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フォレスト  作者: 横谷昌資
第二部
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第四話 いつかの十月十日後に・3

 小説家になりたくて専門学校に行きたかった。でも行かせてもらえなかった。「狭き門だから」「お父さんの知り合いはそういう学校にはいないから」「普通の会社の普通の正社員になってほしいから」。

 だからニートになった。当時の僕には小説以外にやりたいことなんて何一つとしてなかったから、明日が全く見えなくなって。

 という話を親戚のおじさんに話したら、それなら自力で頑張れば良かったと言う。だから親の判断はなにも間違っていなかったという。僕のやり切れなさを理解しようだなんてそもそも思わない。と言うか、小説じゃ食えないからねえと、そもそも親の判断は正しかったというスタンスを崩すことが絶対にない。

 みんなのことが大嫌い。

 家蔵親戚のせいで僕の青春時代はめちゃくちゃにされたと思えてならない。


 だけど僕も四十になる。遺産のおかげでまともな自宅療養ができて、早数年。友達もできて仕事もしていて家事もなんとかこなせている。主治医の先生やすずかけの福祉士さんたち、友達たちのおかげで、自立した生活を送れている。

 そんな中で、親に対する評価にもやや変化が生まれた。

 それは、結局のところ両親はただのおじさんおばさんで、絶対的な存在でもなんでもなかったのだから、それならもうちょっと優しくしてあげれば良かった、という後悔の念である。

 誰になにを言われたわけでもない。ただ自然発生した親へのポジティヴな思い。

 母が亡くなった後、やたらと中国や韓国を敵視するようになった父。僕は中国韓国に特に思うところがないので、しょっちゅうあんな国はダメだとか物騒な話をする父にうんざりしていた。でも、いま思うのは、もっと父に同調してあげれば良かったんじゃないかということである。父はおそらく、自分の話にただ興味を持ってもらいたかったのだろう。結局、母がいなくなって、息子の僕にはわからない夫婦のきずなから、要するに、寂しくなってしまったのだろう。その寂しさが攻撃性へと現れた。

 そういうことなんじゃないかと想像し始めてから、両親に対する評価に変化が生じた。

 もっと優しくしてあげれば良かった。

 彼らはただのおじさんおばさんだったのだから——。

 もっと話を聞いてあげれば良かった。そうだね、ひどい国だね、などと、思ってもいないことを言って父の話を聞いてあげれば良かった。

 自分だって、誰かに話を聞いてもらえるということが嬉しいのだ。

 それがわかるいまだからこそ。


 でも、だからといって彼らを許す気はないし、いま、姉や弟や親戚たちに対して優しく接してあげようとは思わない。ロジカルに考えれば彼らは彼らでやっぱりただの人間たちなわけだから、いま両親に対しての後悔の念があるように、彼らが死んでしまったらやはり後悔するのだろうかとも思う。だからそれならいまからでも対応の仕方を変えてあげることはできるのではないか。彼らへの対応の仕方をもっと甘くしてやってもいいのかではないか。

 そう思うが、しかしそれでも、彼らを許す気はない。

 自分の青春時代を奪った彼らを。

 たとえ今後、後悔の念が芽生えようと。

 それはそれ、これはこれ。


 そして……親になるというのはそういうことなのだろうな、と思う。

 それはそれ、これはこれ——“親のありがたみ”を理解するとともに子どもの頃自分が親に対して抱いていた不平不満や愚痴なんかを忘れて、いままさに親のことで悩んでいる子どもたちに対して“親を大切にしろ”以外のことが言えなくなる。愚痴を言ったり悩みの相談をしたりしているのに親は正しい、間違っているのはお前だなどと一面的なことを言われ、そしてどんどん傷ついて病んでいく。

 自分は今生の人生ではたぶん親になることはないんじゃないかと思うけれど、でも、人生はなにがあるかわからない。もしかしたらいつか子どもを持つことになるかもしれない。

 そして、親になればそれを繰り返していくような気がする。自分が親にされたことをそのまま子どもにする——“心配だから”“大切だから”と言って、危ない橋を渡らせることなくひたすら庇護し続ける。それが本人のためにならないことはわかっていても、それを言えば僕の親だってそんなことはわかっていたはずだった。でも、彼らは自分たちの行動を止めることも変えることもできなかった。そして結局死んでいった。

 そしていまの僕は親に対して嫌悪感や憎悪、絶望感がある一方で愛情も恩情も尊敬の念も感謝の気持ちもあるからこそ複雑な感情が渦巻うずまいている。

 それがわかっていても、いつか子どもができたとき、同じことを繰り返すような気がする。自分がされたのと同じ目に彼らを遭わすような気がしてならない。

 そして世の中、そういう連鎖なのかもしれない。


 でも、そういう連鎖には、やがて限界が来る気がしてならない。

 いつか——限界が訪れる。


 僕にはそう思えてならない。

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