斗真さんと愉快な仲間たち
ナースステーションで患者さんの状態の確認等を終え、医師の詰所に顔を出そうと白い廊下をとぼとぼと歩く。
週の後半・木曜日。
一昨日は当直だったのだが疲れがまだ抜けきれず、なんとなくダラダラしてしまう。
(あーー30越えるとなんかガタきた気がするわ〜。さくらちゃんの元気が羨ましいよ……)
底抜けに明るく元気な後輩を思い浮かべる。
今日は彼女が当直のため、練習に付き合う必要はなかった。こういう日はさっさと帰って寝ようと思う。
(あ、でもたまには筋トレもしたいな。その後なかのでたんぱく質とれば完璧だろ)
会費だけ払って最近全然行けていなかったジム。あれしてーこれしてーとトレーニングの内容を考えるとうきうきしてくる。頭の中で出来上がった充実したプランにししし…とほくそ笑んだ。
そしてそこではた、と最近は自分の予定がすっかりさくらありきの予定になっていることに気づいた。
(改めて考えると……なんか笑えるな)
俺って面倒見がいいわ〜なんて自画自賛していると、詰所に着いたのでガチャと扉を開けた。3人の先生方が自分のデスクで各々作業をしている。
3人の目が一斉にこちらを向き、俺を捉えた。
1番先、おちょくるような調子で口を開いたのは、よくからんでくる先輩・牧田さんだ。
「よぅ、斗真。相変わらずナースと仲がええなぁ?」
「…………………………」
そしてその横にいるのは何かと俺に手厳しい先輩・谷川さん。
髪はサラサラなのにネチネチ口撃してくる嫌な奴だ。メガネの奥の細い目が不快げにしかめられている。
書類をかざして、言った。
「……ねぇ、ここ漢字間違えてる。恥ずかしいから早く直してくれる」
「…………………………」
「はっはっは!!それくらいだったら谷川が直してやればいいじゃねーか!」
ピリピリした空気を吹き飛ばすように笑っているのは奥の席にいる厄介な先輩・世良さんだ。この人の何が嫌かというと。
「斗真はナースや患者のご機嫌取りで忙しいんだからさー」
「ーーーーーーーーーー」
ニコニコして一見無害そうに見えるけれど、堂々と悪口を言ってくるのだ。今も笑ってはいるけれど、後輩という弱者をいたぶって、どういう反応をするのか楽しんでいる節がある。
「ほんまやなぁ。まぁ、年若ができることってそれくらいやから、ええんとちゃいます?」
牧田さんがことさら丁寧な関西弁(なのか?よくわからん)で言い、世良さんと一緒に笑った。
ーーーーこの、整形外科の性悪先生どもめ。何度殴り合いの喧嘩になりかけたかわからない。
こめかみがびきびきするのを押さえ、反撃開始だ。
まず。
「牧田先生、俺は患者さんの状態を確認しに行ってきただけですので。ナースと遊んでいたのではないか、というご指摘はあたらないかと思います」
牧田さんがむっとしたようにこちらを見た。
「ーーていうか、今度の彼女は関西の方なんですか?先輩のそういうとこ、かわいくて俺好きです」
にっこり笑って言うと、牧田さんが真っ赤になって口をぱくぱくさせた。ほんと、かわいい先輩だ。
彼は彼女に影響されやすいらしく、服装や趣味や話し方まで、相手に染まってすっかり変わってしまうのだった。おかげで日本各地さまざまな方言がきけて楽しい。
次。
「世良先生、ご機嫌取りとのご指摘ですが、下っ端の俺が言うのも生意気ですけど、医療はチームプレイのようなものだと考えてます。日頃からコミュニケーションをとることはそんなに無駄なことではないと思いますので、大目に見てもらえるとありがたいっす」
「…………………………」
世良さんが口の端をあげた。この人がそうするときは半分はムカついて、半分は面白がってる時だ。ここはもう一押し言っておかねば。
「……でも先生がそのようにお感じになったということでしたら、俺の接し方もまずかった面もあるかもしれません。改めますね」
まったく、こっちの方がよっぽどご機嫌取りだよ、と思いながら軽く頭を下げた。
世良さんは満足げに笑って、両手を頭の後ろに組んだ。
「お前は、人間関係の匙加減が絶妙だな」
「中間管理職的役割をする真ん中っ子ですので。先生たちにもずいぶん鍛えられましたし」
「ははは!」
世良さんが破顔した。いじわるモードはすっかり解除されたようだ。この人はいじわるなときとそうでない時の落差が激しい。
「あ、世良先生、来週の手術の助手の件、俺に機会をくださってありがとうございます」
言おうと思っていたお礼を伝える。
「あぁ、いいよ。いつも部長の助手ばっかしてるからさ。たまには違う人につくのもいいだろ」
普通モードのときはまともなんだけどなぁ……と気が抜けたところで、椅子の背をぎこぎこさせながら話をきいていた谷川さんが口を挟んできた。
「さくらとの練習の成果、見せてくれよ?ま、本当に練習してるのか、怪しいけどね」
言うなよ、と牧田さんが谷川さんをこづき、谷川さんが苦笑いしながら肩をすくめた。頭に血が上りかけたが、冷静に、受け流す。やっつけるのを忘れていた。
谷川さん。
俺の、ちょーーーー苦手な先輩。
「あははー、来週頑張りますーーあ、漢字もすぐに訂正しまーす」
俺が怒らなかったのが面白くなかったのか、谷川さんはパソコンに向き直ってしまった。喧嘩を回避できて、俺はふぅ、と喉を鳴らした。
他の2人とは喧嘩になってもラーメンでも食べに行きその後サウナに入れば仲直りできるのだが、この谷川さんには通用しないのだった。飯すら一緒に行ってもらえない。
……本当に、俺のことが嫌いなのだと思う。
少ししょんぼりした気分になりながら、デスクに座った。
(男から嫌われるのは別にいいけどさー。でもさー、それを隠そうともしないって大人気なくなーい?)
別にいい、とは思いつつやっぱり気になってしまうのは人間関係に気を使いすぎる中間子のサガなのか、はたまた自分がそういう性格なのか。
(…………こんなときは、さくらちゃんとしゃべりたいなー)
『斗真さーん!どうしたんですかー!』
あの明るい声を、無性にききたくなった。
そんなことを考えながら、指摘された漢字の訂正をしようとファイルを開く。
カタカタ…とキーボードを打っていると、谷川さんのphsが鳴った。
「はい、谷川です。……うん、うん。それでいいから。はい、よろしく」
わー俺『よろしく』なんて言われたことなーい。
ちらっと谷川さんを見ると、相変わらずの無表情だったが、口元がなんとなく微笑んでいるように見えた。声も、心なしか優しかった気がする。
(……ふーーん、谷川さんにこんな顔させるなんて、相手誰だろ?)
何人かの顔が浮かんだ。
「何?」
じっと見てしまっていた俺に気づき、谷川さんが眉をしかめて言った。
「あ、いえ、なんか谷川さん優しー相手誰だろーって思ってー」
「くだらねぇこと言ってないで、仕事しろよ」
……この調子である。ご丁寧に舌打ちまでしてくださり、お心遣いに感激した。
「俺にももう少し優しくしてくださーい」
「…………………………」
返事は返ってこなかった。
静かな部屋に、キーボードを叩く音だけが響いていた。