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【夜会にて ①】



デルフィーナの姿で行く夜会に、まるで戦場に赴くような気持ちになっている。

眠っているはずの僕には、このデルフィーナをエスコートすることはできない。

婚約者がエスコートできないとなると、デルフィーナの父か義弟のグエルティーノになるところだが、母上が選んだのは、僕の弟のエクトルだった。

おそらく今日の夜会にやってくる男性の中で、一番高位なのがエクトルだからだ。


朝から、母上にみっちりと淑女の礼を叩き込まれた。

それからダンスの女性パートも。

一曲踊ればいいということで定番の曲を、男性パートを踊る母上のエスコートでという、こんなことでもなければ絶対に起こり得ない状態で練習をした。

母上が男性パートも踊れることに驚いた。

踊りながらそれを尋ねると、いつでもどんな状況でも、いかなるダンスも踊れることが王妃教育にはあるのだとさらりと返された。

ということは、お妃教育の全課程を終えたデルフィーナも男性パートが踊れるということだ。

デルフィーナは本当に多くを学び、それを少しもひけらかすことなく過ごしていたのだ。

グエルティーノやコルラードが事あるごとにデルフィーナに『偉そうに』と言っていたが、彼らはデルフィーナの努力に気づきもしないで大口を叩く恥知らずだ。

そしてその恥知らずを率いていたのが……僕なのだ。

僕が一番の恥知らずだった。



侍女たちに綺麗に髪をまとめられ美しく化粧を施された鏡の中のデルフィーナに、僕は瞬きもせずに見入った。

こんなに美しい人だったのか……。

怜悧すぎる目はいつも人を嘲笑っているように見えたが、今なら分かる。

それはデルフィーナを見る者の、心の弱さのせいなのだ。


僕は自分の婚約者について、本当に何一つ真実を見ていなかった。

ドレスも髪飾りもイヤリングも、どれも僕が贈ったものではない。

ただの一度もデルフィーナにそうした贈り物をしてこなかった。

婚約者へ僕が使う予算はすべてジュリアに使っていたのだ。

このジュエリーはクレメンティ公爵家から持参したのだろうが、正直それほど高価そうにも思えなかった。

あのクレメンティ公爵家であれば、もっと高価なジュエリーを用意できるはずだ。

僕はデルフィーナと入れ替わって、いったい何度目かも数えられない後悔の淵にまた落ちていった。


***


「兄上の代理ですが、これほど美しいデルフィーナ嬢のエスコートができること、とても嬉しく思っています。ドレスもとても似合っている。まるで光の妖精のようです」


迎えに来たエクトルが、そう目を輝かせて僕の手を取った。

僕が一度もやってこなかった婚約者に対する普通の対応を、軽やかにこなすエクトルに憎らしさを覚える。

それは逆恨みだと分かっていても、どうして今、僕としてデルフィーナの手を取ることができないのだろうとつい考えてしまうことを止められなかった。



夜会の主催である母上の挨拶が始まった。


「陛下は今、病と静かに戦っております。どうした偶然か、王太子であるロルダンも軽い風邪ではありますが部屋で休んでおります。

このような時に夜会をそのまま開催することにさまざまなご意見もあることでしょう。

ですが、陛下は誰もがご存じのとおり華やかな場がたいそうお好きです。

今宵は陛下のお部屋の近くにも小さな楽団を差し向けており、そこでこの夜会と同じ明るい曲を静かに奏でております。

どうぞ皆さま、この日この時間を陛下と共に存分にお愉しみください」


エクトルの隣に立ち、母上の口上を聞いていた。

一つしか違わない弟を、まだ小さいと思っていたのはどうしてだろう。

エクトルは背丈も自分と変わらず、凛とした瞳には聡明さを湛えているように見えた。


「デルフィーナ嬢、私と一曲踊っていただけますか?」


「……喜んで」


そう答えるしかなかった。

弟に手を取られて煌びやかな夜会ホールの中央で踊る僕を、母上はどんな気持ちで見るのだろうか。

エクトルのダンスは母上よりずっと踊りやすかった。母上よりも背が高いから、ホールドに安定感があって身体を安心して預けられる。

いつの間にか大人になっていた弟に、焦燥感を覚えた。

僕はこんなふうに踊れていたか?

