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【王妃様と最後の面談】



部屋に戻り、王太子妃教育最後のプログラムを受けるための支度をする。

これから王妃様に、最終的な私の意思を伝える。

前回のお妃教育は先月で、ひと月も間が空いたのには訳がある。

王太子の婚約者として、自分の未来をひと月掛けて考えるという時間が設けられていた。



私もずっと考えてきた。

他国で婚約破棄が公の場で行われたという噂を聞いたことがある。

私もロルダン殿下から婚約破棄を突きつけられるのではないかと思ったが、彼の思惑は違った。


王太子の婚約者は王太子本人の感情とは別の次元で決められる。

ならば優秀で由緒ある公爵家の婚約者と結婚をして、王家の中でその能力を吸い上げ続ける。

跡取りをさっさと産ませたら、外に愛妾を囲うのだという。

あまりにも私という人間を馬鹿にしたロルダン殿下の未来像だった。


王太子の婚約者は、王家が決めるものだ。

臣下である貴族の側から拒むことはできない。

だが、それはあまりにも婚約者となる女性の人生を軽んじていると、今から何代か前の王妃様がお定めになった制度があるという。


半年ほどの王太子妃教育の最後に、本当にこのまま王太子と結婚するか、辞退するかを選ぶことができる。

ただし、辞退と言ってもそのまま何も無かったようになるわけではない。

王太子妃教育の中には、国の機密事項に接触することも含まれている。

学園でこの王国の歴史を習うが、そこで習った物と全く違っていた。


例えば、ノース海峡での我がオルティス王国軍と敵国レーベン王国との闘いで命を落としたとされている当時の王太子ゲラント殿下について、彼は我が王国の英雄だ。

それが王家の禁書の中では、ゲラント王太子殿下は船には乗らずテントの中で近隣の村から攫ってきた農民の娘と同衾中に急に胸を押さえて亡くなったとあった。


三代前の国王は、実は父であるその前の国王と国王の実妹の子だったなど、スキャンダラスなことで溢れていた。学園で習う王国の歴史とは、王家による捏造の物語だったと驚いたものだった。

他にも王家が掴んでいる他国の情報、貴族たちのスキャンダル、城の隠し通路と隠し部屋の位置、歴代王子の閨教育の相手婦人の名簿など、多岐にわたる極秘情報があった。


それをすべて学び終えたとき、何も婚約時代に学ばなくても、無事に婚姻が結ばれてからでいいのではないかとひっそり思った。

そうすれば結婚前に『秘密』を抱えることもないだろうに。

しかも、特に必要のないと思われる情報もたくさん含まれているのだ。

歴代王子の閨教育の相手の名簿など、王太子の婚約者に知らせてどうするというのか。


それでも長い間踏襲されてきたことを、歴代の王妃様たちは自分の代で変えるおつもりがなかったようで、私はそれまで同様の王太子妃教育を受けたのだった。

ただ、それは少し理解できるような気がした。

慣習や決まり事など、今はもう意味がない必要ないと思ったとしても、長く受け継がれてきたものを自分の代で終わらせるのは勇気が要る。

そんなことをしたら、王家という存在そのものが危うくなる。

ある意味そうして受け継がれてきたものの象徴が王家と言えるからだ。


そしてこれらの王家の秘密を知ってからとなる婚約辞退は、『王妃の秘薬』を婚約者が王妃殿下に所望することで得られる薬を飲んだのちに成立する。

その『王妃の秘薬』とは、何十種類もの薬草の根や花や茎や葉を調合し、王妃様自らが作る。

それに、王太子の血液を入れて完成させたものを婚約者令嬢に王妃が与えて飲ませる。


すると、王太子と婚約者の魂が入れ替わり、王太子の身体に入った婚約者は三日の眠りにつく。王太子はその間は軽い風邪を引いたなどの理由がつけられ、眠っている姿を見ることができるのは王妃様、そして眠る王太子の世話をする側近一名の、二人だけだ。

