q75「委員長とは」
新学期早々に新たな妖怪と遭遇し、僕はまた一つ秘密を抱えることになった。
ペラペラと言いふらしたりしないが、まさか委員長が小豆洗いだったとはね。
遠野さんもだけど、妖怪と判明した後に見ても普通の人間としか思えないや。
「や、柳谷君? 科学のプリントを集めますシャキ。出してくださいシャキ」
「……委員長、そんな無理にキャラ付けしなくていいんだよ? というか、真剣に隠す気ある?」
お茶目な委員長は、急なイメチェンならぬキャラ変を試みたようだ。小豆洗いの語尾がシャキって分かりやすいけど、そんな人間はこの世に存在しないと思う。
「ご、ごめんなさいシャキ。遠野さんがそうするのが親愛の証しになるからって。そうやって柳谷君の心証をよくした方が秘密を守ってもらえるからって」
「いや、心証とか関係無く絶対誰にも言わないから。あと、遠野さんとは後で一緒にオハナシしに行こうか。大法螺を吹き込んだこと、反省してもらわないとね」
移動教室があるおかげで教室の人影は疎らとはいえ、こんな話をクラスメイトに聞かれたら一大事だ。特に識那さん。
だというのに、遠野さんは何を考えているのだろう。いや、単に委員長のことを揶揄いたいだけだって分かるけどさ。
「よかったにゃ、餡子。秘密の仲間が増えたにゃ。ウチに感謝するにゃ」
「この馬鹿猫……全く反省しとらんな」
「お姉ちゃん、もっと反省しにゃきゃ駄目ニャ。皆さんに謝るニャ」
「餡子も怒らせると怖いの、忘れちゃ駄目ポン。今もめっちゃ睨んでるポン」
「パパも完全に呆れてるの。あれは諦めの目なの」
相変わらずケロッとしている琴子を見て、僕と委員長はせめて識那さんの前では鈴子たちが上手く琴子を制御してくれることを祈る。
そういえば先送りにしてるけど、いつかは識那さんにも光理や遠野さん、委員長の秘密なんかを打ち明ける時が訪れるのかもしれない。今から頭が痛いなァ。
そんな課題を抱える僕らの前に、最大の壁が立ちはだかる。
そう、学生なら誰もが中止を願う事案、長距離走である。つまりは、今からマラソン大会という悪夢が開催されようとしているのだ。正に悪魔の所業。
〖現実逃避の頻度が増加傾向にあります。改善を推奨します〗
(ふふふ、これは現実逃避じゃないよ。ただの事実さ)
〖どうやら手遅れのようですね。緊急事態につき、擬態の強制解除に移ります〗
(ごめんなさい、冗談です。そんなことしたら周囲のクラスメイトがショック死するかもだし、僕の学生生活……どころか人生が終わるから止めて)
僕の扱いが上手いアイミスに操られ、僕は仕方なく現実に向き合うことにした。
ああ、なんて空が青いんだろう。こういう日は曇りでいいのになァ。
そして、大会が始まって五分くらいしたら急に空が暗くなって豪雨になるんだ。ポイントは急に豪雨ってところで、事前から降ってたら中止じゃなく延期になる可能性があるし、小雨だと大会を強行するかもしれないからね。
そんなことを考えてまた現実逃避を続行していると、僕の横に灰谷君がどんよりした顔をして現れた。
「おお、コーメイ。素晴らしきこの世の終わりだな」
「やあ、灰谷君。ライカさん、いなかったんだね?」
「ああ。俺はもう終わりだ。いっそトラックに轢かれた方が異世界転生できる可能性がある分、マシだと思わないか?」
「駄目だよ、トラックの運転手を巻き込んだら。それにマラソン大会は走れば終わるんだから、可能性ゼロのファンタジーのために早まった真似しないで」
自分よりも現実逃避をする親友を見て、僕は冷静さを取り戻す。
やはり持つべきものは親友だよね。今にも天に召されそうな顔色だけど。
「ぃよおおおおし、うぉまぇらああああっ‼ 絶対に死んでも勝てヨォォォォ⁉ コォスなんてクソ食らえだアアァァ‼ 自分以外全員撥ね飛ばすつもりで死ぬ気でぐぁんばれよォォォォ‼」
これまた相変わらずというか、イベント事になると豹変する担任の楠木先生が期待を裏切らず豹変し。体育祭と同じく校長先生に呼び出しを食らうという些細な出来事はあったものの、大会は無事に開始の時刻を迎える。
楠木先生って実は、妖怪ジキルとハイドとかじゃないよね?
