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【デルフィーナとして ②】



デルフィーナの制服を着て登園する。腰の辺りや足元が心許ないスカートには、あまり慣れそうもない。

教室に入ってから、他者の視線を感じる。

昨日のことがあったせいだろうか。


戻ったデルフィーナが困るようなことはしないつもりだ。当たり障りのない会話と態度で、特に興味のないデルフィーナの人間関係をやり過ごす。


午前の座学ばかりの授業は何事もなく終わった。

いつもノートに授業内容を書くことをしていなかったので、今日もうっかり何も記していない。

まあデルフィーナは優秀なのだから問題ないだろう。


昼休みは誰かに声を掛けられるのかと思っていたが、誰も声を掛けてこない。

仕方がないので一人で食堂ホールに向かう。

友人の一人もいないのだろうか。


デルフィーナの身体にたくさんの食事は入らない。

今朝も夕べの食事と代わり映えのしない朝食が並べられてうんざりした。

自由に選べる昼食くらい、量は少なくとも僕が食べたいものを頼んでやる。


チキンソテーを厚いパンで挟んだサンドイッチを注文した。

ソースとマスタードを多めにするように言う。

デルフィーナの食事は、量や種類が少ないだけではなく味が薄いのも不満だった。

サンドイッチにベイクドポテトも付けると、早く食べたくて気が急く。

たった二回、自分の好まない食事を出されただけで、何とも言えないストレスを感じていた。


空いている席に向かって歩き出したところで、向かいからジュリアがやってきた。

つい笑顔になり声を掛けそうになるが、今はデルフィーナなのだった。

ジュリアは『不機嫌』を顔に貼り付けたような表情で、僕を睨みつけた。

そのまま通り過ぎようとした瞬間、ジュリアがぶつかってきて持っていたトレーが落ちた。


「あら、淑女はもっと端を歩くものではなくて? 今日はロルが休みだから何も無いとでも思った?」


そう小さい声で言った直後に大声を上げた。


「申し訳ございませんっ!! デルフィーナ・クレメンティ公爵令嬢様、どうかお許しください!」


チキンサンドもベイクドポテトも床に散らばった。

茫然としていると、


「……早く這いつくばって拾いなさいよ」


ジュリアが小声だがはっきりとそう言った。

僕にいつもデルフィーナに嫌がらせをされていると辛そうに、公爵令嬢であるデルフィーナに逆らえなくて怖いと訴えていたジュリアが……?

いったいこれは何なのだ……。

学園の制服を着た護衛の女性が、デルフィーナ姿の自分にだけ聞こえるようにつぶやく。


「お嬢様はあの令嬢から、毎日このような嫌がらせを受けていました」


「……嘘、だ……」


いや、嘘などではなかった。デルフィーナ姿の僕に向かってジュリアは『嫌がらせ』をした。

それはたまたまぶつかったのではなく、明らかに故意にしかも慣れた感じでぶつかってきたことがはっきり分かった。

あのように邪悪な表情のジュリアを初めて目の当たりにして、驚いて言葉も出ない。

護衛の女性がひっくり返されたトレーに、散らばってしまったサンドイッチなどを集める。


「さすが公爵令嬢ねぇ、こんな時も権力を使って片付けるのね」


ジュリアはそう言いながら、護衛が片付けているトレーを手でひっくり返した。


「ごめんなさい、またよろけてしまったわ」


護衛だけに任せず、僕も拾い集める。

こうして床に目を向けていないと、ジュリアを睨みつけ強い言葉を浴びせてしまいそうだったからだ。


「ジュリア、どうした!」


コルラードとトビアスが小走りでやってきた。


「またこの女に何かされたのか!?」


「お二人ともこの方を責めないであげてください。今日はロルがいないから、チャンスとばかりに私に近づいてきたのだと思いますが、私は大丈夫ですから。明日の夜会で、ロルからエスコートはできないと言われて逆恨みをしたのでしょう」


