57・穏やかな時間
屋敷の敷地内に入った翔子たちは離れの夜須美の部屋へと戻ることになった。
離れは母屋の西側にあるため、まずは門から左へと塀沿いに翔子たちは庭を歩いていく。
翔子の隣を歩くふわ先生は暑いのか、時折ハンカチで汗を拭いている。
そういえば今日はこの間駅前で会った時に被っていた赤いベレー帽をしてないな、なんて事を思いながら翔子がふわ先生を見ていると、そのふわ先生が母屋の方に視線を向けながら呟くように言った。
「ここに来るのは久しぶりだけど、それにしても本当に夜須美ちゃんのお家は大きいよねぇ……」
「はは、別にただ住んでるだけであたしの家って訳でもないよ……」
夜須美は歩きながら、薄笑いでふわ先生にそんな言葉を返した。
塀に突き当たり右に曲がると、夜須美が普段暮らしている洋風の建物が見えてくる。
その離れの建物に向けて歩を進めていると、ふと翔子の目に留まるものがあった。
それは、屋敷を囲む塀に、ぽつんと存在する小さな扉……。
(昨日由那ちゃんに案内された時は何とも思わなかったけど、あれが屋敷の西側にあるって夜須美さんが言ってた潜り戸……。裏門とは別の外との出入り口かな?)
閉じられた小さな扉を横目に歩くと、翔子たちはすぐに離れへとたどり着いた。
「さ、ふわ子、なんか暑そうだし、さっさと中に入ろう」
そう言って促す夜須美に、翔子が言う。
「ねえ、夜須美さん。由那ちゃん、呼ばなくていいの?」
翔子のその言葉に、夜須美が思い出したように声を出した。
「そうだった! あいつ、たぶん裏門の所にまだいるよな……」
すっかり由那の事を忘却していたのか、夜須美はぽりぽりと頭を掻く。
「……由那って?」
それが誰なのか気になったのか、ふわ先生が夜須美に訊ねる。
「ああ、ふわ子は会ったことないか。この屋敷で一緒に住んでるあたしの従姉妹だよ。あいつ、今日ふわ子に会うのすごい楽しみにしてたんだ」
「へえ、夜須美ちゃんの従姉妹かあ。どんな子なのかな?」
「まあ、会えば分かると思うけど、けっこううるさい奴だよ」
夜須美はそんな会話をふわ先生と交わすと、翔子とふわ先生を先に屋内に促し、スマホで由那に連絡を入れた。
由那もすぐ離れに来るようで、先に翔子たちは靴を脱いで二階にある夜須美の部屋に向かう。
夜須美の部屋に入ると、ふわ先生が部屋見回しながらどこか懐かしそうに言った。
「この部屋、前にも入った事があるけど、あんまり昔と変わらないね」
「ちょっと、ふわ子。あんまじろじろ部屋の中見ないでよ、なんか恥ずかしいからさ」
「ふふ……」
部屋を見られてなんだか照れくさそうな夜須美を見ながら、ふわ先生がくすくすと笑う。
「あ、これ……」
そこでふわ先生の視線が一点で止まる。
ふわ先生が見ているのは『ゆるふわヴィレッジ』の単行本や関連本が揃って置かれている本棚だった。
「夜須美ちゃん、わたしの漫画読んだって町のケーキ屋さんでこの前話してくれたけど、関連本とかまで揃えてくれてたんだ……。嬉しいな……」
本棚に並ぶ自分の作品を見てふわ先生は嬉しそうに微笑む。
恥ずかしそうな夜須美と嬉しそうなふわ先生を見ながら、翔子はその二人の仲に嫉妬しつつも、そこに流れる空気にすこし温かな気持ちになるのだった。
部屋の時計の針は11時をすこし過ぎ、もうすぐお昼といった所。
何気なく流れる温かで穏やかな時間。
だが、これから数時間後、この霞乃屋敷に銃声が轟き人の血が流れることを翔子はまだ知らない。




