q69「夏休み終盤とは」
ぬらりひょんの襲来から三日経った、八月の二十七日。
夏休みも終盤となり、僕は退屈な毎日を送っていた。
流石にこの頃になると皆も宿題や新学期の準備があって、遊びに誘うのは躊躇われる。僕はアイミスのおかげで余裕だけど。
なお、ぬらりひょんについては、アイミスに助けてもらって気配察知の機能をセットすることに成功した。これで彼女が何処で何をしているかがある程度分かるから、急に隣にいるなんてことにはならないはず。
今は僕らの学校の中を徘徊しているから、恐らくのっぺらぼうと一緒にいるんだろう。何をしているのか知らないが、僕の家じゃないなら何でもいいや。
(それにしても、ぬらりひょんか。確か妖怪の総大将じゃなかったっけ?)
〖そのような事実はありません。地球人類の想像や創作かと〗
あと、アイミスから教えてもらうことで、彼女の特性についても一応の納得ができた。妖怪組の皆に聞いても「そういうものだ」の一点張りだし、図鑑にはありきたりなことしか書いていなかったからね。アイミスさまさまだ。
それでぬらりひょんだが、人間だけではなく妖怪も含め、その意識から外れることのできる能力があるらしい。流石は大妖怪と言うべきか?
(気配察知なら確実に把握できる?)
〖はい。機械的なレーダーからは逃れられないようです。ただし、そのレーダーを監視する生物の意識から外れることが可能なため、記録は残りますが記憶から逃れられる可能性があります〗
(それは面倒だね。けど、アイミスには効かないんでしょ?)
〖はい。私からは逃れられません〗
そう言い切ったアイミスに、頼もしさと同時に怖さを感じる。
アイミス相手では大妖怪ですら形無しなのだ。流石はラスターさんの球体のナビゲーションシステムと言うべきか。
「ねえ、パパ? まだ着かないの?」
「うん、もうすぐだよ。それと光理、パパと呼ぶのは止めて。これはマジで」
「分かったの、パパ」
「うん、分かってないね。はぁ、まあいいや。どうせ知り合いはいないんだし」
そんな会話をする僕と光理を、電車内の乗客がクスクス笑いながら見守っていた。微笑ましい光景とでも思っているのだろう。
周囲からは兄と、年の離れた妹か。あるいは姪っ子の面倒を見ているようにでも見えるのだろうが、実際は改造人間と妖怪件という奇想天外な組み合わせである。
どうしてそんな状況かというと、話は少し遡る。
夏休みの終盤、日がな一日ゴロゴロしてた僕に愛想を尽かせたのか。突然、琴子や鈴子、それにポンちゃんが遠野さんのところに遊びに行くと言い出したのだ。余程暇だったのだろう。
それならばと、彼女たちを送り出した僕は、残された光理を連れて隣町まで買い物に出掛けることにした。ちょうど欲しいラノベや漫画、ゲームなんかがあったからね。光理にも外を見せてあげたかったし。
まるで本当に父親にでもなったような心境で、僕は少し成長した人間モードの光理と一緒に電車で出掛けたというわけだ。隣町なら僕を知っている人もほとんどいないし、万が一誰かに見られても今の光理なら「親戚の子です」で押し通せるからな。ちなみにイリエは安定の留守番担当だ。
「光理、一人で何処かに行っちゃ駄目だよ」
「分かってるの。パパとずっと一緒なの。生涯パパと添い遂げるの」
「……次、そういう発言をしたら、速攻で眼鏡モードだからね。エロいのや下ネタも禁止。あと、年相応の言葉選びを忘れないで。何処の世界に生涯とか添い遂げるなんて難しい言葉を使う幼児がいるのさ?」
「ごめんなの。パパの世間体を守るためにも、重々気を付けるの」
「ほら、言った傍から。心配だなァ……」
幸い、電車の中は閑散としていて光理の小声は聞こえていないようだ。
念話でもいいのだが、光理くらいの年頃の幼児があまりに静かすぎるのも不自然かと思って、こうして肉声で話している。
けど、光理の発言には毎度ハラハラさせられるわ。中身は何百年と生きてきた妖怪だから、仕方ないんだけどさ。
そうしているうちに、電車が目的の駅に着いたので、僕は光理をオンブして隣町の散策を開始する。考えてみれば隣町に来るのも随分久し振りだな。
