第五話 話をきかせて・5
「おれもおれで割と悩みはあるけど、あんまり人には話さないというか、この話題は人にいまいち理解とか共感とかされにくいだろうなーとかって悩みはだいたい予想つくからね」
「となると、自己処理ですか?」
「だから、家族親戚とうまくやれないっていう悩みもいまいちわかってもらえにくいかもしれないっていうのもなんとなくわかるよ」
朝散歩の途中に文彦と遭遇し、航也は家族や愛斗の愚痴を聞いてもらっていた。先日も愛斗から電話がありもやもやしていたのだ。
文彦は続ける。
「世界中のあらゆる宗教で母を否定するものはないから、つまりそれだけ世間の常識に反しているってことだね。親族なんて全体的にそんな感じだ。となると受け入れてもらえなくても仕方がないって割り切った方が楽だよ」
はあ、と、航也はため息をついた。
「俺も悪いとは思ってるんです。もう三十路をとっくに越えてるっていうのに親の脛かじりで。その理由も自分の利益最優先で。そのいとこだって俺のことが好きだから連絡してくるわけだし、義務感とか事務処理で話をするのもよくないなって思うし」
「あのさ」
と食い気味にそう言った文彦に、はい、と、航也は条件反射する。
「少しは“相手が酷い”ぐらいに思ったら? 君が悪いからって相手の無神経さを受け入れなきゃってことにはならないでしょ」
「そんなに自虐的なつもりもないんですが」
「社会のせいってこともあるだろうよ、生きてれば」
文彦が一瞬どこか遠い目をしたのはなぜだろうと航也は訝しんだ。その様子を無視して、偏見による想像だけど、と前置きしてから文彦は言う。
「田舎出身ってことだし、いろいろ小さい頃からプレッシャーとかあったんじゃないの、そのいとこも。例えば結婚式とか盛大にしそうだよね」
「盛大でしたねえ」
「生まれつきの性格とか気性とかもあるんだろうけど、本人だけの責任じゃない。もう内面化されちゃってるだろうから自分が被害者であるとか、もしくは加害者であるってことが認識しづらいだろうし」
「負の連鎖ですねえ」
「マイナスだけってことはないと思うよ。その分、面倒見がいいとか仲間意識が強いとか」
「好かれてはいるんだろうけど」
「家族親戚は至近距離の分、容赦がないからね。いつでもさよならができる赤の他人といる方が幸せだっていうこともある。君の気持ちはよくわかるよ」
この人も家族や親戚とあんまりうまくいっていないのかな、などと航也はなんとなくそう思った。
しかし、と思う。
「じゃ結局、どうすればいいんでしょ」
という航也の質問に、文彦はしばし、うーん、と考え込み、やがて答える。
「物別れだねえ」
「物別れですか」
「誠心誠意言葉を尽くして、相手の言ってることを取り違えていないか確認して、自分の思ってることをその人にわかるようにわかりやすく伝えて、それでも根底の部分でどうしてもわかり合えないってなったら、それはもう、物別れだよ」
「家族とか親戚でも?」
「最低限の付き合いにとどめる、っていうのもコミュニケーションだよ。ビジネスなんかはそういうことだ。ニンジンが体にいいから食べなさいっていくら言われても嫌いなものは嫌いだ。理屈で納得したからってそれで好きになったり受け入れられたりするわけじゃない」
「でも」と、航也は反論する。「その“嫌い”の果てに差別とか迫害とか––––世界の終わりがあるかもしれなくても、それでもそれでいくしかないんでしょうか」
「せめて誰もが自分の加害性を認識できたら、世界も少しはマシなレベルを保てるんだろうけどね」
「誰もが?」
「君も、おれも––––どこかの“あなた”も、ね」
航也は思う。
この人も誰かを傷つけていて、そしてきっとその自覚があって、だからいろいろなことを考えられているのだろう。だからこんなに優しいのだろう、と。
だからといって、その傷つけられている人が救われるわけではないけれど。
そう、自分が平和な日常を過ごすにあたって踏みつけにしてしまっているどこかの誰かも、自分がそれを自覚したからってそれで救われるわけではないように。
俺は航平になにをしていたのだろう。なにかしていたのだろうか。酷いことを言ったり、してしまったりしたのだろうか。
そして、俺は彼になにかしてやれたことはあったのだろうか。
「文彦さん」
「はい」
「最近、友達が死んじゃって」
文彦はぎょっとした。
「それは辛いね」
「そいつに––––俺になにかできることはないのかなって、ずっと思ってて。それは確かに、もう、いないんですけど」
「君なら、音楽があるだろ?」
そうあっさりと言われて、航也は少し怯んでしまう。
「音楽……」
「君の音楽が、いろんな人々とリンクして、そのリンクした人々がまた別の人たちとリンクして、そうして世界中と繋がっていったら––––あるいは、そしてそこに救いがある。あるいは究極の真実がある」
なんとなくポエミイな発言に思えて、航也はややはにかむ。そして文彦も微笑を浮かべたが、そこには明らかに真剣な眼差しがあった。
「おれはダメだったけど––––航也くんはそこに辿り着けたら、いいね」
別に文彦とのこの対話によって自分の悩みが解決されていっているわけではない。
それでも––––航平のにこにことした笑顔が何度も脳裏に浮かぶ。
航平に、なにかできることがあるのなら。
自分に、なにかできることがあるのなら。
音楽や絵、あるいは小説がそのために存在するのかどうかはわからない。
でも、想いをぶつけてみたい。みっともなくても傷ついても、それでもボロボロになってでも自分をぶつけてみなければ、想いは、愛は届かない。
文彦は笑顔のまま、またしても遠投の練習を始めた。航也はタバコを取り出して吸い始める。ぼんやりと考える。こうして自分がいまここにいるのも、いまここにいられているのも、あるいは自分が音楽をやっていることも、全てが全て、なにか意味があるからなのではないか、と。