僕たちの高校のマラソン大会は夕方の五時からスタートで、女子はそれから一時間後に男子より短く設定された距離でスタートすることになっている。
大体深夜零時の前には終了する予定だが、遅い人がいたら回収車が拾って戻るか、ゴールするまで撤収せず待ち続けるのだとか。頑張れ、灰谷君。
そして遂に、僕たち男子のスタートを知らせる掛け声が響いた。
同時に、高校前に集まっていた大集団が一斉に動き出す。
「皆さん、最初は慌てずに周りをよく見てスタートしてください。決して押したりぶつかったりしないように気を付けてください」
そんな放送を耳にして、集団は冷静に周囲と呼吸を合わせつつ動く。
三学年の男子全員だから仕方ないが、これだけの人数だと最初はマラソン大会というよりイベントに向かう人の群れって感じだ。先頭以外は誰も走っていない。
だが、そんな状況も学校前から一キロ程度進めば解消される。
徐々に人混みは緩和され、余裕ができた分だけ走り始める人たちが出てくるのだ。ちなみに最初の場所取りも重要なわけだが、僕や灰谷君など運動が苦手なメンバーは安定の後方待機である。
「お兄ちゃーん! 頑張れぇ!」
「光明ぃ、頑張って来なさーい!」
「光明、しっかりやるんだぞー!」
そんな僕らを応援するため、暇な家族が駆け付けた。
というよりも、マラソンのコースが皆の家の前やすぐ近くなので、どうしても野次馬……もとい応援の皆さんが集まってしまうのだ。
ルートは毎年微妙に違うけど、今回は運悪く我が家の前が含まれていて、こうしてとても恥ずかしい状況になっている。
「やるな、コーメイ。あんな可愛い妹さんに応援されるとは」
「うちの妹が可愛いのは認めるけど、やるなってどういうこと? 普通に父さんと母さんもいるんだけど。あと、灰谷君はライカさん以外を可愛いって言っちゃ駄目だと思うよ? この浮気者」
「なんでだよ。可愛いは普通に言っても大丈夫だろ。まあ、先駆者が言うことなら、一理あるんだろうが」
「誰が先駆者だ。というか、そろそろ本格的に走らないと駄目みたいだよ。ほら、段々と人混みが疎らになって来たから」
「嫌だ。俺はコーメイの家でゆっくり寛ぐんだ。こんなところに居られるか、俺は帰らせてもらう」
「なんで唐突に死亡フラグ立てたの? 帰るなら大会を終えてから、自分の家に帰ってよ。行方知れずな上に何故か僕の家に居たら、先生たちが探し回る羽目になって大会が終わらなくなっちゃうからね」
そんな掛け合いの直後、僕や灰谷君の周りの生徒たちがスピードを上げ始めた。どうやら遂に大会が本格始動するらしい。
僕らは嫌そうに溜め息を吐きながらも、無言で互いの拳をコンとぶつけてから、それぞれのペースで走り始める。こういうノリ、如何にも青春って感じだ。
なお、周囲では「一緒にゴールしよう」とか「ずっと一緒に走ろう」なんて約束を交わす姿があったが、果たして彼らの友情は無事に明日も続くのだろうか。
きっとそのうちの何組かは約束を反故にされ、この先ずっと消えない禍根を抱え続けることになるのだろう。あな恐ろしや。
「パパ、灰谷って人を置き去りにして行くの? 鬼畜なの」
(違うから。始まる前に、それぞれのペースでって話し合ってたんだよ。あと光理は、念話を使ってね。周りに人がいるんだから)
(ごめんなさいなの。謝るから、ここでエロ本みたいにぼくを辱めるのは勘弁してほしいの。パパ、やっぱり鬼畜なの)
(マラソン大会で走ってる最中に辱めるって、どんな特殊なエロ本なのかな? そもそも辱めないし、前から聞きたかったけど光理は件だった頃にどんなものを見聞きしてきたのさ? 随分と知識が偏ってない?)
そんなじゃれ合いをしながらも、僕は灰谷君より数十メートルほど先行する。
今回のコースは学校の先にある山々を迂回し、隣町との境目付近までぐるりと回る感じだ。早い人だと三、四時間でゴールでき、遅い人や途中で歩いた場合でも六、七時間でゴールできる距離である。
ちなみに女子はバスでスタート地点まで移動しており、距離は僕たちの六、七割程度らしい。漫画だと男子と同じスタート地点から走る体力馬鹿の女子がいたりするが、現実にはいないようだ。というか、そもそも先生が許さないだろうけど。
(はぁ、憂鬱だなァ。こうなったら、本体の機能をフル活用してしまおうかなァ)
〖その場合、明日から平和な日常は送れなくなりますが、よろしいですか? よろしいですね? 分かりました、では全開で行きます〗
(待って、冗談だから。全然よろしくないから。こういう時ばっかり都合よく早とちりしないでくれる?)
そうして、お茶目が過ぎるアイミスにヒヤヒヤさせられながらも、僕は夕暮れの暑さの中を懸命に走り続けるのであった。