その三日間は『厳しい王太子妃教育を終えた者の休暇』と呼ばれている。

王太子妃教育が僅か半年なのは、高位貴族に生まれた瞬間からあらゆる教育を受け、王家が求めるそれを会得している者しか婚約者になれないからだった。


三日の後、目を覚ませば王太子と婚約者の魂は元に戻り、婚約者は生まれてから『王妃の秘薬』を飲んで眠るまでのすべての記憶が失われている。

王妃様は、婚約者令嬢が目覚めた後の新たな身分を与える。

食事をする作法や物の名前など、そうした基礎的な記憶は失われないらしい。

なんとも不思議な薬だ。

もちろん王太子妃教育の最後に、『王妃の秘薬』が自分に何をもたらすのかはすべて聞かされている。

これまで『王妃の秘薬』を所望した婚約者令嬢は二人いたという。

一人目の婚約者令嬢はすべての記憶が消えたのち、当時の王妃様の手引きで隣国に渡り、王妃様の遠縁の貴族の養女となって、静かに暮らしたという。

二人目は、やはり当時の王妃様の手によって王都から離れた土地の商家に嫁いだと聞いた。

王妃様によって新しい名前を与えられ、実家とも離れた第二の人生だが、当人の希望も考慮されているそうだ。

希望を婚約者側が伝えるのではなく、王妃様が汲んでくださる。

私はどういう形になるのだろう。

どんなものであっても、少なくともロルダン殿下に便利に使われるだけの人生よりも良いものになると思える。


三日後に失う記憶には、両親のこともこれまで苦労して学んだ全ても、友人も先生も、すべてが含まれる。言うなれば私のここまでの人生すべてを失うのと同じだ。

ロルダン王太子殿下と結婚する未来と引き換えにするのは私のこれまでの人生。

大切な友人たちを忘れてしまうのは辛いことだが、すべてを忘れた私が新たに素敵な人たちに出会えるかもしれない未来に賭けてみたい。

それほどロルダン殿下に絶望を抱いていた。

ただ搾取され続ける人生よりも、すべてを忘れる方を選ぶ。

私はこれまでの人生すべてをチップに替えて、オールチップをまだ見ぬ未来に置くのだ。


そして私が『王妃の秘薬』を所望することで、クレメンティ家の一族も小さくない傷を負うが、私のせいでクレメンティ家が消えても構わないと思っている。

クレメンティの正しい後継ぎである母を蔑ろにし、クレメンティの血が一滴も流れていない父の、後妻の連れ子に渡るくらいなら潰してしまえばいいのだ。後妻の連れ子など、父の血すら入っていない真っ赤な他人だ。

母の死を、クレメンティの血を持つ誰もが悼んでくれなかった。

母と結婚しただけの父が悪事で稼いだ金を、クレメンティの一族にずっと流しているからだ。

母と血が繋がっているのに、婿である父の汚い金に縋りつくしかないほど、名家であったクレメンティは落魄(おちぶ)れていた。もはや父からの金が無ければ貴族として成り立たないほどに。