「まったく、本当に性悪だな」


「トビアス様、お口が滑っていらっしゃるわ」


コルラードとトビアスは連れ立って歩いていき、それをジュリアが追いかける。

その前に、ジュリアが持っていたカフェオレボウルの中身を拾い集めているサンドイッチに掛けていった。

べちゃべちゃにカフェオレにまみれて拾いにくくなってしまった。

……なんという嫌がらせをするのか。性悪はどっちだ。

どう見ても床に落ちたものを拾っているのは僕なのに、『またこの女に何かされたのか』となるのはどういう訳だ。

僕はあまりのことに頭の中が真っ白になった。


何かが肚の底でふつふつと気泡のように膨れては弾けて消えている、そんな感覚があった。

食欲など失せていたが、その蠢く気泡に何か餌をくれてやらねばならない気がしてもう一度サンドイッチを頼んだ。

淑女のようではなかったかもしれないが、できる限り優雅に、そして素早くサンドイッチを胃の腑に収めた。


そういえば、このところデルフィーナは特別談話室で一人でランチタイムを過ごしていたのだ。

護衛が言ったように本当に毎日ジュリアがデルフィーナにあんなことをしていたのなら、デルフィーナを護衛という名の監視をしている王宮の者が母上に伝えているに決まっていた。

別に公爵家の権力を振りかざしていたわけではなかった。



「聞きたいことがある」


僕に今日付いているデルフィーナの護衛は、僕の言葉に一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに無表情に戻った。


「こちらがお話をするよりも、ご自身でお確かめになったほうが早いこともございます」


そう言うと、僕の前を歩きだした。適度な距離を空けてそれとなくついて行く。

食堂ホールを出てその前の廊下から、中庭に繋がる小径へ出た。

その小径を行くと、護衛は少し速度を落とした。そしてモクレンの木に身を隠すようにして、黙って掌を斜めの方向に向けたから、僕も木に隠れる。

小さな小屋と木々によって作られた陰で、足を絡めるようにして見つめ合っている二人は……ジュリアとコルラードだった。


「もう少し近くまで行けますがどうなさいますか。会話も聞き取れると思われますが」


「いや、いい。戻る」


見た光景の不愉快さに、眼球が燃えているように感じた。

ジュリアについて、食堂ホールでのことも含めて僕の理解が追い付かない。

もう何も見たくも聞きたくもなかった。

落ち着いて頭の中を整理する時間が必要だった。



***



王宮に戻り、もちろん自分の私室ではなくデルフィーナが与えられている部屋に向かう。

馬車は裏門に入り、ずいぶん離れたところで降ろされた。

そこからしばらく歩いて王宮内に入り、石の廊下を歩いていると、グエルティーノが令嬢と共に近づいてきた。


「見たくもない顔を見るとは俺もついてないな」


グエルティーノが吐き捨てるように言う。デルフィーナ姿の僕は何もしていない、声すら掛けていないというのに、グエルティーノからそんな言葉を浴びせてきたのだ。

いつもこうなのか……。

隣にいる令嬢は、グエルティーノの婚約者だったか。確かドナーティ侯爵家の令嬢だ。


「なんで黙りこくっているのよ」


侯爵令嬢が、格上のデルフィーナにこの態度か。

今日は一日見たくもない光景ばかりで、王宮の中でもこれだ。

二人を無視して通り過ぎる。


「おい、そんな偉そうな態度を取って自分の立場を解っているのか!?」


偉そうなのはおまえではないか。

クレメンティ公爵の後妻の連れ子であるグエルティーノはクレメンティの血が一滴も流れていない養子だ。自分の立場を解っていないのはグエルティーノのほうだ。

これまでは本人が言うところの、優秀だからクレメンティの跡継ぎに抜擢されたという話を普通に受け入れていた。

だが、自分の婚約者である侯爵令嬢がクレメンティの正しい血を継ぐデルフィーナにこんな口を利いているのに何も言わないなど言語道断だ。

グエルティーノのことも、この三日が過ぎたら遠ざけようと決意する。


ただ、グエルティーノがここまで増長したのも、自分が悪いのかもしれない。

婚約者である僕がデルフィーナを雑に扱っていたから、グエルティーノも他の者たちも僕に同調したのだと今頃気づいた。


デルフィーナとして学園や王宮を歩いているだけで、こうも不愉快になるとはまったく予想もしていなかった。

デルフィーナの姿だったからこそ見えたものばかりだ。

すべての元凶である僕に、デルフィーナが笑顔を見せなくても当然だったのだ……。


やらなければならないことができてしまい、その先にある真実が王太子である僕を脅かすものだと分かり始めた。

巨大な憂鬱の渦に巻き込まれて吐きそうになった。



デルフィーナの机の引き出しから、一番上にあるノートを出した。

昨日は、これを見ることはデルフィーナの策略のような気がして触れるものかと思った。

デルフィーナと入れ替わった僕が読むことを予測して、これみよがしに引き出しに入れられているのだと感じていた。

だが、そんなつまらないプライドを鎧のように着込んでいる場合ではない。

逸る気持ちを抑えながら、気を落ち着けながらノートを開いた。



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