【デルフィーナとして ①】
ふっと目を開けると母上が微笑んでいた。
「デルフィーナ、気がついたのね」
デルフィーナと呼ばれ、はっとして自分が横になっていたベッドを振り返る。
そこには鏡で見慣れた自分が横になっていた。
規則正しく掛け布が上下しているのを見て安心する。
どうやらデルフィーナは、無事に僕の身体の中で眠りについたようだ。
「母上……」
「王妃様、もしくは王妃殿下と呼びなさい。あなたはこれから三日間デルフィーナ・クレメンティ公爵令嬢です。婚約者である彼女のことはよく知っているでしょうから、これからデルフィーナとして過ごすことに何の憂いもないでしょう」
「……はい、王妃殿下」
そう答えたものの、デルフィーナのことなどほとんど何も知らないことに今更のように気づく。
「いいですか、大切なことなのでもう一度言います。あなたは今からデルフィーナ・クレメンティ公爵令嬢です。これを脅かすようなこと、デルフィーナの尊厳を傷つけるような振舞いや言葉は許しません。
万が一のことがあれば、たとえ私の息子であっても容赦はしません。
それを胸に刻んで三日を過ごすように。
なお、デルフィーナ付きのメイドや侍女はすべて王妃である私が差し向けた者たちです。
あなたの三日間はすべて監視、報告されると思いなさい。
ごく僅かですがこの事情を知っている者もいますが、それがどの者かは言いません」
「それで、これからどうすればよいのですか」
「とりあえず今日はデルフィーナの私室でおとなしく過ごし、明日はいつもどおり登園なさい。もちろんデルフィーナとしてよ。ロルダンは風邪で療養中ということになっていますからね」
「分かりました」
「かしこまりましたと答えますよ、デルフィーナは」
「……失礼いたしました。かしこまりました、王妃殿下」
***
デルフィーナが与えられている部屋に入った。
三日間は僕に部屋を明け渡すつもりだったのだから、僕に見られたくないものはすべて片付けてあるだろう。無駄な探索などするつもりはなかった。
ただ、着替えようとクローゼットルームに入った時に、ドレスや靴の数はこんなものなのかと、少し意外だった。
もう二年もここで暮らしているはずなのに、あまりにも少ないのではないか。
まあ、デルフィーナの義弟グエルティーノが『物を大切にせずに気に入らないとすぐに捨てる』と言っていたので、一度袖を通して着なくなったドレスは次々処分しているのかもしれないな。
あらぬ疑いを母上に掛けられると困るので、侍女に服を持ってこさせ着替えを頼んだ。
デルフィーナの身体に何の興味もない。
だが、デルフィーナがここで何を考え、何をしているのかは興味があった。
デスクに座り、一番下の深い引き出しにあった紙の束を取り出してみる。
そこには花や草の名前が書かれている紙がたくさんあった。
花の絵が描かれていたが、お世辞にも上手いとは言えない。
あのデルフィーナにも上手くできないこともあるのだと、思わず口元が緩む。
次の束は、高位貴族一人に付き一枚の表裏に、公爵なら公爵の瞳や髪色、領地の特徴やその地の特産物などがみっしり記入されていた。
夫人の好物や好きな紅茶の茶葉の産地や、夫人の両親の誕生日や飼い猫の名前まで。
ひとつひとつの情報の横に日付が記載されており、時々書き換えられている。
逐一、最新の情報を掴んでは更新しているというのか……。
感心するというより、苛ついてしまう。
この調子で僕の『情報』を更新しているのなら、デルフィーナの中の僕は日に日にその評価が落ちていっていることだろう。
しばらくすると、侍女が声を掛けてきた。
「デルフィーナ様、お食事のご用意が整いました」
「そう、わかったわ」
別の侍女がワゴンを押して部屋に入ってきて、テーブルに並べ始める。
デルフィーナは自室で食事を摂っていたというのか?
言われてみれば、ダイニングでその姿を見かけることはなかった。
母上が招き入れて住まわせているとはいえ、王族とは特別なことがない限り一緒に食事をすることはないということだったのか。
席につき、テーブルに並べられた食事に唖然とする。
これだけ、なのか?
小さなスープマグに半分ほどのポタージュと、片手で持てるボウルに野菜と茹でた卵が半分、白い小さなパンが一つでバターもジャムもない。オレンジが二切れと紅茶。
夕食だというのに肉も魚もなく、まるで朝食のようだ。
まだ少し温かいスープが冷めないうちに食べ始めるが、ポタージュスープの薄さに唖然とする。塩気のあるミルクをお湯で薄めたようで飲めたものではない。
侍女たちは入口のドアまで下がり、誰かと話すこともないからあっという間に食べ終わってしまった。
いつもの僕の食事量からするとあと三セットは食べられるが、意外にも腹は膨れた。
デルフィーナの身体なのだから当然か……。
食事をしたのに、腹はそれなりに満たされたのに、どこか身体に穴でもあっていろいろなものがこぼれ落ちているような感じがあった。
これほど満足感がゼロに等しい食事があるだろうか。
母上はどうしてデルフィーナにこのような食事を出しているのだろう。目をかけて特別に可愛がっているのだと思っていたが、そうでもないのだろうか。
ポットの紅茶から自分でお替りを淹れたものを飲み干すと、待っていたかのように侍女がやってきてテーブルを片付けた。