q37「妖怪談義とは」
識名さんを部屋に呼び、妖怪談義が始まった。
ポンちゃんを愛でている間に、僕はお茶とお茶請けをテーブルの上に用意する。
「ありがとう……こっちの缶詰と魚の骨は?」
「そっちは琴子たちの分。ポンちゃんには魚の骨だよ」
「ポン!」
妖怪は食事を必要としない。しかし、物を食べられないわけではない。
特にそれぞれが持つ好物には、人間以上に目が無いのだ。不思議だなあ。
「へえ、琴子はツナ缶が好きなの?」
「この油が格別なのにゃ!」
「……あ、油?」
「まあ、妖怪だからね。人間とは違うところもあるんだよ」
ツナ缶の油だけを嬉しそうに舐める琴子に、識那さんは面食らっている。最初はビックリするよね、やっぱり。
因みにツナの身の方は、あとで僕がサンドイッチにして食べる予定だ。
「はい。鈴子には和菓子だよ」
「おお! ありがとうなのじゃ」
鈴子は見た目通りというか、和の物なら柿、梅、和菓子、漬物など何でも好む。
そしてポンちゃんはちょっと変わっていて、狸っぽいといえば狸っぽいが、柿の種や団栗、焼いた魚の骨、蟹の殻が好物だという。柿の種は天然の方ね。
だから柿が手に入ったら果肉は鈴子に、種はポンちゃんにあげるので無駄がない。団栗以外は非常にエコなものばかりだけど、彼が好きなら何も言うまい。
「それじゃあ、僕らもいただきます」
「う、うん。いただきます。そういえば図書館で借りられたよ、妖怪図鑑」
「本当に? ありがとう、識那さん。スマホの検索と合わせて参考にできるね」
そうして僕らは図鑑を見ながら、スマホも開いて話を膨らませていく。
アイミスに聞けば間違いないけど、今回はサポート程度に考えよう。全部となると、識那さんに説明するのが二つの意味で面倒なので。
今さらだが、正式な妖怪の伝承なんて触れたことが無かったから、こういう図鑑と琴子たちの話があれば百人力である。琴子たちのは実話だし。
簡単に調べられるとはいえ、ネットの情報は正しいとは限らない。ゆえに出版物の方が便利な場合も多いのだ。
「こうして見ると、色々な妖怪がいるね。琴子たちが知っている妖怪、いる?」
「えっとにゃあ、猫又と座敷童子、豆狸、河童、のっぺらぼう以外だと……」
「え? どうして、河童とのっぺらぼうも除外したの?」
「……こ、琴子の知り合いにいるんだってさ、河童とのっぺらぼう。僕は前に聞かせてもらったんだけど」
「そ、そうなのにゃ。識那にはまだ言ってなかったのにゃ。失礼したにゃ」
琴子ってば、遠野さんと校長先生のことは識名さんに内緒なの忘れてたな。少しヒヤッとしたじゃないか。
けれど彼女は特に気にしていないようなので、追求される前に話を進めよう。
「コホン、にゃ。ウチが会ったことあるのは、小豆洗い、ぬりかべ、天邪鬼。それと、二口女、山姥、ぬらりひょん、ろくろ首……」
「あとは、鎌鼬、土蜘蛛に絡新婦、牛鬼じゃろ。それから、件、大百足、一反木綿、鵺、百々目鬼、砂かけ婆……」
「他にもいるにゃ。タンコロリン、垢嘗、唐傘おばけ、火車、海坊主、濡れ女、鳴き女、飯綱に管狐、猩々、煙羅煙羅、オバリヨン、野霊……」
「わ、分かった、もういいよ。そんなにいるとは……」
「なんなら、図鑑に載ってない妖怪まで言い出しそうな勢いだったねぇ」
琴子たちが次々挙げる名前に、僕と識那さんは圧倒される。そりゃあ八百年も生きていれば、知り合いだって増えるよね。
それにしても妖怪って、そんなに多種多様なのか。見えない頃は興味が無くてあまり知らなかったが、思っていたよりずっと多いんだな。
「そういえば識那さんは、ポンちゃんを見てすぐに妖怪だって分かった?」
「ふぇっ?」
「僕は初めて見た時、普通の子狸かと思ったけど。そういうことってなかった?」
「あー……ポン君の場合はそもそも、この部屋にいたから。だけど、確かに今までも狐とか鳥っぽい妖怪はいたかな。でも動物って人間に寄って来ないじゃない? 妖怪は、こっちをジッと見て近寄って来るから、なんとなく分かるの」
「なるほど」
「そういうの繰り返し経験してたら、いつの間にか勘で分かるようになったよ。今は、見た瞬間に妖怪って分かるかも」
そんな雑談を交わしながら、二人で妖怪図鑑を捲っていく。
サラッと言ったけど、識那さんの妖怪識別眼って地味に凄いんじゃなかろうか。
「うわぁ、虎狼狸なんて妖怪がいるんだ? 隣には海彦も載ってる」
