第三話 弱者が集い・4
「それからやや話題が変わるんですが」
と、タイミングを見計らって文彦は口を開いた。
「はい」
「シーさんの、他人の攻撃性を刺激する性質の話」
ちょっと気になり、一志は身を乗り出した。
「はい」
「それはシーさんの正しさが正し“過ぎ”ているからではないかと考えてみるのはどうでしょう?」
興味深い、と、一志は目を輝かせた。
「面白そうな話ですね」
「シーさんの正しさが極端なまでに正しくなれば。それは異形のレベルに」
「異形?」
「そう。美しいというとなにかいいことのように思うけど、絶世の美女となるといいとか悪いとかじゃないわけですよ。つまり出過ぎた杭は打たれないというやつです」
文彦の言葉に、そこで一志はやや困り顔になった。
「でもそんなふうに日常生活をこなす自信はないですよ」
「だからこその小説です」
なんとなく、文彦の言いたいことが飲み込めてきた。
自分には自分にしか書けない小説があるのではないか——。
思索に耽る一志に、文彦は微笑みながら声をかけた。
「おれはシーさんの小説が好きですからね。異形の正しさという可能性をシーさんの小説には感じるんです」
「——という話を友達としたんですけど」
診察室で主治医の都雪尋にその話をすると、彼は特に困ることもなくあっさりと応えた。
「しんどくないかい?」
ぐ、と、一志は咽喉を詰まらせた。
「正しいっていうのもしんどいでしょう」
「だからまあ、小説の方でそれを発揮しようかと。プライベートだとしんどいことこの上ないんでしょうけど」
「まあ、なにがウケるかわからないのがエンターテインメントの世界ではあるんだろうけれど」
「おっしゃる通り」
「だがね。正しすぎる、っていうのは、間違っているってことなのかもしれないよ」
一種の言葉のマジックにも思えず、一志は訊く。
「もう少し具体的に」
雪尋は軽く考え、だがほとんど条件反射で答える。
「例えば、仕事中に私語は厳禁、っていうのは正しいとして、しかし人間うっかりということがある」
なんとなく言いたいことが飲み込めてきた。
「うっかり喋って、断罪するのは“正しすぎる”?」
「ときどき理屈に合わないことをするのが人間だよ」
「ドラえもん?」
「いいよね。ぼくはあの映画何度も観た」
「僕も好きです。しかしドラえもん談義はまた今度」
「はい」
「——でも先生」
「はい」
自分の言いたいことがしどろもどろになっても雪尋は大抵、掻い摘んで理解してくれる。だからこそ、ちゃんと説明したいと思い、一志はゆっくりと言葉を紡いだ。
「人間として絶対に守らなければならない領域っていうのもありません?」
「あると思うよ」
「人権とか」
「人権は折り合いの問題ではない。正しいとか間違ってるとかじゃなくて、人権は人間が人間でありさえすればただそこにあるもの」
「ですよね」
「ただ強すぎる力は災いをも招いてしまうということだ」
「要するに、“そんな言い方じゃ伝わらないよ”?」
「必ずしもそれが間違っているわけではないのが厄介であり、我々が人間であるということでもある」
「A型の職員さんたちも」
「?」
そこで一志は文彦に話した仕事の愚痴を言ってみた。ふんふんと頷きながら、雪尋は一志が喋り終えるのを待つ。
「という」
すると雪尋は応える。
「仕事で使うパソコンなんだから使えるものを用意しとけって話だよね」
「そうですよね!」と、一志は身を乗り出した。「それに、質問にはできるだけ明確に答えてもらいたいものです」
「そうだね。プロなんだから」
ただこのようにわかりやすくあっさりと共感を示してくれるとなると、一志としてはかえって不安になってしまうというのも彼の性格であった。
「そりゃま、職員さんには職員さんの時間の流れがあるから、僕のトラブルにいちいち付き合ってはいられないっていう理解もありますけど」
「パソコントラブルなんてしょっちゅう起こってるイレギュラーだから解決策も熟知しているはずだからね」
ここで瞬時に言葉のキャッチボールをしてくれるのも、やはりプロなのだなと一志はつくづく思う。
「もちろん君には突如起こったイレギュラーな出来事だったのだけど」
「う〜む」
一志はちょっと考える。いま雪尋は自分がもともと出していた結論、考え方を、自分がまとめたよりも遥かにわかりやすく説明してくれた。つまり基本的には自分の受け止め方は妥当だと言えるのではないかと思うと、聞き上手の雪尋に憧れている一志としては、彼と似たような思考回路をほんのちょっと持てたのではないかと思い嬉しい気持ちになった。
もっとも一志は常日頃からこの精神科医の技術はただものではないと思っている。今回はたまたま合致しただけで、彼の“真似”をすることはおそらくできないだろうと考えていた。
しばし真剣かつ穏やかな表情の雪尋を見つめたのち、一志は、そうですね、と呟いた。
「まあ、そういうことなんでしょうね」
「もっとも君は慌てるからね。引きずるのもわかるよ」
うん、と、一志は頷く。
ここで瞬時に肯定が入るのもテクニックの一つなのだろうな、と思う。
一志はいつも、自分の話をまるで聞いてくれない家族親戚と雪尋を比較してしまう。確かに雪尋は傾聴のプロだがそれにしても家族たちの話の“聞けなさ”には限りがないような気さえしていた。だがそれも、雪尋があまりに自分の話を聞いてくれているからこそかえって彼らの力のなさが際立つということなのかもしれないともなんとなく思う。しかし、いまの一志にとっては圧倒的な力ある者の存在が必要であったため、仮にそれがそうなのだとしてその溝がどんどん広がっていってしまうのもある意味では仕方がないのだろうかとも思う。
一志はふと、“自分自身の人生の仕組み”といったものが頭を掠めた。
『精神科医はいいなぁ。人の話聞くだけで年収何千万か』
いつか父が言っていたことを思い出す。
仮にそれがその通りだとして、そもそもあなたたちが話を聞いてくれないからこんなことになったんじゃないか。
しかし父が精神医学の存在そのものに否定的なのは、なんだかんだ昔の人間だからなのだろうかとも一志は想像する。
そういう風に考えることができる。
そして一志の自己批判はいつまでも続いてしまう。
「でまあ、話は正しすぎるの話に戻るとして」
「うん」
「小説限定でそれを発揮しようかと。論理的かつ倫理的。先生みたいに」
「それでいくとだね」
一志は瞳を輝かせた。
「はい」
「ぼくの仕事は“治療”だから」
「——つまり」
そこで、一志は思いつきを言ってみた。
「小説そのものがカウンセリングみたいな」
「それは相当勉強して、経験しないと難しいだろうね」
「なんとなくわかります。先生は半数が脱落した特殊な訓練を突破した精神科医なんですもんね」
「そうだね」
「ただ、まあ」
と、そこで一志は右手を差し出し、下手くそなウインクをした。
そして、ここで決める、と言わんばかりの態度で、この上なく格好つけた。
「ときどき理屈に合わないことをする人間らしく書きますよ」




