q50「作戦の成否とは」
「……グ、ゲェ……」
ラッピーの時と同じく、そこには目を見開いた仔猫の姿があった。産まれた直後にもかかわらずハッキリと開眼しているなら、それは間違いなく件である。
件はその目で周囲を見回すと、目の前にいる琴子たちに気付く。
「ヤァ。オマエ、たチ。久しイなァ。会え、嬉しいヨ。デは、マた……」
「待つにゃ! そのまま話を聞くのにゃ!」
「すぐ終わるから、よく聞くのじゃ!」
「ポン!」
すると彼女たちは作戦通りに件へと指示を伝える。
死に瀕した件だが、彼女らの真剣な様子に黙って耳を傾けてくれた。僕は離れた位置で息を殺し、視覚を強化してそれを見守る。人間がいるとバレたら計画が台無しになるからね。
「……そういうわけにゃ」
「騙されたと思って、言われた通りにするのじゃ」
「ポン」
「……時間、切レ……だ……」
件は力を失うと、そのままペタリと横たわって動かなくなる。
そして、すぐに光球が仔猫から出現して近くを漂い始めた。
「よし、準備完了。それじゃあ、お願い」
「にゃ! 鈴子、ポン左衛門! 指差すにゃ!」
「おのれに言われんでも、既にやっとるのじゃ」
「ポポーン!」
「さあ! これに宿るんだ! 件!」
その光景にポカンとする母猫を余所に、僕らは真剣な眼差しで光球を見つめる。
彼女からしたら今の僕って、一人で騒いでる変な人間に見えるのだろう。けど、今は自分の体裁なんかよりも作戦の成否だ。
成功してくれと願いながら、僕らは光球の行方を目で追い続けた。
「あ! 入ったのにゃ!」
「どうじゃ? 上手くいったかのう……」
「ポーン……」
心配して見守る僕たちの前で、光球がそれの中へと消えていく。
すると間もなく、横たわるそれの目がパチリと開かれた。
「……の?」
まるで生まれたての仔鹿のようにプルプルと震えながら、それがゆっくりと身を起こす。その目にはしっかりと光が宿っていた。
「……やった」
「成功、にゃ?」
「……コれ、どウ、なっテるの?」
「やった! やった、やったァ!」
「わっ⁉ びックリしタの……」
飛び上がって喜ぶ僕と、僕の体で驚く件。
どうやら計画は成功したらしく、続いて琴子たちも喜びの声をあげた。
「よっしゃあ! にゃ!」
「大成功なのじゃ!」
「ポーン! ポン、ポン!」
「フシャーッ!」
しかし、僕たちの歓喜は母猫の怒りで中断された。
そりゃそうだ。出産直後に目の前で会ったばかりの男が大声をあげ、おまけに見知らぬ人物が突然現れたのだから。
「あっ、ごめん。無事に出産、おめでとう。可愛い子猫た……」
「シャーッ!」
「う、うん。今日はありがとうございました。お礼の品は後日、必ず持ってくるから。どうぞ、お大事にね」
「フナアアアア……」
「はい、もちろんです。それじゃあ、さよならっ!」
母猫に怒られ、僕は逃げ出すようにその場をあとにした。
もちろん、背中には件を背負って。そして琴子たちも一緒に。
「ナにが、どウなってルの……?」
僕の背中では、件が混乱しっぱなしだ。
けれど、なにはともあれ、こうして僕らの計画は大成功で幕を閉じたのだった。
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――――それから僕たちは、すっかり明るくなった空の下をのんびりと歩く。
空間認識の機能を使い、人目を避けながら、ゆっくりと。
自分の部屋に入るのは見つかるリスクが高すぎるので、両親と妹が外出する時間まで神社の裏山で時間を潰すことにした。自室には分体を置いてきているので、もし家族から呼ばれたとしても問題無い。
そんなわけで、僕と琴子たちは思う存分「件」と話をすることができた。道中も、裏山に入ってからも。
「イったい、なンなの? こんナこと初めテなの」
当然ながら件は終始戸惑っている。
