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【エピローグ】



王城が夕闇を纏う時間を迎えている。

鳥たちが、王城を背後から抱くように存在する森に帰っていく。

ガイロは裏庭にロンを探しに向かった。

空の色から時間を読むことにまだ慣れていないロンは、夕暮れ時が短いことを忘れ、戻る時間をいつも過ぎてしまう、まるで子供だった。


裏庭の奥深いあたり、低木に寄りかかってロンは眠っていた。

記憶を失っているロンは、一日の中で何度かこうして眠ってしまうがそれほど長い時間ではない。

十五分もすればすぐに目を覚ます。

他の仕事であれば許されることではないだろうが、ガイロは厳しく言うつもりはなかった。

自分が揃えた草花の『薬』を飲んだせいだという罪悪感めいたものを感じている。

そろそろ起こそうかと近づこうとした時、ロンから少し離れたところに人影が見えて足を止める。

息を詰めているように、その人影は動かない。

ガイロは静かに来た道を戻った。


今日一日拾い集めた花殻や萎れた葉などを、大きな麻袋に入れる。

これはロンの仕事で、彼自身が決めた今日の分の区画の中で丁寧に集めてくる。小枝や小石などを混ぜてしまうことをしないので、ロンが集めた花殻たちは麻袋の中で嵩を減らすのが早い。

