q76「マラソン大会とは」
夏休みが明けて間もなく。
僕の通う高校では、生徒を何十キロも強制的に走らせる鬼畜の所業……もとい、学校行事のマラソン大会が行われていた。
(パパ、段々ペースが落ちてきてるの。過酷な環境に置かれるほどパワーアップするパパの力、今こそ見せる時なの。金髪に変身なの)
(なんでだよ。どこぞの戦闘民族な宇宙人じゃないんだから、変身したり大猿になったりしないよ? 僕の場合はむしろ逆で、過酷な環境に置かれるほどモチベーションは下がるし、普通に疲れてパワーダウンするからね。というか、あれは漫画の中の話でしょう)
(でもパパ、その気になれば漫画の世界の主人公より凄そうなの)
(……うん、そうでした。今は無理でも最終的にはマジでそうなりそうね)
だって、宇宙どころかこの世界で最高峰のボディなんだもん。
伝説の宇宙戦士すら真っ青なチートとか発揮できちゃいそうだよね。今はヘッポコの最弱、戦闘力一桁のゴミだけどさ。
そんな話はさておき、夕方から始まったこのマラソン大会も愈々大詰めのラストシーン……とはならず、しっかり走った分だけが反映されていた。
つまりは未だ数キロ地点で、まだまだ途方もない距離が残されているのだ。今からでも全長一キロくらいの大会にならないかな。
「柳谷、いいペースだな。俺に構わず先に行け、ここは俺が食い止める」
「待って、何を食い止めちゃうの? 他の走者の邪魔しちゃ駄目だよ?」
「あはは、いいツッコミだ。お前、面白いな」
「いや……つい、いつもの癖で。それより本当に先に行くからね。また後で」
「おう、頑張れよ」
まだ先は長いのだが、体力の無い者たちは段々と走るのを止めつつあった。そんな冗談言えるくらいの余裕はあるのにね。
そして僕はというと、そんなクラスメイトたちを追い抜いて進んでいく。
僕だって体力は無い方だが、なんだかんだアイミスに鍛えられたせいか、根性だけは成長したようで。この体になってからは肉体的に発達することなんてないが、ぶっちゃけ気力が尽きない限りは永遠にでも動き続けられるからな。普段はアイミスが疲労を再現してくれているだけだし。
けれど、流石にこのまま最後まで走り続けるのは普通の人としてはマズい。
なので、僕はちょうどいいところで疲れたフリをして、走るのを止めた。
「おお、柳谷。先に行くぞ、ここは任せた」
「なんで皆、同じようなこと言うの? 流行ってるの、それ?」
「ははは。じゃあな、また後でな」
「うん、頑張ってね」
さっきとは逆にまだ走っているクラスメイトから追い抜かれ、僕はそれを見送りながら焦ることなくマイペースに歩く。
うん、いい感じに普通の高校生っぽいカモフラージュができている気がするよ。このまま歩いたり走ったりを繰り返して、ほどほどでゴールしたいなァ。
「おや、手抜きでございますか? 柳谷光明君?」
「ひゃあっ⁉ ラ、ライカさん⁉」
「ケケケ。駄目ですよ、そんな見え見えの手加減をしては」
「急に脅かさないでくださいよ。仕方ないでしょう、全力だと明らかに異常に見えちゃうんですから。それよりライカさんは何をしてるんですか?」
「わたくしは姿を消しつつ、サボったり悪いことをしている生徒がいないか見回り中でございます。毎年いらっしゃるんですよね、何人かは必ず」
僕に声を掛けてきたのは、ジャージ姿のライカさんだった。
ライカさんの本性は妖怪の一つ目で、普通の人間に見える・見えないを自由に切り替えられる。彼女はそれを利用して見回り役をやっているみたいだ。
それにしてもライカさん、空間認識を持つ僕の不意を突くとは凄いなァ。まあ、僕が油断し過ぎなだけなんだけどさ。
「お疲れ様です。同じ妖怪でも、うちの琴子とは大違いで勤勉ですね。今度爪の垢でも飲ませてやってくださいよ」
「ケケケ。わたくしは使用人ですので。勤勉とは仰いますが、常日頃はのんびりとさせていただいておりますよ」
「そうなんですか? 想像できませんね、だらけてるライカさん……うん」
「ケケケ、本日もむっつりムフフなようで。相変わらずでございますね」
「グッ……」
ライカさんが部屋でゴロゴロしている姿を想像したら、たわわな果実がジャージ越しにどう変形するのかをつい想像してしまった。
そして彼女はそんな僕の考えなどお見通しなようで、視線が一瞬そこに向いただけでバッチリ感知されてしまったようだ。
けど、思春期の男子高校生だから仕方ないと思う。実際それ、寝たら横に流れるんですか? それともポヨポヨとスライムみたいに形を保つんでしょうか?
