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【王妃の秘薬】



母である王妃殿下に呼ばれその私室に入る。

幼い頃はよくこの部屋で過ごしたが、ずいぶんと久しぶりだった。


部屋に入ると、侍女たちが一人残らず外へ出て行く。その中で、婚約者であるデルフィーナが人形のようにソファの端に座っていた。

チラリと彼女に目をやるが、デルフィーナは僕を見ようともしなかった。

腰まであった長いたっぷりとした髪が肩より少し長いくらいになっていた。

学園ではいつもどおりだったのではと思い出そうにも、あの時どうだったか覚えていない。

こんなに髪を短くしてどうするつもりなのか。

僕の心臓がおかしな動きをし始めているというのに、デルフィーナはまったくの無表情で、

不愉快さと何とも言えない恐ろしさのようなものを感じた。


昼間の騒動のデルフィーナは、いつもの能面のように表情を変えないデルフィーナではなかった。

僕の友人たちの言葉にいちいち正論めいたことを吐き、涙さえ落とした。

あのようなデルフィーナは初めて見た。

トビアスの暴力に肩を震わせて泣いたデルフィーナに駆け寄りそうになったが、僕はそうできなかった。

あの時ジュリアが僕の腕を強く掴んでいなければ、デルフィーナを抱き起こしたのは彼女の護衛ではなく僕だったのかもしれない。


今、目の前のデルフィーナはいつもの無表情に戻っていた。

いつもと同じなのに、何か得体のしれない不安を感じる。


「ロルダン、あなたは『王妃の秘薬』について、きちんと陛下から学んだかしら」


「もちろんです、母上。倒れられる前のことですが、しっかりと父上から教わりました」


『王妃の秘薬』とは、王太子の婚約者となって妃教育を終えた者が望めば与えられる薬のことだ。

飲めば王太子と魂が入れ替わり、婚約者は王太子の身体の中で三日眠りにつくという。

その間、婚約者の身体に入った王太子は自由に過ごせる。

苛酷な妃教育を終えた婚約者の『魂の休暇』だと父上は言っていた。

いつもどんなことも無表情でこなしているデルフィーナも、さすがに三日の休暇を望むというのだろうか。

その許可を僕に乞うのであれば、休暇を与えてやってもいい。

その間デルフィーナとして僕は動けるのだから、可愛げのない無表情のデルフィーナがいつも何をしているのか、知ることができるのは悪くない。


「それなら安心ね。陛下自らロルダンに与えた教育の内容を、今ここで私が繰り返すことはいたしません。先月お妃教育のすべてを終えたデルフィーナは、ひと月の熟慮期間を経て、『王妃の秘薬』を望みました。ロルダンはそれに同意しますか?」


「デルフィーナがそれを望むのであれば同意します」


ほんの少しデルフィーナの表情が動き、僕をその目で捕らえた。

ああそうか、『王妃の秘薬』には王太子の血液が要る。デルフィーナは薬を希望することで僕を傷つけることを心配しているのか?

いや、そんなはずはないな。デルフィーナが僕にそんな優しさを持っているはずがない。

いつも僕がジュリアを大事にしているから、ジュリアに酷いことをしているような女なのだ。

おおかた僕に勇気がないと侮っているのだろう。

よし、デルフィーナの身体に入ったら、この女の秘密を暴いてやろう。


僕はデルフィーナとの婚約を破棄するつもりはない。

優秀な能力とやらを、この先この女から吸い上げ続けてやるのだ。


真実の愛というものは、政略の為に整えられた王族の婚姻制度の中では見つからない。

デルフィーナを切り捨てたところで、第二のデルフィーナがあてがわれるだけだ。

しかも、二番手だからその能力さえデルフィーナに劣るだろう。

愛など王宮の外で見つけるものだ。この国の頂きに立てば、いくらでも外で愛を育むことができる。

父上がそうであるように。

僕とすぐ下の弟エクトルは王妃殿下の子だ。

男児二人を産ませた父上は、それから母上を遠ざけ王宮の外に元平民の愛妾を囲っているが、愛妾には子を産ませていない。

妾腹の子がいれば要らぬ争いが生まれるからだ。

そうしたところは僕も父上に倣うつもりだ。

僕を心から慕い微笑と癒しをくれるジュリアを迎えることができればと思っている。

父のように平民相手ではないのだから、社交はすべてジュリアが行えばいい。

デルフィーナを政務に縛り付け、優秀さを発揮してもらえばいいのだ。


「もう一度尋ねます。ロルダン、あなたは『王妃の秘薬』をデルフィーナに与えることを許可しますか? 後悔はありませんか? 今ならまだ戻れます」


「僕は『王妃の秘薬』をデルフィーナに与えることを許可します」


母上は目を伏せて長く息を吐いた。

そして息を吐き切ると、かっと目を見開いて僕の前に書類を一枚滑らせた。


「ではロルダン、これをよく読んでサインをなさい」


紙を手に取ると、『王妃の秘薬』をデルフィーナが所望すること、『王妃の秘薬』がもたらすすべてのことについて受け入れること、その責任の所在は望んだデルフィーナと与える許可をした王太子ロルダンにあることなどが記されている。

