006
ゴブリンの襲撃から一夜が明けた。生き残った自由農民の家長が村長の家に集まる。家長が死んだ家では家長の代理が参加している。僕とレイ、そしてソフィの母親も代理として参加している。僕とレイは十二歳だが当然このまま家を継げると考えていた。僕のパパは鍛冶師だったのでママの農地を継ぐ形になり、村はスルーブルグから新しい鍛冶師を招くだろう。ソフィの弟ティムはまだ八歳だ。ティムが成人するまで母が代理を務めると思う。
「ゴブリンの襲撃で三十四人が死んだ」
村長が沈痛な表情で言う。百五十人前後の村だけに1/3を失った事になる。前世の軍事判定では全滅だ。僕たちは逃げる事が出来ないので、足りない数で畑を耕すしかない。
「その中で家長は十三人」
これには他の農民からうめき声が漏れる。二十八家の村だから半数が死んだことになる。農民は専門職だけに家長の裁量が強い。僕にだって来年の収穫に悪影響が出そうなのは分かる。村長が領主相手に減免を勝ち取るのを信じるしかない。
「家長を失って後継者が居るのは四家だ」
父親が死んだ事で早く家長になれた者たちが笑みを浮かべている。全員二十歳前後で子供のころから畑仕事を手伝っている。経験不足の心配を除けば順当な差配だ。
「て事は……どういう事だ?」
農民の一人が村長に問う。ほぼ全ての農民が簡単な足し算すら出来ないから十九家まで回復したのが分からない。僕も前世の記憶が部分的に蘇った恩恵で数学の知識を思い出していなければ首を傾げていた。
「九家の農地が宙に浮く」
村長は答えずに次の話題に進む。僕とレイが家を継げば二十一家になる。飛ばされたのか?
「町に出て行った奴らを呼び戻せないか?」
子沢山で知られる農家が声を上げる。
「素人を呼び戻して何になる!」
村長が大声で怒鳴る。それに他の農民は委縮する。僕はいよいよ雲行きが怪しくなって来たと感じる。
「村長! 村長には何か名案があるんだよな!」
新しく家長になった男がわざとらしく村長を持ち上げる。気を良くした村長は数回首肯して語りだす。
「現在は気温が下がり作物の実りが悪い。その中で未経験者に農地を任せる事は出来ない」
村長が僕たちを睨む。他の農民も僕たちの方を一瞬だけ見て頭を下げる。
「ここは村長として農地を集約して経験者に任せる事を宣言する」
僕とレイの親が持っていた農地を奪うと言う事だ。ふざけた事を! レイが居なければゴブリンを召喚して地獄を見せてやるのに!
「いよ! 村長!!」
「俺たちは村長の味方だぜ!」
新家長が熱烈なエールを送る。家を問題無く継ぐ条件と引き換えに村長の提案に同意する裏取引をしたか。
「待て。家長には子供だっているんだ! 彼らを養子にするのか?」
村長が抱き込んでいない農民が問う。
「養子にしてはいずれ子供に継がせる時に問題が発生する。失った農奴の代わりにすれば良い」
不味いな。モールスヴィルを出ていく予定だから農地は惜しくない。でも自由農民から農奴に落とされると移動の自由を失う。僕のグリモワールを使えば今夜村を捨てても生きていける。スルーブルグに一年以上滞在して捕まらなければ市民権が手に入るし、それほど分の悪い行動じゃない。でもレイは真っすぐだから逃げない。例え進む先が破滅しか無かったとしてもレイは正々堂々を貴ぶ。僕が一緒に逃げようと誘えば力尽くで僕を止めるだろう。レイが道を誤らない様に上手く誘導しないといけない。
「いや、それは……」
「別に良いじゃないか!」
村長派とそれ以外が言い争う。僕とレイのために争ってはいない。空いた農地をどっちが多く振り分けられるかで争っている。
「俺の親父は村を守るために死んだ! 親父がこの会話を聞いて笑顔であの世へ旅立てるか!」
