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012 *

 ソフィの家は静かだった。この村では一般的な作りの家で一つの屋根の下に二つ部屋があるだけだ。家畜小屋は外に併設されている。部屋割りは家長の寝室とそれ以外に大雑把に分かれている。家長の寝室はもう一つの部屋を通らないと入れないので、そこがソフィの部屋となっている。治療の際に静かに寝かせる場所が必要だった。動き出せる様になってからはソフィの母が人目に付かない所に追いやるために寝室へ押し込んだ。冬が本格的に始まる前なのに家の中は寒い。柵の修理に焚き木まで使い込んだ結果、家を温める物は何も残っていない。


 それでも真夏の太陽みたいなレイがスルーブルグへ旅立つ前は偶に笑い声が出る事があった。今は暗い影が家を覆っていた。これが家長を失った土地持ち農家の普通だと思い出すのにそう日は掛からなかった。それを嫌ったのか、レイが居る間だけはしっかり働いていたアイクが消えた。アイクの豹変ぶりを見て「騙された」と思った村人は多い。その筆頭がソフィの母だ。そして一週間で戻るなんて話を信じられる余裕なんてソフィの母には無かった。


「お母さん、このチーズ……」


 ソフィはティムに比べて1/3程度の食べ物しか載っていない皿を見て問う。


「食べたくないのならティムにお渡し!」


 ソフィの質問に的外れな答えが返ってくる。それでもソフィはそれが自分の母の本心だと理解した。ティムを中心として母の世界の中ではソフィは邪魔者ですらない。既に存在しない者だった。それでも母が機械的に少ない残飯をソフィに皿に装うのは罪悪感を紛らわすためか。また共犯者に仕立てあげるためか。


 ソフィはこのチーズの味を知っていた。アイクが村長に取り上げられた実家から持ってきたチーズだ。ソフィの家で作っているチーズに比べて鉄の味が強いので一発で分かる。レイの持ってきたチーズは塩分が多いのでそれも簡単に分かる。問題は何故アイクの私物が夕飯に出されているか。ソフィはその理由に思い至ったが、あえて真実から目を逸らした。


 ソフィの母はアイクとレイが住居として使っている家畜小屋を総ざらいして食べられそうな物と金になりそうな物を根こそぎ回収していた。思ったより食料があったので気を良くして夕飯で出したに過ぎない。しかしソフィはそんな母の行動に異を唱えた。


「二人にどう説明する気?」


「説明する必要なんてない!」


 小作農の私物は雇用主がいつでも没収出来るとソフィの母は考えていた。例え小作農が訴え出たとして、村長が土地持ち農家に有利な判決を出すだけだ。何も問題がない。ティムが生き残るためなら小作農二人などどうなっても良かった。


 険悪な雰囲気になった二人を見て幼いティムは委縮した。またいつものケンカになるのかと悲観した。数日前まではレイが上手く取りなし、アイクが母に殴られて水入りするのが普通だった。しかしストッパーとサンドバッグが不在では母と娘の戦いを止められる者はいなかった。ティムは二人の顔色を見てオロオロするしか出来ない。


「食料までなら分かってくれる。でもそれ以上は説得出来ない」


 ソフィはギリギリの妥協案を出す。レイに真摯に分けを話せば分かってくれる。それどころか「もっと用意出来なくてごめん」とソフィの心を逆なでする言葉を平気で言う。レイさえ説得出来ればアイクも折れる。ソフィは自分の言葉でアイクを説得できないと考えるたびに心が痛んだ。火傷の後遺症だろうと無視を決め込んだ。


「あいつらに何が出来るって言うの!」


 母はヒステリーで両手をテーブルに強打する。その音を聞いてティムは泣き出す。


「窃盗で訴えられたら勝てない」


 ソフィはアイクから村長の行動の裏を聞いていた。訴えられたのが村長派の村人なら小作農を半殺しにしてめでたしめでたしだ。しかしソフィ家は村長派ではない。これ幸いにソフィの母をつるし上げて、四人を農奴に落とす。そうなったら終わりだ。ソフィだって実例が無ければアイクの妄想だと一笑に付していた。村長がアイクの言った通りの行動をしたから、アイクの言った「次の助祭が春先に来るまでが村長のタイムリミット」を信じる気になった。


