8・ファントムペイン
幽霊の男性の首筋にできた、空間が裂けるような亀裂。
この亀裂はスキンヘッドの褐色肌の男性の幽霊だけでなく、もうひとりの金髪細身の男性の幽霊の首筋にもあるみたいだった。
翔子は側に佇むはすな様に訊ねる。
「……はすな様、この首筋の亀裂みたいなの、いったい何なのかな……?」
褐色肌の男性の側に寄り、亀裂を間近で見たはすな様も首を傾げた。
「これは……。うーむ、儂にもよく分からんが、ひょっとすると霊魂そのものに傷が付いているのかもしれん……。なんにせよこんなものを見るのは儂もはじめてじゃ……」
長く幽霊としてこの世に存在しているはすな様。
そのはすな様も見るのが初めてなら、翔子にわかるはずもなかった。
ただ、このふたりの外国人男性は、殺されるという死の苦しみを味わってなお、さらに苦痛を味わっているという事だ。
完全に肉体を失い、痛覚すらないはずの幽霊が感じる痛み。
それはいったいどんな物なのだろう。
翔子の頭の中にふと、前に本で読んで知った幻肢痛という言葉が浮かぶ。
幻肢痛――ファントムペイン。
腕や足を切断した患者が、失ったはずの腕や足がまだそこにあるかのように痛みを感じる病気の事だ。
そしてその病気は、心身症、つまり心から来る病気なのだという。
実際の幻肢痛と完全に肉体を失った幽霊が受ける痛みは全く別のものだろう。
けれど、幽霊という存在が今まで生きてきた人の心の残滓の表出であるならば、幽霊が痛みを感じると言うことは死してなお心が傷つけられているという事かもしれないと翔子は思う。
この首筋の空間の亀裂のようなものは、この男性が受けた、心の、魂の傷なのだろうか?
じゃあ、その傷はどうやって付いたのだろう。
「ねえ、はすな様。はすな様が最初にこの人たちを見つけた時、首筋にこんな亀裂みたいな傷、あったの?」
翔子が訊ねると、はすな様は首を横に振る。
「……いや、儂がこの幽霊たちを見つけたのは今日の夜が明ける前の深夜の事なんじゃが、その時はこの幽霊たちはどこかしんどそうにしておったものの、まだ普通に異国の言葉を発しておったし、儂は首筋の亀裂までは気づかなかったの。……ただ、ここに姿が見えんもう一人は、今のこの二人のように首筋を押さえて苦しそうにしておったな」
はすな様が死体を見つけた時はまだ、このふたりの幽霊たちはここまで苦しそうにはしていなかったという。
ただ、ここに姿の見えないもうひとりは違ったらしい。
(はすな様が死体を発見した時には、ここにいないもう一人の男の人の首筋には、亀裂のような傷がもう出来ていたということ?)
(じゃあ、そのもうひとりの幽霊は、いったいどこに行ってしまったのかな?)
考えても、翔子にはわからない。
褐色肌の男性の首筋の亀裂のような傷を見ながら、翔子は言う。
「でも……この傷、本当にいったいなんなんだろう? これは、この人たちを殺した、殺人犯が付けたものなのかな?」
「……さあ、どうじゃろう。肉体だけでなく、霊魂にまで直接傷を負わせられる人間がおるとは普通は思えんが……」
そう口にしたはすな様だけど、翔子に目線を向けた後、思い直したように言葉を続けた。
「……いや、だがしょーこよ。お主やお主の祖父のような能力を持ったものがおるのじゃ。その様な力を持った者がおったとしても、別におかしくはないのかもしれんな」
人の心、霊魂にまで傷を負わせる事が出来る力を持った者……。
どんな存在なんだろう。
そう考えた所で、三人の殺されていた情景が脳裏をよぎり、翔子はそれ以上犯人について想像するのをやめて、嫌な光景をふるい落とすように首を振った。