「ケケケ、ケケケ」
「と、ともかく、お仕事頑張ってくださいね。僕もそろそろ走りますから」
「はい、それでは。ご健闘をお祈りしております」
そう言い残すと、ライカさんは横道に逸れて去って行った。
恐らく、何処かで一つ目に変化してから再び巡回するのだろう。僕の周りには人がいるし、ここで急に変化したら皆には消えたように見えちゃうからね。
そんなことを考えていると、何故か僕の空間認識が灰谷君の反応を捉える。
なんだか物凄い勢いで近付いて来るんだけど、まさか……ね?
「おい、コーメイ! ゼェ、ゼェ……」
「やあ、灰谷君。さっきぶり」
「今、この辺でライカさんの声がしなかったか⁉ ハァ、ハァ……」
「うわぁ。いや、まあ……さっきまでいたけどさ」
駆け付けた理由が予想通りだったことに、僕は若干ドン引きする。
これが恋なのだろうか。ちょっとだけストーカーという単語が頭を過ったが、友情のためにもそれは言わんとこ。
「本当か⁉ い、い、いらっしゃったのかっ⁉」
「あ、はい。なんか見回りしてるらしくて、他のところに行っちゃったけど」
「うおおおお‼ それなら話は別だっ‼ やる気が出てきたぜぇ‼」
「煩くて凄く近所迷惑だよ。あと、やる気を出すのはいいけど、まだ序盤……って、聞いてないし。おーい、灰谷くーん?」
これが……青春か。
灰谷君は僕の声もペースも無視して全力疾走を始め、あっという間に姿を消した。というか僕、まだ彼女がどっちに行ったとか伝えていなかったんだけどな。
その数分後、僕は道端で力尽きている灰谷君を発見する。
これはきっと回収車の出番だろうな。せめて回収車か救護室で無事にライカさんと出会えるのを祈っているよ。
(漢の生き様、見せてもらったの。素晴らしい馬鹿馬鹿しさだったの)
(そんなこと言っちゃいけません。本人は至って真剣なんだからね)
(パパも、もっと青春の汗を流すの。ぼくが全部受け止めてゴックンしてあげるから、いっぱい出してほしいの)
(言い方っ! 確かに今の光理はタオルに擬態してもらってるけど、僕の汗は見た目だけのカモフラージュだから光理には吸収されないでしょ)
なにはともあれ、僕は気を取り直して先に進むことにした。
この大会は、五か所の休息ポイントで証明書を手に入れないと完走したことにならないので、まずは最初のポイントを目指さねば。
昔は、終了時間ギリギリまで学校の近くでサボって寝てて、それっぽくゴールした強者もいたらしいが。今では、この証明書に休憩所の担当者が直筆のサインと到着時刻の記載をするシステムになっていて、不正はほぼ不可能なのだ。
というかサボりや不正がバレたら、後日グラウンドを同じ距離だけ周回させることになっているため、普通に走って途中リタイアした方がいいと思うんだけど。今でもいるんだろうか、そんな強者って。
(パパ、ぼくも走りたいの。パパの隣で「ぼくに構うな、先に行け。ここはぼくが食い止める」って言ってみたいの)
(光理までそれ? 本当に流行ってるのか知らないけど、光理がぼくの横を走ってたら即通報だし、僕も強制リタイアの上に呼び出しを食らうから止めてね)
(そうなったらきっと、一位でゴールした生徒より注目を浴びると思うの)
(うん、そうだね。大会に隠し子を同伴させたって話題になるだろうね。そして学校生活はジ・エンド。その後の人生もお先真っ暗だから、絶対に止めて?)
そうして光理とじゃれ合いながら、僕は息を切らせつつ最初の休息ポイントを待ち遠しく思うのであった。