父は母の葬儀すら行わず『他者に感染する病で亡くなった』という嘘を理由にしてクレメンティの墓地にすら埋葬していない。

王都の外れの共同墓地に密かに埋葬したのを私が王妃様に訴えて、王妃様が秘密裡に王妃様の実家であるアドルナート領に埋葬し直してくださった。

母が亡くなった時点でもう、クレメンティは終わったようなものだった。

母に花の一本も手向けようとしなかった親戚らは、私の婚約が公になると馬車を連ねてやってきた。

その恥知らずたちは『いよいよクレメンティから未来の王妃が生まれる』と口々に言った。


──残念ながら、生まれませんわ。


私は今日、王妃様に『王妃の秘薬』を私のこれまでのすべてと引き換えに所望する。

クレメンティ公爵家に生まれた母を蔑ろにされてこれからすべてを忘れる私が、一族のその後など考えるはずもなかった。



***



私が王妃様の私室に招き入れられると、王妃様はすべての者を部屋から出した。

そのため、王妃様が手ずからお茶を淹れてくださった。


「王妃殿下、その後国王陛下の御容態はいかがでしょうか」


三週間ほど前、執務中に血を吐いた陛下が東の離宮で療養なさっていると王妃殿下から伺っていた。そのことを知るのは僅かな者だけだ。

通常の傷病であれば私室での療養となる。

離宮での療養は、平癒することが叶わないとされた場合だ。

王宮の医師、薬師、そして術師のすべてがその命の終わりが近いと判断すると離宮での療養となる。

この頃の陛下はお痩せになられたと、密かに案じていたところだった。


「夕べは、陛下が子どもの頃にお好きだったというミルク粥を召し上がったわ」


「それは安心でございますね」


そう返しながら、御容態については王妃様が何も言及しなかったことからあまり良い状態ではないのだろうと察する。

近隣諸国の王と比較して陛下はお若いけれど、胃の腑の病となると肉体が若いほど悪化が早いと聞いたことがある。

このような時に、王妃様は今がロルダン王太子殿下を廃嫡するのに好機と判断なさった。

今、国璽(こくじ)を押すのは離宮で療養中の国王陛下ではなく、王妃殿下なのだから。




「デルフィーナ、最後の確認をします。

本当に『王妃の秘薬』を望むというのね? すべてを理解した上での覚悟なのかしら。あなたはこれまで生きてきたデルフィーナという人間のすべてを捨てることになるのよ?」


「はい、王妃殿下。わたくしはわたくしのこれまでのすべてと、ロルダン王太子殿下の妃になるはずだった未来を引き換えにしたく存じます」


「……分かりました。ロルダンはあまりにも愚かでした。デルフィーナが秘薬を飲み、ロルダンに三日の間『現実』を見せたあとに廃嫡とします。

もうデルフィーナは興味もないでしょうけれど、新たな王太子はロルダンのすぐ下の弟エクトルとする手続きをしているところよ」


「エクトル殿下の聡明さは、この王宮内を歩けばいつでも知ることができますわ」


「デルフィーナに秘薬を渡す前に、王妃ではない一人の私として謝らせてほしいの。

あなたの母エルシーリアと私は魂の双子と互いに言い合うくらいにかけがえのない私の唯一だったのに、そのエルシーリアの大切な娘であるあなたを守りきれなかったこと、本当にごめんなさい。

そして息子ロルダンをこの国とあなたを守れる人間として育てることができなかったこと、本当に申し訳ありません」


そう言うと王妃様は肩を震わせて頭を下げた。

最後の言葉は、私に向けたものではないのかもしれない。


「王妃様のせいではありません。父や王太子殿下が私に愛を向けなかったのは可愛げがなかった私のせいでもあるでしょう。

私は母の娘であったこともこれから忘れてしまいますが、母から受け継いだものは血や肉として私に残ります。そしていつか母の元へ行けば、母が私を迎えてくれますわ。だから何も寂しくありません。

最後にひとつだけ我が侭を申し上げてもよろしいでしょうか」


「何かしら? 私の私物なら何でもあなたにあげるわ、デルフィーナ」


「私のことを抱きしめてくださいませんか……マルジョレーヌ様」


王妃様は大きな瞳で驚いたように私を見つめ、そろりと腕を伸ばして私を抱きしめてくださった。

誰かのぬくもりに触れるのは母が亡くなって以来のこと。

王妃様は私の背中を何度も撫でてくださった。

この温かさもこれから私は忘れてしまうのだと思うと、初めて悲しみが押し寄せた。


「デルフィーナ、あなたがすべてを忘れても、私はあなたのことと私自身の罪を忘れないわ」


静かに私を離した王妃様は、テーブルの茶器を手早く片付ける。

そして部屋の外に居る誰かに、


「ロルダンをここに呼んでちょうだい」


そういつもの声色で命じた。


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