007 領主エリックの訪問*
スルーブルグ領主のエリックが騎士団を率いてモールスヴィルへ到着した時には全てが終わっていた。未だ40代前半のエリックは日々の心労がたたり灰混じりの白髪になっている。若い頃は金髪のプレイボーイとして王都で浮名を流した面影は残されていない。十年ほど前に先代が娘の死亡を機に心労で倒れていなければここまで管びれた領主にはならなかった。エリックにしても可愛がっていた妹の死で落ち込んでいる最中に父が死んだと報告を聞いた時には多大なショックを受けた。
「エリック様、村は無事です! 村長は今後の話をしたいと」
偵察に出した兵士の報告を聞き、エリックを始めとした騎士達は安堵のため息をつく。
「ここは無事だったか」
この三年で滅ぼされた村は五つ。モールスヴィルが六つ目になっても不思議では無かった。ここ数年の天候不順で収穫は下がるばかり。されど中央はより多くの税を課すばかり。これ以上村が潰されてはエリックは生存権を賭けて王国へ反旗を翻すしかない。無論、それをすれば王国がかき集めている赤の加護持ちに強襲されて滅びる未来が待っている。ゆっくり餓死するくらいなら貴族として戦場で華々しく散りたい。それはエリック、そして彼の率いる騎士団の共通認識だ。民を守らないといけない矜持のみがエリック達を踏みとどまらせている。
「エリック様は半数を率いてこのまま村へ。残り半数で村の周りに残っているゴブリンの捜索を行います」
エリックの父の代から仕える騎士団長の言を聞き入れ、エリックは村長の下へ向かう。村に入ると肉を運んでいる二人の少年に出会う。
「少年よ、何をしているのだ?」
冬に備えて塩漬けか燻製を作っているのはエリックでも分かる。それでも馬鹿な質問をしたのは金髪の少年に無き妹の面影を見てしまったからだ。
「塩漬けを作っている」
「それには時期が早くないか?」
塩漬けなら十月から十一月に作る。
「え~と、なんだっけ?」
金髪の少年が冴えない少年に聞く。
「ゴブリンの襲撃で家畜が全滅したので、肉が腐る前に塩漬けにしています」
「ほう、そうか。ん? ゴブリンは柵を突破したのか!」
村の家畜は外に出しておくとモンスターか狼に食われるので大抵は柵の内側で飼う。それが全滅したのなら一定数のゴブリンが村になだれ込んだ事になる。
「はい。僕が見た限り柵は三か所壊れています」
「修理は!?」
「残った大人たちが急ぎやっていますが、数日では終わらないと思います」
「おい、数人柵を見てこい。必要なら手を貸せ」
エリックの命を受け騎士で身分の低い者が動く。
「良い話を聞けた。名前を名乗る事を許そう」
「偉……」
冴えない少年が肘打ちして金髪の少年を黙らせる。
「領主様、小作農のアイクでございます。横は同じくレイです」
「レイだ」
エリックは二人が小作農である事を訝しむが、村長の迎えがエリックを迎えに来た。エリックは二人との会話を切り上げ村長の家に入る。村長の家はこの農村にあるまじき豪華な屋敷だ。本来は領主が任命する代官が滞在する家だったのだが、スルーブルグに戦力を集中する過程で無人になってしまった。その状況を目敏く発見し、管理をする名目で居座ったのが村長だ。エリックは欲の悪魔に魂を売った様な村長を好きになれなかった。しかしこんな時代で年貢だけはきっちり納められる村長は貴重過ぎて代わりが見つからない。
「領主様! ご来援ありがとうございます! 幸い村が独力でゴブリンの大群を撃破しましたが、来年はとても年貢を納められそうにありません」
開口一番が減免の嘆願だったのでエリックは目頭を押さえる。
「それは被害状況を聞いてからだ」
エリックは努めて領主らしく鷹揚に構える。
「ははぁ。では被害状況を説明いたします」
死傷者合わせて六十人に及ぶと聞いてエリックは眩暈がした。特に家長が十三人も死んだのなら年貢へは明確に悪影響が出る。だが王家からせっつかれている状況で減免は認められない。村長に都合が良いことに、死者の中に教会の助祭が含まれていた。なんでも小作農と農奴を守るために命を落としたのだとか。助祭がいれば村長の言に嘘偽りがあるか証言出来た。村の内情に詳しくないエリックでは村長がよほど非常識な嘘を付かない限り嘘を見抜けない。エリックの苦悩を見透かすかの様に村長が案を提示した。
「実は、年貢をほぼ例年通り納める方法があります」
村長は下卑た笑みを浮かべて両手を擦り合わせる。
「申せ」
立場上聞かないといけない事を恨みながら耳を傾ける。
「家が継げない次男以降を家長にすれば減収は最低限になります」
村長自身が信じていない嘘をさも本当の事の様に言う。
「農地の強奪を認めろと言うのか!」
