35・刑事の推理
「僕が篠崎さんと同じく、三人を殺害した人物と被害者を切断した人物は別だと思ったのには理由があるんだ」
そう口にした賀東刑事は、ゆっくりと話を続ける。
「……被害者三人はいずれも出血死。死体が置かれていた場所をはじめ、周囲にはかなりの血痕が認められました。噛みつきによる出血であれだけの血が流れたのなら、被疑者もまた返り血を浴びた可能性は高いはずです。着ていた衣服にも血が飛び散っているかも知れません。そんな犯人がどうして今も確保されず逃げ続けていられるのか、気になりませんか?」
「……それは、犯人は身体に付着した血を洗い流して衣服を調達した後、山を降りたんじゃないの?」
朝来野刑事が言葉を返すと、賀東刑事は頷いて答える。
「その通りです。じゃあ、いったいどこで犯人は血を洗い流し、衣服を調達したんでしょうか? これは容易に推測できます。被害者が作った料理や遺品が放置されていた場所の直ぐ近くに泉がありましたよね? 恐らく、あそこで犯人は身体についた血を洗い流したんです。鑑識の調べでは僅かですが、血液反応があの泉のすぐ側で出ています」
「……衣服についてはどうなの?」
「被害者が持ち歩いていた予備の衣服を犯人が拝借した可能性があるかもしれません。現に被害者たちの着ていた衣服は脱がされ、持ち去られています。それと同様、泉に置かれていた被害者の荷物の中に予備の衣服があったのなら、サイズの問題はあるものの、犯人は泉で身体を洗った後、それを拝借して着替えた可能性は大いにあると思っています」
「被害者の外国人のうちのいずれかが替えの衣服を持っていたかもしれないという可能性の話でしょう?」
あくまでもしもの話だと、朝来野刑事は言った。
賀東刑事はそんな朝来野刑事の言葉にも頷いて答える。
「ええ、可能性の話です。でも、犯人が山をすでに降りていると仮定した場合、怪しまれないためにはやはりどこかで衣服を手に入れる必要はあると考えます。泉で血のついた服を洗った可能性ももちろん考えました。でも、返り血の量や血を浴びてからの血液が酸化し凝固するまでの時間にもよるとは思いますが、洗剤や漂白剤でも使わないとシミが残る可能性は高いんじゃないかと僕は考えているので、それはないんじゃないかなと思います。持ってこなかったのか、泉の近くで料理を行った男性の荷物の中に洗剤はなかったですし、仮に泉で血液の汚れを洗い流せたとしても、当然ながら服は濡れてしまいますしね。もう夏とはいえ、悠長に乾くのを待っているわけにもいかないでしょうから」
「……なるほど。でも今賀東くんが話したことは、すべて犯人がひとりでも出来ることよ」
納得がいっていないのか、朝来野刑事は賀東刑事の話を否定するような物言いをする。
その朝来野刑事の言葉に素直に頷きつつ、賀東刑事は言った。
「まあ、そうですね。でも、犯人が噛みつきによって人を殺すような異常な人間なら、すこし気になる事があるんですよ」
「……それは?」
朝来野刑事が先を促す。
これまで話を黙って聞いていた翔子はぱっと頭に閃くものがあり、賀東刑事に思いついた事を口に出して言ってみた。
「……指紋かな? 犯人が被害者の荷物を漁ったのなら指紋が残ってもおかしくないけど、それが無かったとか?」
翔子の言葉に、賀東刑事は笑みを浮かべて頷く。
「はは、その通り。鋭いね、篠崎さん。そう、犯人が被害者の荷物を漁って衣服を拝借したのなら、指紋等の形跡が出てもおかしくないのに、それが出なかったんです。まあ、犯人が血のついた衣服を変えず、そのまま山を降りた可能性も絶対にないとはいい切れませんけどね。でも、犯人が拝借した可能性が最も高い、ある物があった場所からも、指紋は検出されなかった」
「ある物って? もしかして包丁の事?」
朝来野刑事が問うと、賀東刑事は頷く。
「ええ。被害者三人の遺体の切断に使われた可能性の高いもの。調理用の包丁です。被害者の男性の一人が複数の包丁が入ったケース入りの市販のセット品を持ち歩いていた事が分かっていますが、そのセット品の中の一本がなくなっていました。一番切れ味の良さそうな、ナタのような見た目をした骨切り包丁がね」
「待って、それが指紋が検出されなかったこととどうつながるの? 犯人が単にまな板とかと一緒に放置されていたセット品とは別の抜き身の包丁を持っていったのかもしれないし。骨切り包丁だって、ケースになかったからといって、被害者が山に持ってきたとは限らないわ。なら、指紋は別に残らなくてもおかしくはないわよ」
朝来野刑事のその言葉に賀東刑事は首を横に振る。
「いえ、指紋が検出されなかった事に僕が違和感を覚えているのは包丁のセット品が収納されていたケースのほうなんです。そのケースの、特に開け口の部分から指紋が検出されなかった。泉の近くで料理をしたであろう被害者の指紋も含めてね」
「それじゃあ……」
「ええ、被害者の指紋が検出されなかったということは、何者かがケースに触れ目当ての包丁を取り出した後、指紋を消すためにケースを拭いた可能性が高いという事。その際に被害者の指紋も一緒に拭き取ってしまったんでしょう」
そう言うと、賀東刑事は翔子と朝来野刑事を交互に見た後、真剣な表情で言葉を続けた。
「僕が疑問に思うのは、噛みついてあんな殺し方をする犯人が、わざわざ指紋を消すような偽装工作をするかなって事なんです。現に犯人は決定的な証拠になりうる噛み跡を残すというヘマを犯してしまっていますからね。それを思うと、犯人の行動について、どうにも違和感を感じてしまうんですよ。正直、この犯人なら衣類も変えず血だらけの服装のまま、山を下りるなんてこともありえるのかもしれない。ただ、もしそうならどこかで目撃証言でも挙がって来るでしょうし……。なんというか、チグハグなんですよ。それが篠崎さんと同じく僕が被害者を殺害した人物と遺体を切断した人物は別かも知れないと感じた理由です」
賀東刑事はそう言って言葉を切る。
翔子は賀東刑事の推理に素直に感心した。
……でも、新たに翔子の中で疑問が生まれてくる。
それは、遺体を切断した人物が犯人とは別にいたとして、何が目的でそんな事をしたのだろうと言う事だった。
(……やっぱり、犯人の協力者? でも、祠に眠っていた怨霊に協力するような事をして、その人物に何かメリットでもあるのかな?)
翔子は考えてみるものの、答えは出てこない。
ただ、漠然としたまた何か起こるかも知れないという嫌な予感を翔子は感じていた。