最後に来たのは高校に入学する前だったから、数ヶ月ぶりになるのか。
そんなふうに考えながら歩いている僕の目に、数多の付喪神……というより球体が見せる頭上のカーソルが飛び込んで来る。
カーソルや小妖怪自体にはすっかり慣れたのだが、数ヶ月前と一変した隣町の光景には少し複雑な感情が芽生える。まるで別の世界だ。
「光理、この辺からは少し歩こうか?」
「わーい、なの。この体で町を歩くの、初めてなの」
気を取り直して、僕は光理を地面に降ろして歩かせた。
なるべくオンブではなく、手を繋いで歩くことを心掛ける。これなら親戚の子を連れて歩いているように見えるはずだ。ずっとオンブだと意外に目立つからな。
「パパ、どこに行くの?」
「パパは止めて。最初は本屋で、次はゲームショップだよ。あと、文房具屋も」
「エロ本を買うの? それともエロゲ?」
「はい、今から光理は眼鏡モード決定でーす」
「嘘なの。冗談なの。もう言わないから、このままでお願いなの」
変なことを言うから、すれ違った人がビックリして振り返ったじゃないか。一人だけだから、まだセーフだろうけど。
平謝りする光理に免じて、今回だけは眼鏡モードの刑を見送ることにする。次は無いぞと念を押し、それから僕は光理を連れてのショップ巡りを堪能した。
「……さーて、こんなものかな。光理、そろそろ帰るよ」
「うん、分かったの。町歩き、すごく楽しかったの」
「もうちょっと大きくなったら、また来ようね。敢えて眼鏡モードもアリかな」
「うん。どっちも楽しそうなの。パパと一緒なら、何処へでも行きたいの」
用事を済ませた僕たちは、帰りの電車に乗ろうと駅に向かって引き返す。
どれだけ歩いても疲れない幼児なんて、不自然極まりないが。隣町だし、特定の誰かがずっと見ているわけじゃないから、この程度なら違和感を持たれることはあるまい。光理をオンブするのは駅の近くからにしよう。
「……えっ?」
そう思い、光理が歩行を楽しむのを見守りつつ駅へと向かっていると、道路脇で突っ伏して寝ている人物が視界に入る。
だが、それは妖怪だとすぐに気付いた。頭上のカーソルが見えたから。
「ねえ、光理? あれって妖怪だよね?」
「うん。あんな半裸で尻尾のある人間がいたら、かなりの珍奇なの。周りの人も無反応で通り過ぎてるから、間違いないと思うの」
言われてみれば、僕たちから見える範囲だけでも尻尾やフサフサの体毛があると分かる。ここが異世界なら獣人の可能性もあっただろうが、現代日本でコスプレイヤー以外に獣人姿の人間はいないはずだ。
「……あれ? あの姿、どこかで見覚えがある気がするんだけど」
「毎日見てるの。あれ、猫又だと思うの」
「ああ、言われてみれば。琴子にそっくりだね」
よく見れば、その足には肉球らしきものが見て取れる。そして近付くにつれ、頭の上にある猫耳も見えた。
そういえば琴子、前に隣町に猫又がいるって言ってたっけ。この子がその、隣町の猫又なのかな?
「けど、どうして倒れているんだろう? 誰かを驚かせるため?」
「ううん、あれはたぶん行き倒れなの」
「へっ? 妖怪なのに?」
「妖怪でも死ぬことはあるの。あれは死にそうではないけど、ぼくには力尽きて倒れてるように見えるの」
一体全体、どうしてそんな事態になっているのだろうか。
ともかく、そんな状態だというなら見過ごすわけにもいくまい。先日、のっぺらぼう校長に人間と妖怪のために頑張りたいと宣言したばかりだし。
以前の僕なら見て見ぬふりをしただろうが、随分と変わったものだ。
そんなふうに自分自身の変化に驚きつつ、僕は周囲の目を気にしながらその猫又をそっと抱き上げ、人目の少ない路地裏へと移動した。
「ねえ、君? 猫又さん」
「……うう、誰ニャ?」
「あ、よかった。死んではいないみたいだね」
か細い声で返事をした猫又に、とりあえず大丈夫そうだとホッとする。
それにしても、妖怪が行き倒れるとは。本当に何がどうしてそんなことに?
こうして僕は、隣町で行き倒れの猫又と出会ったのであった。