q57「自由時間とは」
大妖怪のっぺらぼうに顔通しを済ませ、僕は安堵して家路に就く。
琴子や鈴子、それにポンちゃんや遠野さんは積もる話もあるようで、そのまま校長室に残ることになった。もしかしたら僕のことを話し合っているのかもしれないし、深くは追求しないでおこう。
そんなわけで、僕の部屋には珍しく妖怪が不在だ。
とは言っても、置物と化しているイリエと光理はいるのだが。
「光理はよかったの? 校長先生……のっぺらぼうと話さなくて」
「ぼくじゃないぼくが話しているの。だから問題無いの」
「ああ、そっか。光球の件がいるんだっけ」
「どんな話をしてるか聞きたいの? ぼくが教えることもできるの」
「いや、別にいいよ。僕の暗殺計画とか不穏な話じゃないなら、知る必要無いし」
そう言って光理の顔色を窺うが、特段焦りなどは見られない。
これでもし「な、なにを言ってるのかな? ハハハ……」なんて慌て出したら一大事だったけど、杞憂だったみたいだ。まあ、そんなわけないんだけど。
それに万が一あったとしても僕の本体は傷付かない。物理的な意味でね。
「パパ、器が大きいの。とっても大きくて立派なの」
「光理? 今は僕たちしかいないんだから、余計に言い方には気を付けようか」
「あるじしゃま~? わりぇもいるのりゃ~」
「……さて、久々に暇だな。こうなると何をしていいか分からないね」
「それなら、普段できないことをすればいいと思うの。ぼくは見て見ぬふりをするから、少しくらい激しくても問題無いの」
「待って? いったいナニの……じゃなく、何の話をしているのかな? そんなことやらないし、ストレートすぎる下ネタもやめてくれるかな?」
「ありゅじしゃまぁ、ほにゃうにゃりゃ~わりぇもきにしぇじゅ~」
「イリエ、流石に何言ってるのか分からなかったんだが? 想像は付くけど」
お茶目な妖怪組はさておき、それならばとアイミスに相談を持ちかけてみた。
本体の機能訓練だとか、色々とありそうな気がする。
〖たまには自由に行動することをお勧めします。このような機会が今後もあるか不明ですので、目一杯すっきりしては如何かと〗
(アイミスまで下ネタ⁉ ナビゲーションシステムもそんなこと言うの⁉)
〖……いえ、ストレス発散という意味で申し上げたのですが〗
(あ、そっちか。ごめん、光理の影響で誤解しちゃったや)
なんとなくアイミスがドン引きしている気がしたけど、気のせいだと思いたい。
それはともかく、言われてみれば琴子たちがいない状態は久しぶりだから、たまにはストレス発散に自由を謳歌するというのも悪くないかな。
この体にストレスが溜まるか疑問だけど、それはそれ、これはこれだ。
しかしながら、いざ自由時間を与えられると困惑するもので。
ゲームや映画鑑賞なら普段でもできるし、スポーツだって特にやりたいわけじゃない。そもそもこの体は鍛える必要が無いからなァ。
宿題は終わってるし、識那さんや灰谷君を遊びに誘うには急過ぎる気がする。お盆だから向こうにも予定がありそうだし。光理は眼鏡か帽子に変化で済むけど。
迷った挙句、それならばと普段行かない場所に行ってみることにした。
家でゴロゴロするのも考えたけど、それだっていつでもできるからね。
「ちょっと外出しようかな。光理、付いて来る?」
「行きたいの。あんよが上手なの」
「待って。行くなら眼鏡とか帽子とかでお願い。よちよち歩きの幼児を連れてたら噂になっちゃうからさ」
「なら、パンツに変身するから履いてほしいの」
「なんでだよ! パンツだとズボンで隠れるから景色も見えないし」
おふざけが過ぎる光理にツッコミを入れ、僕は半ば強引に光理を帽子に変化させて頭の上に乗せる。
数日しか経ってないが、今の光理は自力で歩けるまでに成長していた。しかしながら、並んで歩くわけにはいくまい。見つかったら大騒ぎだ。
〖癸姫の帰宅を確認。声量にお気を付けください〗
アイミスの注意喚起とほぼ同時に、玄関ドアの音と妹の「ただいまー」という声が耳に入る。
危ない危ない、タイミング次第では妹に声を聞かれるところだった。空間認識には常に意識を向ける癖を付けないとな。
「お兄ちゃん、ただいまー」
「おー、お帰りー」
部屋のドア越しに声がしたので、僕はドアを開けて妹に声を掛けた。
外で遊んで来たのか、妹の癸姫の前髪は汗で湿っている。
「暑かったでしょ、外」
「うん、めちゃ暑いよ。家でクーラー利いた部屋にいるのが一番だわー」
「そっか、ゆっくりしな。僕は出かけてくるから」
「うん? 誰かと遊びに行くの?」
「いや、一人で散歩のつもり。誰とも予定会わなかったから、暇でさ」
すると、癸姫は目を細めて僕の顔をジッと見る。
てっきり顔に何か付いてるのかと思ったが、これは何かを考えてる時の顔だ。
「……どこか、行き先とか目的はあるの?」
「いや、特に無いかな。ブラブラ歩きながら思い付きで決めるよ。何も決まらなければ、そのまま散歩だけで帰って来るかも」
「……ふーん。それじゃあ、急がないよね? 少し待っていられる?」
「え? うん、少しくらいなら大丈夫だけど。何か僕に用でもあった?」
「ううん。あたしも行くから、準備するまで待ってて」
「へっ?」
急にそんなことを言い出した危機に、僕は間抜けな声を上げた。
たった今帰って来たばかりなのに、どうしてだ?