今まで光球か死に瀕した状態か、その二つしか経験して来なかった件だ。生まれて初めて……もとい、この世に存在してから初めての状態だろうから困惑するのも無理はない。
なので、とりあえず琴子たちに件を宥めてもらい、ある程度落ち着いてから改めて事情を説明することにした。
「えっと、かくかくしかじかで。今、君が宿っているのは仮初の肉体なんだ。だから憑依できるけど死なないってわけ」
そう説明するが、それが僕の分体ということは秘密だ。
アイミスが提案した生きているけど魂の宿っていない肉体とは、つまりは僕の分身のこと。それならば何体でも作り出せるし、姿かたちだって自由自在である。今は僕と同じ姿だけどね。
「意味が分かラなイの。こんナの初めテなの」
「ミケ、件の初めての人にゃ」
「琴子は黙っててくれる? 色々と混乱するとは思うけど、細かいことは気にせずにそういうものだと受け止めてもらえたらいいな」
「受け止めキれなイの。コんなの大きすギて、無理なの」
「ポン……」
なんだか、さっきから言い回しがエロい気がするんだけど。
そう思ったのは僕だけじゃなかったみたいで、同じ男のポンちゃんも苦虫を噛み潰したような顔をしている。外見が僕だし、複雑だよね。
「分かる、分かるぞ、その気持ち。じゃが、人知……ならぬ妖知を超えた現象とでも思って呑み込むのじゃ、件よ」
「呑み込めナイの。こンないっぱい、ぼクには無理なの」
「ねえ、さっきから狙ってやってない? それはともかく、本来の目的を果たしたいんだけど。そろそろ話してもいいかな?」
「ナ、なんナの? ぼくにナにする気ナの?」
そんな台詞を吐く件だが、今の姿って僕だから。
エロい台詞もナヨナヨと怯える姿も、僕がやってると思うと寒気がするんだけど。そろそろ止めてくれないだろうか。
それはさておき、僕は件の前に正座してペコリと頭を下げた。
「この間は、予言を伝えてくれてありがとうございました。おかげで中学生の子たちを助けることができたよ」
「なンの話なの? 予言って……そうイえば、確かに少し前に君みたイな人間に伝えタような気はすルの」
「それに琴子たちから聞いたよ。今までずっと出産を助け続けてきたんだよね? それも、なんの見返りも無しに。僕が言うのも変だけどさ、本当にありがとうございました。君が救ったお母さんたちもきっと、心の底から感謝してると思う」
「……そレは、別にいイの。ぼくがやりタくてやっテたダけなの。けど、誰かに感謝されタのは初めテで、ちょっと嬉しいかモなの」
「君は本当に凄いよ。お母さんたちだけじゃなく、予言でたくさんの人も救ってきたんでしょう? 本当なら神様や仏様みたいに祀られてもおかしくないくらい偉大な存在だろうに、きちんと伝わってなくてごめんね」
「ナんで、君が謝ってルの? 変な人なの」
すると、件の言った「変な人」という部分に琴子たちが何度も頷いて同意する。
普通の人間じゃないのは確かだけど、変だと言われるのは何か嫌だな。
「それヨり、まさカそんなことを伝えるタめだけに、ぼくにコンなことシたの?」
「え? えーっと……まあ、そうかな?」
「君、馬鹿なの? 阿保の子なの? オ人好しが過ぎルの」
「同感にゃ」
「同感じゃ」
「ポポポン」
「いや、待って? さっきから僕に厳しすぎない? 誰も褒めてくれないの? いや、別にいいけどさ」
そうして拗ねる僕に、今度は件がペコリと頭を下げた。
体を動かすのに慣れていないのか、覚束ない動きだけれど。
「でモ、本当にアりがトうなの。コんな経験、二度と無イと思うの」
「いや、いいんだ。僕が勝手にやったことだから」
「モう、充分なの。そろそろ、本来の役目に戻ルの……」
そう言って、件は体をベタッと横たえると、安らかな顔で目を閉じた。
その姿は母親を救った時と同じく満足気で、やがてその身体から――――
「……アれ? 変なの。出らレないの」
その身体から件が、光球が出ることは無かった。
再び困惑する件を前に、僕はこの作戦の続きを練り上げるのだった。