レイの良く通る怒号が言い争う大人たちを黙らす。
「アイクの親父だってそうだ!」
「ガキがうるさい!!」
「ガキじゃない! 俺が親父の農地を継承する!」
レイの言っている事が正しい。だから村長派は暴力に頼ってでもレイを黙らせるしかない。でもレイの父親の献身を知っているからレイを殴るのに躊躇している。今はまだ。
僕はレイが時間を稼ぐと信じてウソ泣きしているソフィの母に近づく。
「おばさん、泣いている暇がある? 次はティムの番だよ?」
「……」
僕を取り殺したい様な目で睨む。
「僕を睨んでも無駄だよ。相手はあっち」
僕は村長をチラ見する。喧嘩早い男が立ち上がろうとするのを穏健よりの農民が止めている。これはもう時間がない。前置きからはじめておばさんを説得する時間は無い。
「僕とレイを小作農として引き取って。そうすればおばさんの農地はティムが成人するまで持つ」
「あんたらは何を得る?」
おばさんが当然警戒する。小作農に農地を乗っ取られる事を恐れている。体の左半分が酷い火傷に覆われていてもソフィは女の子だ。ティムが事故死して僕かレイが婿入りすれば農地を乗っ取れる。
「僕たちは成人したら村を出て行って冒険者になる。レイがゴブリンを倒したのは見たでしょう?」
「そう……。そうさね」
おばさんの目に仄暗い光が灯る。ティムのために面の皮が突っ張った村長派をどうやって屈服させるか考える獣の目だ。
そんな時、我慢できなくなった村長派の若手がレイをぶん殴る。レイが如何に加護を持とうとも、それはモンスター相手に攻撃が通る形でしか発揮されない。人間同士の争いだと加護はほとんど役に立たない。男がそのままレイの上に馬乗りになる。僕が割り込もうとした時、おばさんの金切り声が響く。
「やれやれ、ガキに口げんかで負けて暴力ってか? 死んだ旦那の爪の垢でも飲ましてやりたいさね!」
「女の出る幕じゃねぇ! それとも髭でも生やすかハハハ!」
「ティムのためならいくらでも生やしてやろうじゃないか!」
この返しには他の農民もハッとなって静かになる。どんなに正当化しようと彼らのやっている事は農地の違法な強奪だ。村の法を村長が作為的に運用し、年貢をしっかり収める約束で領主を説得出来るから強行しているに過ぎない。だからレイの様な子供は暴力で黙らせても女房集まで同じ手は取れない。如何に村長と言えど村の女子供を敵に回してこの強奪を成功させる事は難しい。
「ふん! 成人したティムがうちの農地を継ぐ。それなら小賢しいレイとアイクを小作農として引き取ろうじゃないか」
ここでおばさんが勢いのまま案を出す。交渉ですらない。しかし村長の目的を阻む三人が農地一つで片付くなら安い。レイがゴブリンを倒すのを見て、レイを恐れるあまり農奴に落としたい数人が異を唱えるが大勢には届かない。それに小作農ならば、と賛成する農民が増えている。原則的に農奴は武器の使用は禁止となっている。小作農は自由農民のためにその制約はない。モンスターが攻めて来たらレイは最前線で戦える。レイが武器を持って復讐しに来ると思っている大人は勝手に震えていろ。やはりこの話し合いの本命は農地であり、加護では無かった。
「分かった。レイとアイクはそれで良いな?」
質問ではなく断定だ。
「私物の持ち出しは?」
僕が問う。問わずに全部持っていくのが正解に思えるけど、後で窃盗だと背中を刺されてはたまらない。
「両手に持てる物だけだ! 一回だけだぞ! それと農具と鍛冶道具は残していけ!」
「分かった。僕はそれで良い」
「アイクがそれで良いなら、俺も黙ってやる!」
「なら小作農は出ていけ! ここからは大人の話だ!」
村長の良く響く怒号を聞きながら退出する。
「レイ。金目の物と必要になりそうな物を最優先で集めるぞ!」
