q55「現実逃避とは」
妖怪一つ目(♀)の急な来訪の後、僕は件と共に町外れの牧場へ足を運んだ。
今回は前と違って正面からだ。光理は眼鏡に変形してもらい、偽装している。
牧場の関係者らしき人に事情を話し、敷地に入る許可をもらった僕たちは、空間認識を駆使して早速目的の人物……もとい、動物に会いに向かう。
「やあ。約束通り、会いに来たよ」
「ナー」
二度目の訪問に、母猫が落ち着いた様子で返事をしてくれた。
この母猫は光理受肉作戦の際に会った猫である。名前はまだ無い。
「これ、約束の猫缶ね。あと、おやつ」
「ウニャー」
嬉しそうに鳴く彼女の傍では、産まれたばかりの子猫たちがミーミーとか細い声を上げていた。母親の鳴き声に反応したのかな。
「……ニャー」
約束のブツを手にした母猫は、僕の顔をジッと見つめて「ありがとう」と呟く。
それが猫缶に対する礼なのか、それとも出産の際に守ったことへの感謝なのか。はたまた、僕の顔にある眼鏡に救ってもらった謝意を伝えたかったのか。それは、分からなかったけど。
そんな彼女に、僕はとあることを尋ねた。
そして、彼女に許可をもらって目的の場所に向かう。
「……ここ、だね」
そこは、母猫が出産した場所のすぐ近く。
目立たないけど、小さな土の山の上に、丸い石が何個か積み上げてある。
「この下に眠ってるの?」
「そうみたい。牧場の人が気付いて、埋めてくれたんだと思う」
「……そっか、なの」
光理はそう呟き、かつて一瞬だけ自分の体だったものを見つめる。
とは言っても、既に土の下だけれど。彼女なりに想いを馳せているのだろう。
その土の下に埋められていたのは、光理が憑依した仔猫の亡骸だ。
もしも野ざらしになっていたら埋葬しなければと、こうして来てみたのだ。どうやら杞憂だったみたいだけど。
「……天国に行けたかな?」
「天国なんて人間の妄想なの。けど、きっと次の一生で幸せになれるの」
「そうだね。件のお墨付きがあるなら、きっとそうなるね」
僕と光理はフフッと笑い、そして手を合わせてその場をあとにした。
母猫に挨拶を済ませると、僕は牧場の人にもお礼を言ってから家路に就く。
ちなみに牧場の人には、たまたま朝の散歩中に猫の出産を目撃したと話し、仔猫のこともその時に見たと説明しておいた。少し無理があるかと思ったけど、すんなりと納得してもらえたので大丈夫だろう。仔猫を埋めてくれたのは別の人だったけど、お礼も伝えられたし。
その帰り道、僕は光理から件の秘密を教えてもらった。
件の憑依は、その体に本来宿るはずだった魂に呼ばれて起こるということ。そして魂の願いを叶えると神様が現れ、その魂を導くと同時に、件に未来の予言を一つ託していくということ。件はそれを人間に伝えていたのだという。
「そんな重要なこと、僕なんかに教えて大丈夫?」
「別に問題無いと思うの。もしもパパが他人に話しても、誰も信じないの」
「そりゃそうか。まあ、話さないけどさ」
「識那って人間には話してもいいの。もちろんベッドの中で、なの」
「識那さんとベッドに入る機会なんて無いから。光理、琴子に影響されないで? それに嫌でしょ、そんな時に「件ってさ、実は……」とか言い出す男の子は」
「そんなの分からないの。ぼくと三人でって未来、あり得るかもしれないの」
「それは親子ごっこって意味かな、それとも別のナニカって意味かな? いつもの微妙にエロい言い方も止めてほしいんだけど、そういうツッコミづらい下ネタも止めてくれない?」
神様だとかシン族だとか、最近は畏れ多い話ばかり聞いている気がする。
なにはともあれ、気がかりだった仔猫の埋葬も終わったし、明日からはまた平凡な夏休みが戻って来るな。残り半分、穏やかにダラダラしようっと。
「……パパ、そろそろ現実逃避は終わったの?」
「止めて。今まさに真っ最中だから。暫くそっとしておいてくれる?」
「パパ、ビビりさんなの。ぼくが付いててあげないとダメダメなの」
そうして、自分の秘密が下手をしたら世界中の妖怪たちにバレたという現実から目を逸らし、僕はなるべく無心で歩き続けるのだった。
できることなら、このまま逃げたいよ。校長先生に何言われるのかなァ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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夏休み中盤の八月十三日。今日からお盆だ。
地域によって差はあるらしいけど、僕の知る限りでは十三日から十六日が盆である。ご先祖様の霊をもてなしたり、墓参りをするんだっけ?
霊とかいるわけないじゃん……と、少し前の僕なら言っていただろう。
けれど、今は違う。だって妖怪がいたんだから、霊がいてもおかしくないんだもん。見えていないだけで、そこかしこにいるかもしれないんだ。
おばけなんてないさ、おばけなんてウソさ。
〖現実逃避はそのくらいで止めておくことを推奨します〗
(……あい)
またも現実から目を逸らしていた僕に、アイミスからツッコミが入る。
どうやら楽しい現実逃避はここまでのようだ。そろそろ正気に戻ろう。
「さあ、それじゃあ行こうか。みんな」
「にゃ!」
「了解なのじゃ」
「ポン!」
「おっけ~」
「ゴーなの」
僕の掛け声で、皆が声をあげた。
そんな僕らの前に立ち塞がる巨大な門。そしてその先に待ち受ける巨大な城。
だが、僕らは怖気付いたりしない。皆の力を合わせれば、きっと――――
「ね~、早く行こうよぉ。待ってるんでしょ、校長先生」
「あっ、はい」
再び現実逃避を開花させかけた僕を、遠野さんが引き戻す。
ちょっとファンタジーっぽく脚色してみたが、実際は見慣れた校門と校舎だ。最深部で校長先生が待ち受けているってところだけは合ってるけど。
「パパ、ビビりなの。仕方ないから、今夜からはぼくが添い寝してあげるの」
「……あとでぇ、詳し~く説明してねぇ? ミケち~ん?」
「……あい」
事情を聞きつけた遠野さんまで参加することになってしまったが、課題が山積みである。イリエのことはスルーしてもらえたけど、今回の件の……特にぼくっ子がパパ呼びしている辺りに関しては無理みたいで。気分は前門の虎、後門の狼だ。
まあ、なんだかんだ言ってはいるけど、実のところ覚悟は決めてきた。
本当に世界中の妖怪にバレたかどうかは不明だが、ここらが潮時ってやつなのだろう。遅かれ早かれそうなっていたと思うし。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました。校長室で、のっぺらぼう様がお待ちです。ケケケ」
校舎の入口で、一つ目が僕らを出迎えてくれる。
夏休み中の高校なんて普通は入れないが、彼女がアポを取ってくれたおかげで、こうしてすんなりと入れてもらえるのだ。
できれば全てが夢で、校門も校舎も入れなかったらなと淡い期待をしていたけれど。そんな妄想は呆気なく打ち砕かれてしまう。
「どうぞ、こちらへ……」
そうして僕らは一つ目に案内され、遂に決戦の地へと向かうのであった。