「さっき、クーラーの利いた部屋で過ごすって言ってなかった?」
「だって最近、全然お兄ちゃんと遊んでないじゃん? 今日を逃したら次は何時になるか分からないし」
「まあ、それはそうだけどさ」
「どうせ暇なんでしょ? だったら兄らしく妹の面倒みてよね。というわけでシャワー浴びて着替えるから、待ってて」
「は? そんなに待……はいはい、分かったよ。待ってる」
「よろしー」
癸姫はそう言うと、部屋で着替えを用意してからバタバタと慌ただしく階下に走って行く。呆気に取られる僕などお構いなしという感じだ。
けれど、確かに癸姫の言う通りで。妖怪が見えるようになってからは家族と過ごす時間も疎かになりがちで。特に妹とは、前ならゲームや勉強で一緒に過ごしていた時間も琴子たちと話すのに費やしてしまっていたからな。
たまにはこうして兄妹で遊ぶのも悪くないのかも。
「ごめんね、光理。妹と一緒に行くことになっちゃったから、ゆっくり話すのは無理みたい。何かあったら念話を使うから」
「構わないの。たまには近親相姦も必要なの」
「兄と妹で一緒に遊ぶ、と言ってくれるかな? 下ネタを通り越して禁句の域だから。二度と言わないでね、それ」
「間違えちゃったの。兄妹のスキンシップと言いたかっただけなの」
「スキンシ……まあ、いいか。とにかく光理、妹の前では声を出さないでね」
これまでの流れでスキンシップすら厭らしい意味に捉えてしまったが、よく考えたら普通の言葉だった。男女で肌を触れ合うのもスキンシップだけど、親子や兄妹が並んで歩くのもスキンシップと表現するもんね。
「うん、分かったの。変な声が出ないように頑張って堪えるの。だから優しく、ゆっくり動いてほしいの」
「……確信したよ。光理は意図的にそういうことを言ってるんだね。じゃあ残念だけど、部屋で留守番をお願いしようかな」
「嘘なの。ごめんなさいなの。もう言わないし、黙ってるから連れて行ってほしいの。ドロドロ人魚と置き去りは嫌なの。許してほしいの」
ドロドロ人魚ってイリエのことだよね?
それはともかく、叱ったつもりは無いけど効果は覿面だったみたいで。光理は過熱するエロ発言を反省し、少しだけ大人しくなる。
まあ、初めて肉体を得て成長を体験したり、こうして話し相手ができたわけだから。テンションが上がってしまうのも無理はない。
「分かった、分かった。別に怒ったわけじゃないし、置き去りにもしないから」
「本当なの? 流石はパパ、器がおっきいの。立派で凄いの」
「……やっぱり置いて行こうかな」
「ち、違うの! 今のはタマタマなの。褒めようとしただけなの」
「……ハァ。とにかく、静かにね? 何かあったら念話だから、気を付けてね」
本当に大丈夫だろうか。妹の前で急に帽子が下ネタを言い出すとか、どう考えても一発アウトなんだけど。ハラハラするなァ。
そうして一抹の不安を残しつつ、僕は準備する妹を無言で待つのだった。