q8「平穏とは」
「お兄ちゃん、さっき部屋で独り言しゃべってなかった?」
「えっ⁉ あ、ああ。夢に魘されて、喋りながら飛び起きたんだ。ごめん、朝早くに煩かった?」
「ううん。そんなことないけど、大丈夫?」
「もちろんだよ。ありがとう、心配してくれて」
部屋から出ると妹の癸姫と鉢合わせ、そんなことを言われてしまう。
さっき、アイミスの名乗りに驚いて声をあげてしまった件だ。これからはもっと気を付けなければ。
「ねえ、お父さん、お母さん。お兄ちゃんってば悪夢見たんだって」
顔を洗ってリビングに向かうと、僕以外の家族が既に集まっていた。
父さんは朝のトレーニングを終えて間もないのか、薄着で熱を帯びている。
そして母さんはその熱で暖を取っていた。いつも通りの光景だ。
「あらあら。母さんが怖いの怖いの飛んで行けーってやってあげようか?」
「おやおや。父さんがやってもいいぞ?」
「嫌だよ。冗談言ってないで、さっさと食べようよ」
そう言って食卓に着くと、癸姫が冷ややかな視線を僕に向ける。
「お兄ちゃんってば、観人さんに会いたいから早く出て待ってようとか考えてるんでしょ? 変態~」
「そんなわけないでしょ。それじゃストーカーみたいじゃないか」
妹の辛辣な勘繰りを受け流し、僕は朝食を頬張った。
待ちはしないが……出会うだけならただの偶然だろう。朝イチで会えると一日がちょっとだけ楽しくなるから、それを期待して少し早く出るつもりなだけで……って、僕は何を考えているんだろう。そして誰に言い訳しているのだろう。
癸姫の言ったことは中らずと雖も遠からずだったわけだが、今の球体はそんなことで動揺なんてしない。
「おはよう、光明君」
「あっ、観人さん。おはようございます」
そして、狙い通りに観人さんと遭遇した僕は、幸せな気分で足取り軽く学校へと向かった。今日は鳥居の前も難なく通過したし、実にいい一日になりそうだ。
〖ミケ、そろそろ排泄を推奨します〗
「……近くにトイレが無いから、あとでもいいかな?」
〖今なら誰も見ていないため、道端でも道の中央でも好きな場所を選び放題かと〗
「カモフラージュなんだから、誰も見てないなら必要無いよね?」
〖冗談です〗
ナビゲーションシステムでも冗談を言うのか。
そんなことより観人さんから貰った陽の気を返してほしい。折角の幸せな気分が半減したし、いい一日になるか不安になってきたじゃないか。
「もう、今日はアナウンスしなくていいや。そっとしておいて」
〖分かりました。寂しくなったらいつでも声をかけてください〗
「学校では友達と話すから、家に帰ってからお願い。たぶん僕から声をかけることはないと思うよ」
そう言って僕はアイミスに暫しの別れを告げた。
別にぼっちではないので、学校では無理にアイミスと話す必要は無いはずだ。
その予想通り、学校に着くなり友人とテレビ番組やゲームの話題で盛り上がり、僕は陰キャなりに充実した日常を送る。アイミスの割り込む隙など皆無である。
「柳谷。次の問5、答えてみなさい」
(アイミス! 助けて!)
〖……お久しぶりです、ミケ。問5の答えは尼将軍です〗
「あ、尼将軍……?」
「正解。腕立て伏せ200回は免除だな」
悲しいかな、アイミスとの再会はあっという間に訪れた。
いくら冷静でクリアな頭脳を手に入れたところで、昨日の今日で秀才になれるわけではない。暫くは僕の成績に大きな変化は無さそうだ。
ちなみに社会科の後上先生が言った腕立て伏せの件は彼女お決まりのジョークで体罰などではない。実際にやらされることは無いから大丈夫……なはずだ。
〖寂しくなるのが早かったですね、ミケ〗
(ごめん、僕が悪かった。そしてありがとう、助かったよ。できればこれからも助けてください)
〖変わり身が早いですね。安心してください、私はナビゲーションシステムですので要望があれば補助を惜しみません〗
(ありがとうございます。アイミス様さまさまです)
〖どういたしまして。ですが、できる限り自力で考えることをお勧めします。私はあくまで補助ですので〗
(は~い)
無事に窮地を脱した僕は、その後も平和な一日を謳歌していった。
急に天才やスポーツ万能になって平和を脅かすことはしない。平和が一番だ。
〖ミケ、排泄に立つことをオススメします〗
だから、一時限目が終わっても平和で。
〖ミケ、排泄に立つことをオススメします〗
当然、二時限目が終わっても変わらず平和だ。
〖ミケ、排泄に立つことをオススメします〗
三時限目だって無難にやり過ごし。
〖ミケ、昼食前に排泄に立つことをオススメします〗
今日も母さんの作った弁当を美味しくいただき、友人と歓談を楽しむ。
〖ミケ、食後の排泄をオススメします。それから午後の授業前にも排泄を〗
(いや多いわ! 男性の平均回数の六回って言ってなかった⁉ 朝から数えたら今の時点で既に超えてるよ⁉)
〖フフッ。冗談です〗
その冗談のために休み時間ごとアナウンスしてくるとは、そんなに暇?
アイミスは僕が話しかけてないと暇で死んでしまうのか? 寂しいと死んでしまう兎か? 兎のそれは迷信らしいけどさ。
とにかく、これはやはり帰宅するまで一旦停止を考えなければ。
アイミスは寂しいかもしれないが、心を鬼にして、断固たる決意で。うん。
「柳谷、次の問を答えてみなさい」
(アイミス! ヘルプ!)
〖答えはX=7です〗
やっぱり僕にはアイミスが必要らしい。
お互い様ってことで、これからも助け合っていかねばなるまい。うん。