「あんたはティムが大事じゃないの!」


「ティムが大事だから言っている!」


 平行線だ。ソフィの母は息子のためなら犯罪に手を染める事に罪悪感すら抱かない。ソフィはその一線を越えてはティムまで破滅すると危惧する。


「全部、あんたが悪い! あんたが、あんたが……」


 あんたが死ななかったから。それとも、あんたが化物みたいな姿になったから。ソフィに取ってはどっちも同じだった。そしてそうなったらソフィの答えは一つに行き着く。「母を焼き殺せ」と心の声が呟く。それが最善だと知りつつも、ソフィはその声に抗う。かつて貧しいながらも優しかった母への最後の親孝行として命を奪う真似はしたくなかった。


「あの剣はどうするつもり?」


 アイクとレイは数本の剣を持参した。その中でソフィが言及したのは一本だけだ。やたら豪華な装飾品が目立つあの一本だ。


「売ればティムが冬を越せる」


 既に半ば正気を失っている様な目でソフィの母が呻く。


「誰に?」


 商人は常駐していない。春先になれば行商人が来るが、この剣を適正価格で買えるほどの資金は無い。ソフィは母が二人の硬貨まで盗んだのか分からなかったが、硬貨などこの村では無価値だ。冬の間の物々交換に使えるのは肉と毛皮だけだ。本来は物々交換に使えるはずの蓄えはゴブリンの襲撃で用意が間に合わなかった。教会に助祭がいれば週一で何か恵んでもらえたかもしれない。しかし教会は併設されていた義倉と一緒に燃えてしまった。


「誰か、誰か買ってくれる。いざとなったら村長に……」


 あの剣が売れるのは冬が終わってから。食料は冬の間にいる。村で唯一余裕があるのは村長だ。それも怪しいが、他に比べて余裕は絶対にあるはずだ。アイクがこの場にいたら村長の余裕はソフィの母を陥れるポーズだと看破していた。


「盗人が処刑人に証拠を渡すなんてバカ過ぎ」


 ソフィは母を突き放す。もはや言葉を交わすだけ無駄に疲れので立ち上がる。


「うるさい! うるさい!!」


 ソフィの母は半狂乱になってテーブルを叩きながら罵声を発する。彼女も内心ではソフィが言っている事を理解できている。しかしそれを認めれば彼女とティムは冬を越せない。


「あの剣は私が預かる」


 ソフィは乱雑に床に捨てられた盗品から目当ての剣を取り出す。アイクの作った杖のおかげで苦も無く剣を右手で持てる。


「それを売って自分だけ冬を越そうと!」


 ソフィの母は奪い返そうと鞘を両手で握る。


「うぎゃあああ!! 熱い、熱いぃぃぃ!」


「ふん!」


 ソフィは床で転げまわる母を一瞥して外へ出る。ソフィの右手から肉の焼ける匂いを嗅げた人間はいない。ソフィは母が鞘を取る瞬間に剣を魔法で熱していた。外へ踏み出せば母の悲鳴もティムの鳴き声も聞こえなくなる。「村ごと焼け」と言う心の声を無視して森へ入る。


「アイク、そろそろ帰って来ないと酷いから!」


 独り言ちて待つ。待てども帰って来ないのでアイクが使っている家畜小屋で寝起きする事数日。そして遂に遠くから誰かが近づく音を聞く。


「ゴブリン!?」


 アイクを待ち伏せしていたソフィは驚愕の光景を目にする。アイクがソフィの父を殺したゴブリンたちと談笑しながら村へ向かっている。その瞬間、ソフィの中で何かが切れた。気付けば魔法を放ってゴブリンの一体を屠っていた。


「死ね! 裏切り者!」


 ソフィの光を失った左目が赤く煌めき、アイクとゴブリンを焼き滅ぼすために立ち塞がる!

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