第四話 いつかの十月十日後に・1
「僕がこういうことを言うと、またいつもみたいに前お前こう言ったろとか言われちゃうかもしれないけど」
「なに、言ってよ」
「兄貴はなにが怒りのトリガーになるのかわからないから迂闊に注意とかできないんだよね」
「怒らせるようなこと言うからでしょ」
「まあー、あんたは頑固だからねー」
——結局、彼らの、自分たちが平気で僕のことを傷つけている、という自覚のなさが、全てなのだろう。
——ある日の冬。とても寒かった。ストーヴをつけるにも灯油がない。だから姉は僕にちょっと遠くまで歩くホームセンターまで十八リットルの灯油缶を二つ持って買って歩いて帰ってきてくれと言った。じゃあタクシーを呼ぶよと僕が言ったらお父さんの残してくれた大切なお金でタクシーなんて乗るなと。そのとき、たまたま灯油販売車が通りがかったから難を逃れたけど、こんな人が自分の姉で僕可哀想じゃない? みたいな。
——お金がなくなって大ピンチになったので、お母さんの宝石と着物を売ったら姉にすごいキレられた。姉曰く、この家はあんたのものだけどこの家にあるものだからってあんたのものじゃない、ということだそうで。ならばなぜ掃除をしに定期的に帰ってこなかったのか? たまに帰ってきてもなにもしないで寝ているだけ。日々の仕事でクタクタで実家にいるときぐらいはゆっくりしたい、ということなのだろうけど、この家で暮らしている僕には溜まったもんじゃない。掃除をしてよ、自分の私物の処理をしてよと言っても「やるよー」とうんざりしたように言うばかりでなにもしない。で、まあその件以来もうずっと連絡取ってない。おかげでどんどん幸せっていうか、健康になってるわけさ。
「何の話?」
と、そこですずかけにやってきた丈に聞かれ一志は史生と話をしていた一志は答える。
「家族の愚痴」
「ああ、熟知してる」
即座に反応した丈が一志は嬉しかった。
一志はにこにこと笑った。
「僕、ここに来て最初の一年間ぐらいひたすら集中的に家族親戚の愚痴を愚痴りまくり続けて、いまではだいぶスッキリしてる」すずかけの面々を見渡して一志は言った。「みんなが話を聞いてくれたからね」
いまここにいるのは一志と史生、そして直亮と丈。佐都紀はちょっと出掛けていて、それ以外の利用者たちは今日は来ていない。まだ来ていないのか、今日は来ないのかはわからない。ここには平日の時間内ならいつ来ても大丈夫。
ここにくれば、みんなに会える。
「だからさ」
と、麦茶を一杯飲み干して一志は言った
「だから自分も人の話を聞いてあげられる人になりたいんだよね。先生だったり、海川さんやサティだったり、直さん丈ちゃんみたいに。自分が誰かに助けてもらえたように、僕も誰かのことを助けてあげたいってすごい思う。四十歳の大人の男として、もう自分が他人に助けてもらうことばかりじゃなくて、自分が他人を助けてあげることも考えていかなきゃいけないよねって。あるいは——もしもそういう小説が書けたなら」
直亮と丈は「いいじゃんいいじゃん」と称えてくれる。史生もうんうんと頷く。
——ここに来る前まではこんなふうには思わなかった。誰かに助けてもらうことばかりで、誰にも助けてもらえないと思っていた。でもいまは違う。自分も誰かを助けたい。それは日常生活で、あるいは小説の形で。
それは家族親戚の誰にも助けてもらえなかった自分だからこそ、だからこそ救済の意味も価値も知っている自分にだからこそ、誰かに話を聞いてもらえることの大切さやありがたさを知っている自分にだからこそ、できることなんじゃないのか。
自分も直亮や、丈、史生たちのためになにかをしてあげたい。
自分にも他人のためにできることがあるはずだ。
丈が加わったことでひとまず一志の愚痴は終了し、わいわいと和やかな談笑が始まる。
ここは僕らの居場所。
大切な居場所だ。




