q44「件の真実とは」
妖怪図鑑に書かれた「件」の解説を読み、憤慨する妖怪組の皆。
僕と識那さんは戸惑いながらも、彼女たちの話に耳を傾ける。
「にゃにゃっ! 件は、件は……」
「ええい、少し落ち着け。ワシが説明するのじゃ。件はな、母体の腹にいる仔を殺すのではなく、腹の中で死んでしまった仔の亡骸に憑りついておるのじゃ」
鈴子の説明に、僕も識名さんもギョッとする。
同じ行為でも、仔を殺して憑りつくのと死んでしまった亡骸に憑りつくのでは、全く違うように思えたから。
「つまり、死産の場合だけ憑りつくってこと?」
「それも少し違うのじゃ。死産は死産でも、母体に危険がある場合にだけ憑りつくのじゃ」
「……え? どういうこと?」
「じゃから、腹の中で死んだ仔が産み落とせず、そのままじゃと母体までもが危険な場合のみ憑りつくのが……そうして母体を助けるのが、件という妖なのじゃ」
「ええっ!?」
「それって……」
それはつまり、母親の命を助けているという意味じゃないか?
ならば件という妖怪は仔に憑りついて殺すのではなく、むしろ母親を救うために憑りつく妖怪ってことか。
「それって凄くありがたいことじゃない?」
「じゃから、そう言うとるのじゃ」
「ママさんの味方なのにゃ!」
「ポン、ポポン!」
「へえ……怖いどころか、とっても優しい妖怪なんだね」
だとしたら、図鑑の説明は酷いデマだ。琴子たちが怒るのも無理はない。
そう思い、妖怪図鑑を怪訝な顔で見つめる。
……すると次の瞬間、僕はあることに気付いて青褪めた。
「待って。それなのに、件ってさ。生まれたらすぐに……?」
僕の言葉に、識名さんがハッとする。
この妖怪図鑑、仔を殺すって部分は間違いだったとしても、その後の「生まれたら予言を残してすぐに死ぬ」の方は……?
「……そうじゃ。件は母を助けたあと、すぐに死を迎えるのじゃ」
悲痛な面持ちで、鈴子がそう言った。
母体を助けてくれる優しい妖怪なのに、生まれたらすぐ死んでしまうだって? そんな酷なことがあるだろうか。
「そんな! どうして、そんな……」
「憑りついた肉体が既に死んでおるからじゃ」
「ママさんの体の外に出た後は、長く生きられないのにゃ」
「そ、そんな……」
あまりに不憫な境遇に、僕も識那さんも言葉を失う。
いくら妖怪といえど、そんなのって無いよ。
(……アイミス。今の話って本当なの?)
〖はい。妖族の「件」に関しては、今の説明で合っています〗
(じゃあ、母体を助けるためだけに存在するってこと? そんなの……)
「……柳谷君、スマホ鳴ってるよ?」
アイミスとの会話に気を取られていた僕に、識那さんが声を掛けてくれた。
ショックで気が付かなかったが、確かに僕のスマホが鳴っている。
「ありがとう、識那さん。えっと……灰谷君からメッセージだ」
「なんにゃ? 識那がいるのに浮気かにゃ?」
「ふえっ!? わ、わたし、違っ……」
「いちいち真に受けんでいいんじゃぞ、識那? この馬鹿猫、空気読まんかい」
「本当にね。件が可哀想だって話してた直後に、よくそんな冗談言えるね、琴子」
「ポン……」
「ご、ごめんだにゃ。謝るから、全員でそんな目で見るのは止めてほしいのにゃ」
もし狙って空気を変えようとしたなら褒めるべきところだけど、琴子の場合は違うだろう。たぶん素だ。
けれど、お通夜みたいだった空気が変わったのは確かで。悲痛になり過ぎた感はあったし、結果的にはよかったと思う。
「……うん?」
「どうしたの? 柳谷君」
「あ、いや。こっちの話……というか、灰谷君から相談のメッセージがね」
「なんにゃ、なんにゃ? やっぱりデートかにゃ?」
「黙れ馬鹿猫。本当に黙るのじゃ」
「ポポポポン!」
とうとう琴子は、ポンちゃんに前足で口を塞がれてしまう。
それはともかく、こっちに集中しなければ。灰谷君からのメッセージが、思いがけず切羽詰まった内容なのだ。
「識那さん、ごめん。灰谷君の知り合いの家で、子犬が生まれそうなんだって」
「ふえっ?」
「けど、人手が足りないらしくて。僕、手伝いに行ってもいいかな?」
「そ、そういうことなら、今日は解散にしようか。続きはまた今度にしようよ」
残念ながら、第二回妖怪談義はここまでのようだ。
けど、僕がいなくても琴子たちがいれば……と思い、彼女に提案する。
「このまま琴子たちと話しててもいいんだよ、別に」
「あの……流石にわたし一人のところに、柳谷君のご両親が来たりすると……」
「……だね。ごめん、そこまで気が回らなかったや」
言われてから気付いたが、琴子たちの姿は普通の人間には見えないんだった。
となれば今の状況は、傍から見たら僕と識那さん二人きり。そこから僕が抜けると、識那さんが柳谷家に一人で留守番しているという謎の状態になる。
「きゅ、急に呼ばれて気が動転してるんだと思うよ。一回深呼吸して、それから行った方がいいんじゃないかな?」
「そう……だね。ありがとう、識那さん。琴子たちは留守番していてくれる?」
「なるはやで戻るにゃ。お土産はツナ缶でいいにゃ」
「この馬鹿猫はワシらが見張っておくから、ゆっくり行ってくるのじゃ。土産も要らん。玄関の鍵だけは忘れずに掛けていくのじゃぞ?」
「ポン、ポポポン!」
「じゃ、じゃあ、わたしも一緒に出るよ」
頼もしい妖怪組に見送られ、僕は灰谷君のところへ行くことを決める。
ポンちゃんも「こっちは任せとけ」と言ってくれた気がした。うちの妖怪組は約一名を除いて頼りになるなァ。
「行~ってらっひゃいましぇ~」
おっと、素で忘れてた。もう一人、頼りにならない妖怪組が居たっけ。
そんな冗談はさておき、僕と識那さんは足早に玄関へと向かった。
「それじゃ、ごめんね。この埋め合わせは後日するから」
「ううん、そんなの気にしないで。今日も楽しかったし、また改めて話そうよ」
「ありがとう。じゃあ、行くね」
「うん、気を付けてね。頑張って」
そうして識那さんと別れると、すぐに灰谷君に連絡する。
彼の知り合いの家はすぐ近くらしいし、それほどかからず辿り着けるはずだ。犬の出産なんて初めてだけど、アイミスもいるし大丈夫だろう。
この時の僕は「生まれたての子犬、可愛いだろうなァ」などと能天気で。
さっきまでの妖怪談義がフラグだなんて、全く考えもしなかったのであった。