農地は代々その家の人間が耕してきたものだ。なのでそこに次男以降がいたら村長が言わずとも家を継げる。村長は関係者ではない次男以降にただで農地を渡すと言っているに等しい。エリック個人としても領主としてもとても認められない提案だ。助祭が生きていれば烈火の如く怒り、村長をこの場で破門していただろう。破門だけで済めば恩情だ。
「年貢のための再配分です」
村長がしれっと言う。村長はエリックがこんなに早く来るとは思っていなかった。なので根回しが不十分なのを虚勢で誤魔化すしか無かった。村長はこれを押し通せば村を支配する独裁者になれるのでもはや退けない状況に陥っていた。事が終わった後なら教会が何と言おうと無視出来る。
「ふむ……イングスはどうした?」
「は? イングスですか?」
村長は予想外の名前が出て一瞬言葉を失う。
「そうだ。悠久の大地と言う冒険者パーティーのリーダーだった男だ。この村で帰農しているはずだ」
「あ、ああ! 彼ですか。黄色のゴブリンリーダーと相打ちになりました」
村長はどう答えれば良いのか迷い、戦果だけを伝えた。彼のかつての冒険者仲間も全滅したと付け加える。
「そうか死んだか。そう言えば彼には子供がいたはず」
どっちとも取れる笑みを浮かべるエリック。
「ああ、レイですな!」
「レイはイングスの後を継いだのか?」
「いえ、若いので、その、小作農に……」
村長はエリックの顔色を窺いながら話す。
「そうか」
「あの、何か……」
理由があるのか問おうとした村長。
「……」
「も、申し訳ございません!」
村長はエリックから本気の殺気をぶつけられ五体投地で許しを請う。
「レイを呼べ」
「ははぁ!」
村長は息子の一人を使いだしてレイを呼びつける。しばらくするとレイが村長宅へ来る。
「塩漬けを作るので忙しいんだが?」
「レ、レイ! 領主様になんて口の利き方を! 領主様、申し訳……」
「良い。レイと二人で話す。村長は出ていけ」
「へ?」
「出ていけ」
「ははぁ!」
村長は逃げるように部屋を退室し、ドアを閉める。
「レイよ、私と一緒にスルーブルグへ来る気は無いか?」
エリックは優しい笑みを向けてレイに話しかける。皮肉にもそっちの方が胡散臭く見える。
「無い」
「父が死んで天涯孤独。それに農地まで失ったのであろう?」
「俺には親友がいる! それに世話になるおばさんは俺たちが居ないと畑を耕せない」
レイはエリックを見て真っすぐ反論する。エリックは自分が失った若さをレイに見て思わず頷く。
「そうか。だが冬の間は余りやる事が無いはずだ」
「まあ、そうかもしれない」
冬は冬で忙しいが、偶にある雪掻き以外の肉体労働は稀だ。どちらかと言うと細々とした内職が多い。
「それなら冬の間はスルーブルグへ来い。貴様のためだ」
「俺の?」
「あの村長を信じられると思うか?」
「……アイクも似た事を言っていたが、そんなに信用がないのか?」
アイクは村長が約束を反故にする可能性を示唆していた。その場合、レイはどうしたら良いか分からなかった。アイクの言うように逃げるのが正解だとはとても思えなかったが、アイクが納得できる代案を提示する事は終ぞ出来なかった。
「無い」
「それで俺が冬の間スルーブルグへ行く事に意味があるのか?」
「領主に可愛がられていると思われる小作農に無体は働かない。あの村長は強欲だが臆病だ」
美少年のレイがエリックの尻小姓と思われるまでは敢えて言わない。それは村長が勝手に誤解すれば良い。
「俺は良いが……」
「貴様の言う友とおばさんも貴様を通じて守られる。冬の間に食い扶持が一人減れば生活が楽になる。それにスルーブルグの屋敷で働いている間は小遣いを出そう」
エリックはレイが頷きそうな事柄を述べる。数回言葉を交わしただけでここまでレイの内心を読めるのはエリックが貴族として相当の場数を踏んでいるから出来る事だ。
「!? そうか。それなら行く!」
「うむ、良い判断だ」
エリックは嬉しそうに頷く。死産していたと伝えられた妹の忘れ形見が生きていた。力尽くで連れ帰っても良かったが、妹と同類の頑固者なら拒絶される心配があった。自発的に屋敷へ来るのなら打てる手は多い。この時のエリックはそう楽観視していた。
エリックはレイを帰し、村長の農地強奪を二つ返事で認めた。エリックの突然の豹変に村長はしきりに首を傾げるも、レイの事を聞いて合点が行く。村長はエリックが美少年欲しさに村長の希望を聞いたと心から信じた。そして保身のために、冬の間に始末する予定だったソフィの母から手を退いた。
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