q40「人魚とは」
海水浴場の外れにある岩場で、僕たちは死にかけの人魚を発見した。
そのまま海へ戻すと死ぬと鈴子に言われ、どうしたものかと頭を悩ませる。
「ちなみに、どうして海に戻すと死ぬの?」
「力を失っておるからじゃ。恐らくは属する海神様の領域から出てしまったのじゃろうが、今から海神様を探していては間に合わん。水のことは水のプロに聞くのが一番じゃから、とりあえず河童のところへ連れて行くのじゃ」
鈴子に言われるがまま、僕は人魚を抱え、来た道をひた走る。
だけど、遠野さんのところまで行っても、どうやって彼女だけを呼び出そうか。
識那さんの見ている前で琴子たちが話しかけるわけにもいかないし、かと言って僕が遠野さんだけを連れ出したら、別の意味で怪しいだろう。
こんな時のためにスマホを持ってきておけばよかったな。後悔先に立たず。
「ねえ、どうやって遠野さんだけ呼び出そうか?」
「ううむ、そうじゃのう……」
「いっそ、家に帰ってからにする?」
「いや、それだと間に合わんじゃろう。なんとかこの場で処置せんと……」
「なら、逆転の発想にゃ。識那たちを引き離して、いのり一人にすればいいにゃ」
そう言うと、琴子は先行して皆のいるビーチパラソルへと走った。
識那さんたちは既に帰り支度を始めていたが、そこに琴子が乱入する。
「にゃあ、散歩したら腹が減ったのにゃ! ミケのやつはドケチだから何も買ってくれないのにゃ! 識那、何か買ってほしいのにゃ! 買って、買って、買って、にゃにゃあ‼」
識那さんは突然駄々をこね始めた琴子に驚くが、遠野さんの手前、返事をするわけにもいかない。当然、遠野さんは見て見ぬふりだ。
「ミケの顔なんて見たくないにゃ、あの馬鹿が来る前に一緒に行くのにゃ! じゃにゃいと、識那のアレな秘密の第二弾をバラし……」
「わあっ⁉ きゅ、急にお腹が減っちゃったな! わたし、ちょっと海の家で軽くお腹に入れてくるよ! いのりちゃん、ここで待ってて!」
「お、おう……分かったよ」
「なら、俺も付いて行くね。ナンパ衆がまだいるかもしれないし、識那さん一人は危ないから。どうしてもヤバそうならコーメイに連絡するわ」
「えっと……行ってらっしゃい。三重籠のこと、お願いね? 灰谷君」
そうして狙い通り、遠野さんだけが残る結果となる。琴子、グッジョブ。
……と言いたいところだけど、たまたまラッキーだっただけだと思う。遠野さんまで付いて行っちゃう可能性だってあったし、そもそも灰谷君も残る可能性が高かっただろう。あと誰がケチで馬鹿だ。
ともかく、好都合な状況は確かなので、急ぎ遠野さんに事情を説明する。
最初はキョトンとしていた彼女も、切迫した状況を理解すると対応は早くて。あれよあれよという間に、瀕死の人魚に力を分け与えてくれた。
「……ふう、とりあえずこれで大丈夫かな。けど、相当消耗してるから、わたしの水源でもう一度補給しないと危ないね」
「え? 連れて行くってこと? 海から離れたら、人魚って死なない?」
「普通ならそうじゃろうが、今はそれしかないのう。このままだと死ぬし、いのりに回復してもらってから改めて帰すしかあるまいて」
「今は力を分けてあげられたけど、わたしも水源に行かないと本来の力は出せないのよ。人魚って海神様の眷族だから、力の種類も微妙に違うし」
分かったような分からないような。
けれど、ここに置いていけないことだけは理解した。
取り急ぎ、識那さんたちが戻ってくる前にレジャーシートで人魚を包み、荷物に紛れさせて持ち運べるようにする。
間もなく彼女たちが戻って来ると、僕らは何事も無かったように振舞った。
「識那、ありがとうにゃ。ミケ、今回は識那に免じて許してやるのにゃ」
「……それは、とてもとてもありがとうございました。識那さん、ごめんね? 琴子に使ったお金は僕が後で払うから」
「い、いいよ、いいよ。ナンパから助けてもらったり、普段から色々とお世話になってるんだし。これくらい気にしないで」
「……コーメイ、やるな。普段からそんなにお世話、してるのか」
なにやら、あらぬ誤解を生んだ気がするが。
あと、琴子……覚えてろよ?