すでに一番下にデルフィーナの美しい文字の署名があった。

その上の王太子と書かれた横に、僕はサインをした。


「母上、サインをしました」


紙を受け取った母上は、じっと書面を見ていたが文字列に焦点が合っていないような、そんな感じがした。

いったいなんだと言うのだ。

たかが三日眠るだけのことだろう?


「ロルダン、少しの勇気と痛みを差し出してもらうわね。こういうのは他者がやるよりも自分でするほうが痛みも小さくて済むものだから、自分でやりなさい。指先を少し切って、この瓶に直接血液を垂らして……そうね、三滴ほど入れてもらえるかしら」


藍色の小瓶と小刀がテーブルに置かれた。中にはすでに三分の二ほどの液体が入っている。瓶が濃い藍色だから、その液体が何色であるかも分からない。

デルフィーナに勇気がないと思われるのは(しゃく)だから、すぐに小刀を美しい鞘から抜いて左手の薬指の先に小さく傷をつけた。

薬指にしたのは、何かするときにそれほど物に触れなさそうだからだ。

指先に少しの痛みが走った。

ぷっくりと盛り上がった血液のすぐ下をぎゅっと握り、藍色の小瓶に垂らしていく。


「母上、これでよろしいでしょうか」


「ええ、『王妃の秘薬』の完成ね。デルフィーナ、確認なさい」


母上は小瓶の口に蓋を差し込むと、くるくると底を回すようにして中身を混ぜた。

そしてその小瓶をデルフィーナの前に置く。

少しの間をおいて、デルフィーナは小瓶を手に取った。


「ロルダン王太子殿下、私に『王妃の秘薬』を許可してくださり心から感謝申し上げます。

ありがとうございました」


デルフィーナはそう言うと、花のような微笑を見せた。

こんなに美しく可愛らしく微笑むデルフィーナは見たことがなく、心臓が跳ねた。

そもそも『ありがとう』と言われたことが初めてだった。

それはデルフィーナが礼を言うようなことを僕が一度もしたことがなかったということに気づかないほど、その笑顔に動揺した。


「これからロルダンの部屋に行き、そこでデルフィーナは薬を飲みます」


母上はそう言うと、立ち上がってドアのほうへ歩き出した。僕もその後に続き、小瓶を大切そうに持つデルフィーナは僕の後ろを歩く。

僕の部屋でデルフィーナが『王妃の秘薬』を飲むことは父上の話の中にあった。

そのため、いつもより丁寧に掃除と片づけをするようにメイドに申し伝えてある。

だから特に不安はないが、僕の部屋にデルフィーナが入るのかと思うと、先ほど初めて見るような笑顔で跳ねた心臓がまた強い力で内側から僕を打つ。

母上は僕の部屋の三歩手前で止まり、僕が前へ出て扉を開ける。


「母上、デルフィーナ、どうぞ」


二人が部屋に入り、ソファへと促した。

デルフィーナは僕の部屋の設えに興味もないようで、また無表情で浅くソファに腰かけている。


「ではロルダンは着替えてからベッドへ入りなさい。デルフィーナ、ロルダンが横になってから、あなたのタイミングでそれを飲みなさい」


言われた通り、クローゼットで夜着に着替えベッドへ入り横になる。いつもは人の手を借りて着替えるが、今日ばかりはそういう訳にもいかないのだ。この時間から夜着を着るのはなんだか変な感じがする。

デルフィーナが薬を飲みそれが胃の腑に収まった頃、互いにしばらくの暗闇が与えられ、僕の意識はデルフィーナの身体に入り、デルフィーナの意識は僕の身体の中に入ってそのまま眠る。

その『しばらくの暗闇』がどのくらいの時間であるかは、その時にならないと分からないと父上は言っていた。なるべく短く済むようにと思う。


「デルフィーナ、後のことは心配いらないわ。陛下がご快癒なさるまで、あらゆることを私が代理として執り行います」


「はい、王妃様。すべて王妃様にお任せいたします。陛下の御身体が回復なさいますこと、心からお祈りしております。では、こちらを戴きます」


デルフィーナの声がして、小瓶の蓋をテーブルに置いたと思われるコトンと小さな物音が聞こえた。

僕は思わず唾を呑み込んだ。

デルフィーナと母上の息遣いに耳を傾けているうちに、目の前が真っ暗になった。

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