして翌日からはもやもやを抱えつつも、悠介くんのアドバイス通り、流れに身を任せてみた。
『成り行き任せ』というのは運命というものへの敗北宣言のように思えたが、仕事の忙しさも相まって、あっという間に3ヶ月が過ぎていった。
そしてその間、今までの俺では考えられないことが一つあった。
ーーなんと!自分の部屋にさくらを招待したのである!
今まではトラブル防止のため女の子を部屋に呼ぶ、なんてことはしなかったのだけれど、どういう風の吹き回しか、いつもさくらの部屋ばかり行くのも悪いなぁと思い、満を持して誘ってみたのだった。
前日は念入りに掃除をし、初めて自分の部屋に彼女を呼ぶ高校生みたい、と苦笑いしたものだ。
『わー!きれいなお部屋ー!きゃー!このクッションかわいいー!』さくらが楽しそうに過ごしてくれたのがとても嬉しかった。
時折「これでいいのかな……」と不安になりつつも、だんだん仲も深まってきて、悠介くんが言ったような「いい感じ」になってきた頃。
俺はまた、新たな感情に直面して頭を抱えていた……。
「さくらちゃーん」
「ん?なんですか?」
「俺のこと好き?」
「ふふ、はい。好きですよ」
俺の部屋。
ソファで膝枕してもらいながら甘えるように問えば、聞きたかった返事が返ってきて満足した。
俺の髪をなでてくれる手が心地よく、ゆっくり目を閉じる。あたたかな温もりに身を委ねた。
「……さくらちゃん」
「はい」
「……なんでもない」
「ふふ、どうしたんですか」
さくらが微笑んだのがわかった。
今、この瞬間の幸せを壊したくなくて、胸の中の感情のうねりに蓋をした。
言えるわけない。
『ねぇ、たまにはさくらちゃんからメッセージちょうだいよ。いつも俺からじゃん』なんて。
『ねぇ、男性スタッフとそんなに仲良くしないでほしいんだけど』なんて。
そして。
『ていうか、最近谷川さんと仲良くしすぎじゃない?』なんて ーー。
今俺の心を蝕んでいるのは、恐ろしいほどの独占欲と嫉妬心だった。今まで経験したことのないものに、俺はひどく心を揺さぶられていた。
(やばくない?俺ちょーうざい奴じゃん……。さくらちゃんの前では『かっこいい斗真さん』でいたいのに……)
知らず知らず眉間に皺がよっていたようだ。さくらが指で優しくほぐしてくれた。その指をつかんでそっとキスすると、くすぐったいのかクスクスと笑った。
そのままイチャイチャモードに突入しようとしたところ、
ピコーンピコーン
タイミングよく(悪く?)さくらのスマホが震えた。
「ん?なんだろ」
「え〜まさか呼び出し?」
「いえ、メッセージだと思いますけど……。確認していいですか?」
そっと俺をおろして、ソファのそばに置いていたバッグからスマホを取り出した。画面を見てあぁ、という顔になり、シュシュッと返信していた。
じーっと見ていた俺に気づき、にこっと笑う。
「今度、看護師の前田さん達と女子会しようって言ってたんです。その日程の件で」
画面を見せてくれる。
そこには『お疲れー!この間言ってた飯の件、X日土曜日でどう?』と彼女の話し言葉そのままの文面があった。さくらは『大丈夫です!よろしくお願いします!』と返信していた。
メッセージの相手先が『前田さん』となっていることを視界の隅で確認した。
さくらがスマホをバッグにしまう。いそいそとまた俺のところに戻ってきたさくらを抱きしめる。
「いーなー、俺も行こーかなー、楽しそ〜」
「いいですね!斗真さん来たらみんな喜びますよ!前田さんに聞いてみましょうか?」
「……いや、いい……女子会邪魔するのも悪いし、前田ちゃん酔ったら説教してくるから怖いし」
「あはは、前田さんに言っときますね」
「ゔ、そこは黙っててもらえると助かります……」
「ふふ」
ちゅ、ちゅ、と口付けを交わしながら2人でくすくす笑い合った。
ーー 今この瞬間だけは。
独占欲や嫉妬心だとかの嵐のような暗いものから解放され、俺の心は凪ぐのだった。