そうして賑やかな終わりを迎え、僕たちは楽しかった一日に終止符を打つ。
とはいえ、僕と遠野さんたちの一日はまだ終わらないようだ。まさか、こんな形で新たな妖怪と出会うだなんて。
帰りの電車の中、灰谷君や識那さんは楽しそうに今日のことを振り返っていた。
だが、僕と遠野さんは心ここに在らずで。識那さんたちの話に相槌を打つばかりだったのは、言わずもがな。
やがて眠気を催した皆がうたた寝を始めた頃、僕と遠野さんは無料通話アプリでこっそりと今後のことを相談し合うのだった。人魚、まだ生きてるよね?
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「今日は楽しかったよ、ありがとう。またね」
「俺も楽しかった。コーメイ、識那さん、遠野さん、またな」
「うん、またね。みんな」
「うぃー。まったねぇ♪」
家の最寄り駅で皆と解散すると、僕は帰るように見せかけて湖に直行する。
今回はアレコレと考えている暇がないので、身体強化有りの全力だ。
そして識那さんと一緒に帰ったはずの遠野さんも、彼女と別れてすぐに湖へとやって来た。あまりの速さに、河童って凄いんだなと改めて驚かされる。
「……で、力を送ってみたわけだけど。どうにもマズいね」
「えっ?」
すると、湖に浸かって人魚を癒していた遠野さんが、そう口にした。
てっきり、すぐに回復するものだと思っていたから、予想外だ。
「さっきも言ったっしょ。水神様と海神様じゃ、力の種類が微妙に違うのよ。力を受け付けはするものの、百を送って一が入るくらいなんだよね。しかも復活させるのに必要な力は万単位と来てるから、どうにもこうにもね……」
「じゃあ、この人魚はこのままだと……?」
場に、暗い雰囲気が流れ始める。
遠野さんが力を送り続ければ、すぐに死ぬことは無いようだが。彼女とて夜通しここにいるわけにもいかない。人間としての生活だって守らなければ。
となれば、結末は見えているも同然。遅かれ早かれこの人魚は死ぬことになるのだろう。悲しいけれど、それが避けようのない現実だ。
「仕方がないよ。ミケちん、ここに置いて帰って。あとはわたしが看取るから」
「……えっと、遠野さん。もしよかったら、僕が連れて帰ってもいいかな?」
「は? けど、そんなことしたら死期が早まるだけだよ? ミケちんにとってすっごく辛い選択にな……」
「いいんだ。見つけたのも僕なんだから、責任をもって看取るよ。それにもしかしたら、奇跡が起きて元気になるかもしれないでしょ?」
「……そっか、分かった。けど、もしもの時は必ず連絡してよね。すぐ駆け付けるし、後のことは同じ妖同士でやっからさ」
そう言って作り笑いをする遠野さんと別れ、僕は人魚とともに家に帰ることに。
琴子たちは深刻そうに見つめていたが、僕は黙って人魚を抱きかかえて歩く。傍から見たら、僕はさぞ悲しそうに俯いているように見えるのだろう。
家に帰ると、僕は人魚をベッドに寝かせた。
家族には、遊び疲れたし沢山食べてきたから今日はもう寝ると説明し、あとは朝までベッドの住人になる。このまま朝まで人魚に添い寝するつもりだ。
「……ミケ、あまり気に病むなにゃ」
「そ、そうじゃぞ。見つけた時点でもう手遅れじゃったのじゃから」
「ありがとう。けど奇跡ってあると思うんだ。僕は最後まで諦めないよ」
「……心優しい御方。ありがとうございました。せめてもの御礼です。どうか、どうか我が肉を食べて不老不死になってくださいまし」
横たわっていると、不意に知らない声が聞こえてきた。柔らかい声だ。
それは人魚の声。どうやら治療が功を奏し、話せる程度は回復したようで。
「……不老不死かァ。けど、間に合ってるかな?」
「さようでございますか。それでは、なんの御返しもできませんで、ご迷惑を御掛けしたことを謝罪しておきますゆえ」
「ほらほら、そんな悲観的になってたら奇跡だって起こらないかもよ? 話は明日の朝にでも聞かせてもらうから、今はゆっくり休んでよ」
「……本当に、優しい御方。この御恩は黄泉へ渡っても永遠に忘れません。どうか、貴方様に幸福があらせられんことを」
「はーい、おやすみ。また明日ね」
その光景を目にして、琴子たちは大粒の涙を流していた。
きっと僕が人魚を安らかに眠らせてやろうと、強がりを口にしているように思ったのだろう。しかも表情を変えないよう、泣かないように努めてまで。
……けど、違う。なにも諦めて人魚を託してもらったわけじゃない。
なにせ僕には、皆の知らない最強の味方が付いているのだから。
(じゃあ、アイミス。手筈通りによろしくね)
〖はい。お任せください〗
そうして僕は、奇跡を確信して人魚を見つめる。
さーて、明日の朝が楽しみだなァ。




