q82「天野先輩の謎とは」
さっきのは本当に一体全体、何だったのだろう。
まるで白昼夢でも見てたような気分で、あるいは狐に摘ままれたような気分で、僕は自分の教室へと戻った。
するとすぐに手招きをする委員長の姿が目に入り、そちらへ引き寄せられるように歩いて行く。
「お疲れ様。大丈夫だった?」
「あ、うん……大丈夫だけど、大丈夫ではなかったかな」
「え? どうしたの? 何かあった?」
「うん、実はかくかくしかじか……」
僕はさっき起きたばかりの事の顛末を委員長に説明した。
すると彼女は頭を抱え、大きな溜め息を吐く。
「ああ、うん。なんかごめんね、あの人が迷惑かけて」
「え? いや、迷惑じゃないけど。急に態度が変わったから、僕が何かしちゃったのかとか色々と考えちゃってさ」
「違うのよ。あの人……他の人には言わないでね? ここだけの話よ」
「あ、うん」
委員長、ここだけの話が好きだなァ。
そんなふうに思いつつ、僕は彼女の話に耳を傾ける。
「まあ、知ってる人は知ってるんだけど。天野先輩って、普段は捻くれた言い方ばっかりなのよ。この間もそうだったけど」
「うん、それは知ってた」
「けどね、どういうわけか美術室の中でだけは異様に素直なのよ。本人曰く、芸術と向き合っている時だけは素直になれるってことらしいんだけど」
「……実は天野先輩と楠木先生って親子か兄妹?」
「違います。あの人たちは全くの赤の他人よ」
「そんなことある? 片や美術室の内外で二重人格で、片や大きい学校行事とそれ以外で二重人格だなんて……」
「言いたいことは凄くよく分かるわ。けど、本当に全くの赤の他人よ。そもそもあの二人は……って、少し喋りすぎね」
「ええ、気になるなァ。おーい、琴子……」
「待って、何する気? その最終兵器には手出しさせないわよ?」
チッ、駄目か。
琴子の口を滑らせれば、前みたいに秘密が分かるかと思ったんだけど。
そんな話をしていると、何処からともなく識那さんが教室に戻って来る。
「あ、識那さん。道具、借りて来たよ」
「ありがとう。こっちも楠木先生に相談しながら、デザイン案が書けたよ」
「マジ? 早いね。流石は識那さん」
「フフッ。ラフだけだし、褒められるほどのことしてないよ」
「そんなことないでしょ。僕には無理だもん。ね、委員長?」
「うん、素晴らしいわ。ありがとう、識那さん。それじゃあ早速、本物に下書きして作り始めましょう」
「えへへ、くすぐったいなぁ……」
識那さんの笑い声を耳にして、僕は再びさっきの天野先輩を思い出した。
今の識那さんみたいに柔らかい笑顔を見せていた先輩。それに、普段の捻くれた先輩。彼女の本性はいったいどっちなんだろう。
「……柳谷君? 今、何考えてたの?」
「へ? いや、別に大したことは……」
「なんとなく女の人のことかなって思ったんだけど? 違ったかな? かな?」
「え? 凄いね、識那さん。女の勘ってやつ? 確かにその通りだけど……」
(おい馬鹿! 命が惜しくないのか! 黙れ柳谷君!)
(はへ?)
委員長から謎の念話が飛んできたが、全く意味が分からず首を傾げる。
けれど、余計なことを言わない方がいいってことなのかと察しは付いたので、僕は識那さんと向き合って慎重に口を開く。
「ほら、前に夏祭りで会った天野って美人な先輩がいたじゃない? さっき、美術室であの人と会ってさ。二人で少し話してたんだ。それを思い出してただけだよ」
「馬鹿だにゃ」
「阿保なのじゃ」
「命知らずポン」
「救いようがないですニャ」
「柳谷君……」
(パパ、無自覚の勇者なの。でも、そのうち刺されそうなの)
(なんなのさ、皆。別に変なことは何も喋ってないよ? 二重人格のことはしっかり伏せたし。ほら、識那さんだって見たことないくらい満面の笑顔だよ?)
