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第一話 渚が呼んでいる・5

 ライヴを終え、楽屋でタバコを吸いながら航也はいつものように一人で反省会をしていた。

 今日の観客は六人だった。それも熱狂的ファンというわけではなく、ほぼ暇潰しに聴いてくれているだけのようだった。

 航也の音楽は、あまり人気がなかった。

 自分の音楽のどこがダメなのだろうと航也はいつも思う。そこそこいい曲を作り、そこそこいい歌詞を書き、そこそこうまい歌のはずだった。しかし、いつもこの調子だった。

 だから、つまり、それがいけないんだろうな、と、航也はちゃんとわかっている。それは先輩のミュージシャンたちに言われるまでもなくちゃんとわかっていた。

 自信と闘争心。自分にはそれが明らかに欠けていた。それは芸術活動を行う人間として非常に致命的だった。

 あと一歩だ、ここを突破すればお前はあっという間に上に行ける、と周囲に言われ、もう何年経っているだろう。自分は何年も何年も突破の直前にいる。そして、どうしてもあと一歩が進められない。高校生の頃からどうしても突破できず、“なにか”を掴めないまま三十二歳になってしまった。そしてそれは五年前に特養の仕事に就いたこともかなり大きいのだろうな、と、航也はなんとなく思う。

 仕事があまりにも楽しいのだ。やりがいを感じるし、大変なことは日々あれどいつも充実感を覚えている。つまり、それで満足してしまっている。だから、音楽の方にエネルギーが向かわない。ということなのだろうと、そう思えてならない。

 いっそ特養を辞めてしまえば本格的に音楽にのめり込めるだろうかなどと思うがそんなことはとてもできない。もう三十二歳だ。結婚しているわけでも子どもがいるわけでもないがそんな博打ばくちな人生を歩むには年を取りすぎている。それは確かに、四十を超えてスターになった人間もいるし、音楽に年齢は関係ない。しかし、それが自分にも当てはまるだろうかといえば疑問がある。自分は“そこまで”ではない––––要するに、だから突破できないのだ、ということも、ちゃんと理解していた。

 お前は感性が豊かだ、感受性が豊かだ、とこれも周囲によく言われることだった。自分ではよくわからないが、しかし例えば自分以外の人間がちょっと無神経に思える瞬間というのを航也は小さい頃からいつも感じていた。そしてそれは周囲が無神経なのが原因なのではなく自分の感受性が豊かであることから来ているものなのかなと客観視することもできている。もっとも、それで自分の感受性が豊かであると人にアピールするのもなんだかおかしな話のように思う。

 つまり、要するに––––その自信と闘争心のなさが、いまの自分の音楽に表れている、ということなのだろうな、と、航也はやや自己嫌悪のループに陥るのが常だった。

 みんな、どうしてるのかな、と、高校生の頃から周りにいた音楽仲間たちのことをよく思う。プロを目指すのを諦め趣味で楽しんでいる者、音楽の講師になった者、音楽自体を辞めた者。そして、いまではメディアを賑やかすスーパースターになったバンドもいる。そして、このライヴハウスに出演するミュージシャンたちは皆彼らに憧れ、彼らを目指し、追いつけ追い越せで頑張り、やがて夢破れていく。

 自分もいつかはそうなるんだろうなと航也は自嘲気味に思う。

 いつかは、そうなるんだろうな、と、思う。

 いろいろなオーディションやコンテストを受けてはいるが、これまで一次選考を通ったのは一度だけで、あとは全滅だ。自分には才能がないのだ、魂からの才能もなければ仕事としての才能もないのだ、そう思うが、しかし、どうしても諦められない。諦め損なっている。

 いっそ音楽の学校に通って一からちゃんとやってみたら? ということもちらほら言われる。それを言われると心が動くのが正直な気持ちだった。自分は四歳の頃から高校一年生まで町のピアノ教室に通ってピアノのお稽古を受けてきただけで、体系的に音楽を勉強してきたわけではない。きちんと音楽を勉強したいという気持ちは常日頃あった。でも、ダメだった。

 音楽の学校––––この場合は塾に行った方が手っ取り早いのだろうが––––そんなところに行って、音楽をきちんと勉強などしてしまったら、もう、()()()()()()()()()()()()()()

 それが怖かった。

 いつまでも夢みたいなことばかり言ってないで現実を見ろ、お前は介護の仕事に向いてるんだからそれをやっていればいい、と、家族親戚にはよく説教される。そして実際、自分は介護の仕事に向いていると思っている。それなら音楽はあくまでも趣味にとどめ、仕事にしたい金を稼ぎたいなどと思わないでいた方がいいのはわかっている。

 それでもどうしても諦められない。

 それでも、完全に諦めきれなくなってしまうことの方が怖かった。

 いまよりも遥かに音楽にのめり込んでしまうことが……怖かった。

 そんなことをしたら、もう、“まとも”な人生を歩めなくなってしまいそうで。

 だから航也は音楽の塾に通うこともなく、大いなる矛盾だとわかっていながらこうして習慣のようにライヴハウスに出演している。そして結果は観客六人の申し訳程度のまばらな拍手––––。

 はあ、と、航也はため息をつく。自分は一体なにをやっているんだ。

 ふと航也はさっきまで一緒にいた航平のことを思い出した。

 あいつなら、きっと、こんなことは思わないんだろうな。

 絵を描くことが好きで好きで、富とか名声とかそんなものよりとにかく絵を描きたくて、それが凄まじい出来で、社会的な評価も得ている––––航也は自分が情けなかった。結局のところ自分はなにがしたくて何のために音楽をやっているのだろう。もちろん金は稼ぎたい。しかし正直なところ、大金持ちになりたいとは思っていない。つまりスーパースターになりたいと思っているわけでもない。ただ音楽の道で生きていきたい。それで、社会的な評価もきちんと受けたいと思っている。俺はみっともない人間だ、と、航也はつくづく思う。

 自信と闘争心。航平はその二つをちゃんと満たしているのだろう。そしてそれははっきりと実力と才能に繋がっている。

 自分は壁を突破できず、後一歩がどうしても踏み込めず、十年以上もだらだらと音楽をやり続けている。そんなことでいいのだろうかと思う。だが、諦めてしまうことも怖かった。それはまるで、自分で自分のいままでの人生を全て否定することのようで、怖かった。

 諦めることも、諦められないことも、怖かった。煙の立ちこめる楽屋で、航也は思う。

 自分にとって音楽って何なのだろう、と。

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