「任せろ。それとありがとな。俺じゃ騒ぐしか出来なかった」
「礼を言うのは僕の方だよ。レイなら僕の策がなるまで時間を稼いでくれると信じていた」
「そうか」
「そうさ!」
僕とレイはひとしきり笑い、各々の家に向かった。夜になる前に新しい住人が入ってくる。時間が無い。
家に飛び込んだ僕はゴブリンの死臭で吐きそうになる。その程度に止まる余裕がないのが幸いした。
「考えろ! パパなら何処に隠す?」
僕は棚や引き出しを漁りながら考える。大事なのは現金、魔石、そして武器だ。この家はぼろい。家具が多いわけじゃない。やはり床下か? 僕は必死に床下にあるはずの切れ目を探す。二時間は探したはずだが何も見つからない。
「駄目だ!」
僕は半分諦めて金床にもたれかかる。重いから僕の体重が乗ってもビクともしない。
「そうか、そうだよ!!」
僕は金床を全力で押し倒す。戻すのは無理そう。でも僕の探していた物がそこにあった。
「金貨数枚に鍛冶師ギルドからのマスター認定書、白の魔石5個に黄の魔石3個か。大漁って言えなくもない?」
赤の魔石がある事を期待したけど、流石に無いか。
外から人の声が聞こえる。村長の家の会議が終わったみたいだ。終わらせないと!
「え~と、ママが作ったチーズが1塊があったはず。他にはフルーツがちょっと? 肉は……空か」
食料とダガーの様な小型の武器を集める。ショートソードみたいな武器を持っていきたいけど、僕とレイの体格で使える様になるのは数年後だ。それに言いたくないけど、パパの腕だとダガーより長い武器は品質が恐ろしく落ちる。どうやって鍛冶師のマスター試験に合格できたか分からないほどだ。
「おらぁ! 俺様の家から早く出ていけ!」
村長の出来の悪い四男が外から怒鳴る。彼に渡したのか? 大丈夫だろうか。
「ママのドレスを取ったら行くから!」
「おいおい聞いたか! ママのドレスだってよ、アハハ!」
笑いたければ笑え。
僕は無言でママの戸棚を開ける。1段目、服。2段目、服。3段目、宝石類が少し。4段目、開かない。
「えい!」
僕はダガーで無理やり戸棚をこじ開ける。
「え?」
そこには恐ろしく美しい剣が入っていた。柄頭には売ったら数年は遊んで暮らせそうな青い宝石が嵌っている。鞘には宝石が散りばめられている。パパの作品ならこれでマスター認定されたに違いない。こんな剣が作れるのならなんでこんな田舎に? 見とれている暇はない。僕は急ぎママのドレスに剣を包んで家を出る。
「どうぞ」
僕は村長の四男に家を明け渡す。
「遅ぇ!」
彼と彼の家族は悪態をついて家に入る。僕は一度だけ振り返り、「行ってきます」と呟く。それからは一直線にソフィの家に向かう。
「アイク!」
「レイ!」
レイとソフィの家で合流する。
「武器を持ってきてくれると信じていた!」
「まあね。レイは?」
「持てるだけの食べ物と酒!」
「武具は?」
「おばさんを入れて五人だからね、食べ物は幾らあっても足りないだろう?」
レイはおばさん一家の事まで考えて行動したのか! 僕は数年利用して袂を分かつからそんな事を考えもしなかった。
「やる!」
僕はパパの剣をレイに押し付ける。名剣は心が奇麗な加護持ちが振るってこそだ。
「え! でもこんな高価そうなのを貰え……」
「僕だと守りきれない」
剣を村人から守り切れない。アイクをモンスターから守り切れない。自分の心を羞恥心から守り切れない。
「分かった。今日から俺がみんなの剣だ!」
笑顔で受け取るレイ。その絵になる笑顔を見てドキッとする。レイが女の子だったら完落ち間違い無しだった。
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