いや、デルフィーナをまともにエスコートしたことさえなかった。

この夜会も、デルフィーナには予めエスコートできないと伝えてあった。

ジュリアをエスコートするはずだったと思い出し、気持ちが悪くなる……。

曲が終わりなんとか最後の礼をして、ダンスフロアを出て行く。

少し一人で休みたかった。


すると、向かいからジュリアがやってきた。

まさかまたぶつかってくるのかと思った瞬間、エクトルが僕の前にすっと入り込み、ジュリアはエクトルに赤ワインを掛けてしまった。

白に金色の縁取りが施されたエクトルのフロックコートに、邪悪な赤が染みていく。


「あっ……も、申し訳ございません!」


「この女を捕縛しろ!」


警備の騎士たちがジュリアを後ろ手に拘束する。一緒にいたコルラードとトビアスが驚きの表情で立ち尽くしていた。

ワインを掛けられただけでいきなり捕縛とは、さすがにやり過ぎではないか?


「後ろにいる、この女に付いて回っている兄上のお友達さあ、いつもおかしいと思わなかったのかな。

この女は飲み物をデルフィーナ嬢に掛け過ぎだと思わなかった? 

僕だったらね、こう何度も誰かに手に持っている飲み物を掛けていたら、その人物をおかしいと疑うよ。

しかもこの女が飲み物や食べ物をかけてしまうのはデルフィーナ嬢限定なんだよね?

他の令嬢や令息たちには一切ぶつかることはない。

こんなおかしなことに疑いを向けないでいられるということは、共犯者なのかな?」


砕けた口調で言っていたエクトルの目がすっと細められた。


「これは明らかな攻撃だ。グラスの中の液体が本当にワインなのかも分からないのだからな。

服に掛けられたワインの成分をこれから調べる。この二人も連れていけ。ゆっくり話を聞く」


「エクトル殿下! 僕たちは何も!」


「黙れ。僕は一つ下だが、学園の食堂ホールでこの女がデルフィーナ嬢に飲み物を掛けた場面に何度も遭遇した。当然、王妃殿下に報告しており王妃殿下はすべて把握している。ジュリア・ペレイラは昨日、自分からぶつかって持っていたトレーを落としたデルフィーナ嬢に『床に這いつくばって拾いなさいよ』と言い放った。僕はすぐ後ろの席にいたのだから言い逃れができると思うな。

一緒に居た君たちが共犯者ではないと立証するというなら話を聞こう」


あの時、エクトルがすぐ後ろの席にいたことなど、まったく気づかなかった。

あの場面を思い出そうとしていると、一人の女性がこの騒動の輪に近づいてきた。


「ジュリア……。あなた……何をしているの……」


「オレリー、このような者に構わず向こうへ行こう」


「……お、ねえさま……ブリアック様っ……」


「気安く名を呼ばないでもらおうか。君や君の母上から虐げられていたオレリーは、我がフラヴィニー侯爵家に嫁ぎ、もう君たちペレイラ伯爵家とは縁を切っている。オレリーへの嫌がらせができなくなって、今度は公爵令嬢に手を出していたとは……なんて女だ」


ジュリアの姉はフラヴィニー侯爵の嫡男ブリアックに嫁いでいた。

デルフィーナのノートによれば、ジュリアはこのブリアック・フラヴィニーに懸想していたという。その男に吐き捨てるように気安く名を呼ぶなと言われたジュリアは、虚ろな目で警備の者たちに連れて行かれた。

ジュリアは実の姉にも嫌がらせをしていたというのか。


ジュリアの本性が暴かれても、何もすっきりはしなかった。

それも当然だ。僕はジュリア側の人間なのだから……。

ジュリアの本性も嘘も見抜けず、被害を受けていたデルフィーナを追い詰めていた。


エクトルは食堂ホールでのやり取りを見ていて母上に進言したと言っていた。

まったくエクトルの言う通りだった。

何度もよろけて飲み物をデルフィーナに掛けてしまうなんて、よく考えてみなくてもそんなことが偶然続くわけがないのだ。

デルフィーナを嫌うあまり、少し考えれば分かることも考えようとしなかった。

そしてその、デルフィーナを嫌っている理由さえ、はっきりとした形が見えなくなっていた。



「騒がせてしまい、申し訳ない。

向こうのテーブルに、王家の領地で採れた二種類の葡萄のサンドイッチが運ばれてきたようだ。

ケーキのようなサンドイッチで陛下の好物でもある。

皆にも是非味わってもらいたい」


エクトルが張りのある声でそう言うと、女性たちがわっと明るい顔になった。

ホールに華やぎが戻ってきた。

堂々とした弟が、僕には知らない者に見えた。



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