ロンがここへ来てから数か月が経ち、すっかり日に焼けて、伸びた髪を無造作に麻紐で結わえていた。

仕事に必要な筋肉が自然に付き、ガイロが預かった日の姿からは別人のようになった。

相変わらず何も思い出せていないようだが、眠っている時にうなされていることがよくある。取り戻せていない記憶が、眠っている時にロンの中で暴れているのだろうか。


作業小屋に戻り麻袋を編んでいると、戸を静かに叩く音がして、高貴なお方が小屋に入ってきた。



***



あの日、『王妃の秘薬』に使う草花を集めて高貴なお方に渡したら、金貨を一枚置いて高貴なお方は出て行った。

それなのにすぐに戻って来た。

美しい布の袋をガイロの胸に押しつけるようにして、別の『秘薬』のレシピの名を囁いた。

『あなたなら、材料を言わずとも集められるのでしょう?』と。

ガイロは頷き、袋の中身をテーブルの上にすべて出し、新しい秘薬のレシピに不要な物を除けた。

そしてカゴを持って再び裏庭に飛び出すと、頭の中にあるレシピに必要な草の根や葉などを集めていった。


息を切らして戻り、テーブルに置かれている草花の横に、今集めてきたものを並べた。

高貴なお方は、それを確かめる。


『あなたにお願いがあるの』


言うと同時にテーブルに金貨を三枚置いた。

金貨三枚が対価となる『お願い』を聞くのは恐ろしかった。

聞いてしまったら断ることはできないのだろう。


『あなたの息子さんを、私の大切な女の子のお婿さんにくれないかしら。代わりに記憶を失くした人物を、あなたの息子さんのようにここに置いてほしいの』


ガイロは高貴な方が言った意味をおよそ理解した。

先に集めた材料で作る『秘薬』ではなく、それとは反対側に効果が現れる『秘薬』。

そのレシピが何を、どのような効果をもたらすのか──。



『孤児院で暗がりを見つめていた子どもが、私の息子です。あなたさまの大切な女の子を守る者としてふさわしいかどうかは分かりません』


高貴なお方はガイロの後ろ向きな話を聞いたのに、何故かパッと明るい顔になった。


『よその子どもを立派に育てた実績があるのね、安心だわ。

あなたが引き受けてくれれば、この国は昨日と似た明日を迎えることができるの』


それはお願いでも命令でもなく、哀しみで包んだ祈りのようなものだった。


『分かりました』


それから高貴なお方はジルドを連れて行き、その後従者と共に眠っている男性を運び込んだ。

少年と青年の狭間あたりの年齢で、眠っているがその面差しは目の前の高貴なお方に似ている気がした。

これから彼に、息子にしてきたように仕事を教えていくことになるようだ。


ガイロは、ダイスも振っていないのに人生のマス目を戻された気がした。

やっと息子に譲ってのんびりしようと思っていたが、しばらくはそれもお預けだ。

娘や孫へ贈るものを買いに出る時に、新しい息子にもいろいろ買ってやらねば。

高貴なお方から戴いた金貨は、戴いたのではなく預かったのだ。

ガイロは、新しい息子もしっかりと育てていこうと少しわくわくした。


***


「今日はね、息子さんの結婚式の招待状を預かったから渡しにきたの。彼はとても素晴らしいようね。

新しい土地の管理業務をしっかり覚え、貴族のマナーやしきたりなども着実に習得していると聞いたわ。

妻となる女の子のことをとても大切にしているとのことで安心したのよ。結婚式の頃には、彼が植えた花々が見事に咲くのでしょうね」


ガイロは、その屋敷の庭に植えられた花々を想像した。

ジルドがこの王宮の裏庭で大切に育てていたオルレアが、見たこともない屋敷の庭で揺れている、そんな風景を。

息子は穏やかな幸せを掴んだのだと、ガイロの胸に温かいものがじんわりと広がった。


「結婚式には、私のような者は参列しないほうがいいでしょう。

何かお祝いを贈りたいのですが、私は不調法ですからあなた様が選んでくださればありがたいことです」


そう言うとガイロは、懐から出した小袋の金貨四枚をテーブルに置いた。


「せっかくの息子さんの晴れ姿を見なくてもいいのかしら……。でも分かったわ。

花の形のテーブルランプなんてどうかしら。あなたの名前で贈っておくわね。

でもこの金貨はしまってちょうだい」


高貴なお方は元の小袋の中に金貨を収めると、ガイロの手にそれを載せた。

それを拝むようにして懐に戻した。


「花の形のランプは同じ物をいくつか贈るのがいいわね。花の色が違っても素敵だわ」


「花の形のテーブルランプ……きっと息子は喜ぶことでしょう。心から感謝します」


そのランプは、夫婦の暖かい部屋だけではなく、ジルドの行く道も明るく照らしてくれるだろう。

孤児院育ちの平民だったジルドが貴族の養子となって暮らしていくには、ジルドがどれだけ努力家であっても苦労は尽きないはずだ。

そうした苦労も優しく包み込み、ジルドの道を照らしてくれる花のランプだ。

ジルドの道を共に歩く人がいてくれることを、ガイロは途方もない喜びに感じた。



「……それから、ここに連れてきたロンの調子はどうかしら」


「彼は覚えも早く、与えられた仕事に真面目に取り組んでいます。身体も逞しくなりました。もっともこれまでの自分については、まだ何も思い出せないようですが」


「そう。しっかり仕事をしているのなら良かった。あなたに頼んで正解ね」


ロンの素性について、ガイロは真実を知っているつもりだが、意外なほどに使用人たちの間でそんな噂を聞くことはなかった。

ガイロは誰にも、ロン本人にも何も言うつもりはない。

ロンがしっかりと仕事を覚えるまで、それからジルドが我が子を抱く日までは生きていたかった。

高貴なお方は、ガイロの口を永遠に閉ざすレシピをいつかガイロに囁くだろうが、その日が一日でも遅ければいいと願った。



***



庭師小屋を出た高貴なお方は、新たなレシピを庭師に頼まずに済んだことに安堵していた。

小屋に到着する前の裏庭で、居眠りをしているロンを見た。

髪も髭も伸び、土で汚れたシャツを肩までまくり上げたところから見えた腕は、日に焼け筋肉がしっかりついていた。

もしも庭師の仕事が無理なようであれば、新たな(命を奪う)レシピが必要になることを覚悟していた。

遠くの地にやるには、万が一記憶が戻ってしまった時に対処ができないので手元に置いておかねばならなかった。

決して、手放したくないという理由ではない。

すっかり記憶を取り戻し、自分の現状を受け入れられるようになっていればその時は遠くへ送り出す。


無防備に居眠りをしている姿を見て心が痛むと同時に、どうにか『ロン』として生きていけそうに思えて安心した。

こうした秘薬の効き方には個体差が大いにある。自分を取り戻した時に、置かれた状況を理解し受け入れられるだけの時間が経っていることをひたすら願った。


彼が自分の愚かさから、婚約者令嬢がそれまでの人生を捨てることと引き換えにしてでも結婚したくないと思い詰めるほどに傷つけたことを、彼が記憶を失う前に知ることができて良かった。

あの日握りつぶした手紙には、ぐじぐじと反省と謝罪が書き連ねられていた。

そんな謝罪など、傷つけた相手のためにならない。

ただ、謝りたいという傷つけた側の自己満足の押し付けでしかない。

いつかロンがすべて思い出した時、それが自己憐憫に過ぎなかったことを知るだろうか。


ロンが記憶を取り戻したとあれば再びこの庭師小屋を訪れることになるが、それがなければもうここに来ることは無い。

王太子は風邪を拗らせて命を落とし、すぐ下の弟王子が王太子となった。

国王が療養中ということもあり立太子の華々しいセレモニーはなかったが、それでも立太子の話題で元の王太子が表舞台から去ったことは目立たずに済んだ。

元王太子の葬儀はひっそりと身内だけで済ませたと発表した。

この先、ロンの記憶が戻っても王宮にロンが戻ることは無い。

どうにか庭師として生きていけるようになれば、別の領地に庭師として送り出すつもりだ。

あの子の居るところから遠く離れた領地に。



高貴なお方はこれまでにない疲れを感じていた。

療養中の国王の命の蝋燭もあと僅かで、やるべきことがたくさんあった。

だが、花の形のテーブルランプを探してチェスティに届けることを急がなければ。

いろいろなことが片付いたら、久しぶりに大切な友人の墓参りに行こう。

あの子の幸せな微笑も、この目で確かめたい。

そんなことを考えていたら、少し疲れのことを忘れることができた。



そういえば、ロンはあの眼鏡を掛けていたわと、高貴なお方は僅かな微笑を浮かべた。

眠りにつく前、目が悪いのではないかと思える場面が何度かあった。

だが一度も見えにくいことを言わなかった。

以前なら似合わなかったかもしれないが、日に焼けて逞しくなった新しい顏に眼鏡がよく似合っていた。

その眼鏡を通して、新しい世界をしっかり見て欲しい──。



そう願いながら、高貴なお方は足早に戻って行った。

その足元には、白い可憐な花が揺れている。

いつも通り過ぎて目もくれなかったその白い花の、名前はなんというのだろうと思いながら、高貴なお方はすっかり闇に包まれた王城へ急いだ。


この後、最終話を投稿しています →→→

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