そうして僕は皆の言っていることが分からないまま、識那さんと隣り合って作品の制作に取り掛かるのだった。
作業中、妙に皆と距離が離れてたけど、ホントどうしたんだろうね?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからは、あっという間に時が過ぎて行った。
毎日、コツコツと作品制作に励み、たまに灰谷君の生物部を手伝い、道具を借りたり返したりするために美術室に通う日々。合間にのっぺらぼう校長から呼び出され、何度か新たな妖怪を紹介されたりもしたが、それはさておいて。
うちのクラスは順調そのもので、灰谷君も何とかガエルという生き物の展示などを予定通りに準備していた。他のクラスや部活動でも問題は起きず、今年はかなりスムーズだと楠木先生が喜んでいる姿を見た。去年までは順調じゃない時があったんですね、お疲れ様です。
だが、そんな中で一ヶ所だけ順調ではないところが存在した。
それは美術部。楠木先生の正にお膝元、天野先輩が所属する部の展示である。
「……何だかしっくり来ないのよ。他の部員もクラスの方が忙しくてなかなか来てくれないし、楠木先生もいい案が思い浮かばないって言ってて」
「え? もしかして、まだ案すら決まってないんですか?」
「うん。決まりさえすれば描くのは大丈夫なんだけど、先生や部員が出してくれた案はしっくり来なくて筆が乗らないっていうか……」
そう言いながら、天野先輩は筆をクルクルと回して遊ぶ。
ちなみに今は美術室の中だから、優しい方の天野先輩だ。
「もうあまり時間が無いですよ? 絵に拘らず、彫刻とか他のでは?」
「それこそ材料と時間が足りないわ。うちの美術部は小さいから部費もあまり多くないし、そもそも大して期待されてないからね」
そんなことを言う天野先輩だが、手に持った筆はさっきから……というより、いつ見ても宙を撫でるばかりだ。大丈夫と言うけれど、間に合うのか?
「アートなら、お金の掛からないものにしては? 例えばうちのクラスと被っちゃいますけど、リサイクルアートとか」
「それは却下されたわ。クラス展示でやるからって」
「あ、ごめんなさい。僕らのクラスがやっちゃったから……」
「謝らないで。どちらにせよ人手不足で無理だったから、気に病む必要なんてないわ。それより沢山の案を出してくれて助かってるわ」
天野先輩は優しい笑顔を僕に向けてくれる。
この人、本当に部屋の内外で別人みたいだな。
「……仕方ないわ。気は乗らないけど、それなりの絵を描いて飾ることにする。どうせ誰も見に来ない場所だし、拘っても仕方ないものね」
「いいんですか? 先輩、芸術には拘りがあるんじゃ……」
「いいのよ。それに、君に心配かけてばかりも悪いからね。わたしみたいなのを気にかけてくれる優しい君のためにも、そろそろ進まなきゃね」
「……そんな。僕のことなんて別に」
「フフッ。ありがとうね、話を聞いてくれて。わたし、君のこと好きよ。結構本気で、冗談抜きでね」
そう言いながら、天野先輩は僕にウインクして見せる。
少し大人びた色気に、僕のハートは再びドクンと速まった。けれど同時に、彼女の力になれない自分が情けなく思えてしまい、萎える。
別に彼女に恋してるわけではないけれど、折角僕を頼ってくれた相手に何もしてあげられないなんて。こうなったらアイミスを頼って、最適解でも……?
……と、そこまで考えたところで、さっきのウインクが頭に引っ掛かる。
そういえば最近、どこかでウインクするアートか何かを見たような……?
「あっ!」
「え? どうしたの?」
「先輩、サンドアートってどうですかね?」
そうだ。動画投稿サイトで、砂の紙芝居ってやつを見た時だ。
砂の絵を描き変えていく動画で、絵にウインクさせたシーンがあったのだ。
「サンドアート? 砂で描くやつ? それは……」
すると、僕の提案を聞いた天野先輩の目の色が変わる。
サンドアートは砂の芸術。どんな砂でもいいってわけじゃないけれど、材料費は上手くすれば安価で済むはずだ。制作だってそこまで難しくないだろう。
「そ、それだ……!」
「どうですか? それなら今からでも間に合……」
「ありがとう、君! 創作意欲にズビビッと来たわ!」
「わあ⁉」
次の瞬間、天野先輩は嬉しさのあまり僕を抱き締める。
そうなれば当然、僕の顔は柔らかい場所に埋まることになるわけで。先輩、意外と凄かったんですね。ありがとうございます。
「よっし! 早速、楠木先生にも相談しに行って来るよ!」
「あ、はい。その……お疲れ様です。ありがとうございました」
「アハハッ! どうして君がお礼を言うの? 言いたいのは、わたしの方なのに。本当にありがとうね」
「あ、いえ。お力になれて嬉しいです。それじゃあ僕は教室に戻りますね」
「うん、助けてくれてありがとう。今度、お礼にデートしようよ? わたしが全部奢ってあげるからさ」
天野先輩は僕の返事も聞かず、勢いよく美術室から飛び出して行った。
先輩はどこまで本気で言ってるのだろうか。デートとか、好きとか、僕じゃなかったら本気にしちゃってるところだよ。改造前の僕なら、たぶん本気にした。
なにはともあれ、こうして美術部の問題も解決に向かったようで。
僕は達成感を抱きつつ、さっき感じた柔らかい感触も忘れることがないよう抱きつつ、ゆっくりと教室に戻って行くのだった。
……ちなみにだけど、教室では識那さんがまた満面の笑顔で僕から離れなかったり、他の皆が僕らから距離を取っていたりしたが、相変わらず謎だァ。