すると、図鑑に見知った姿を見付け、指差してみせる。見たのはつい最近だ。
その時は虎狼狸ではなくCOVID-19だったが、アマビエさん、よくテレビやネットで取り上げられていたから記憶に新しい。グッズまで売られていたからな。
「……それなら目の前にいるにゃ。虎狼狸は豆狸のことだにゃ」
「は?」
すると、琴子から予想の斜め上の答えが返って来る。
コロリって、発音だけは可愛いけど、疫病だよね? ポンちゃんと通ずるところなんて全く思いつかないんだけど。
「江戸時代に人間の間でコレラって病気が流行った時、馬鹿なやつが虎狼狸っていう狸の妖怪の仕業だってデマを広めたのにゃ。その時代は豆狸、とばっちりを受けて大変だったと思うにゃ」
「海彦は海坊主って妖怪じゃの。悪戯好きの海坊主がいてな、自分の姿を描いて戸口に貼れば病気が治ると人間を揶揄ったら本当に治ってしまって、引くに引けなくなっての。治ったのは偶然じゃが、その海坊主は以後、海彦と呼ばれとるのじゃ」
「そ、そういうパターンもあるんだ……?」
「似たような話は結構あるのじゃ。脛擦も豆狸が人間の足にじゃれついたら名付けられただけじゃし、覚も水源近くの山中で人の心を読んだ河童のことじゃな」
「それを言ったら、タタリモッケなんて傑作だにゃ。ある人間が、座敷童子が離れたせいで我が家が衰退したと曲解して、逆恨みで作った話が大元だからにゃ。つまりは鈴子のことなのにゃ。にゃははははっ」
「あ、あれは黒歴史じゃの……知らぬ間に祟り嬰児などと不名誉な二つ名が追加されていたのじゃからな。祟りなど一度もやったこと無いわい」
「なんだか酷い話だね。当人たちは笑い話にしてるけど……」
意外すぎる情報に、僕と識那さんは苦笑いするしかない。学校の運動会で、自分の身内がリレーのバトンを落としたくらいの気まずさだ。
それにしても皆、色々と異名を持っているんだなあ。本名や呼び名もだけど、種族名まで複数あるだなんて。
「そういえば琴子には無いの? 猫又の逸話とか」
「ふふーん、にゃ! 猫又は仙狸とか猫神とか凄い存在と同一視されて、よく崇められているのにゃ。どこぞの祟り座敷童子とは格が違うにゃ」
「な~にを言っとる。猫又なんぞ、ただの化け猫じゃろうが。真っ黒な猫の方が、まだ可愛げがあるわい」
「まあまあ、喧嘩しないで。猫又も座敷童子も豆狸も、実際はこんなに可愛いんだし。みんな優勝、みんな最高だよ?」
睨み合う二人にフォローを入れつつ、僕は琴子やポンちゃんの頭を撫でた。
本当は鈴子も撫でたかったけど、セクハラだと訴えられそうなので止めておく。そっちは識那さんに任せておこう。
それにしても黒猫を不吉の象徴みたいに言うのは止めてほしいな。友人の灰谷君の家にいるけど、なんなら普通の猫より黒猫の方が可愛いんだが?
「それにしても、こんなに色々いるなら近いうちに遭遇するかもね。たとえば町中とか、隣町とかでも……」
「にゃ? 近いうちもなにも、小豆洗いやぬりかべなら既に会っ……」
「おい、馬鹿猫! シッ‼」
「……うん?」
僕が何気なく言った言葉に、琴子が意味深なことを言いかけた気がする。けれど鈴子が彼女の口を塞ぎ、話は遮られてしまった。
二人をジッと見つめると、彼女たちは慌てて目を逸らす。
「ねえ、今なんて言ったの? まさか、この近くに……?」
「ピュー、ピュ、ピュー、にゃ」
「す、すまん、ミケ。祈……じゃなく河童の時と同じじゃ。ワシらの口からは言えん。察してほしいのじゃ」
「……ははーん? なるほどね」
「……三人とも、何の話なの? わたしだけ蚊帳の外なんだけど」
琴子、口笛上手いなぁ。誤魔化し方は下手だけど。
じゃなかった、なんとなく話は分かった。つまり近くにいるけど、隠れているとか遠野さんみたく秘密にしている妖怪なんだね。
琴子を問い詰めれば、うっかりボロを出しそうな気がしないでもないが。それはちょっと可哀想だし、急かさなくてもそのうち会えるでしょ、きっと。
そんな新情報を掴みつつ、僕たちの妖怪談義は続く。
鈴子は琴子の口の軽さにヒヤヒヤしていたようだが、ともかく有益な話を沢山聞くことができて僕たちは大満足なのだった。
こうして識那さんを交えた楽しい時間は平和に経過し、何事もなく終わりを……
……迎えそうだったが、識那さんと僕のスマホに同時に届いたメッセージが、状況を一変させる。差出人は遠野さんだ。
“みんなで海、行かない?”
今さらですが、本作の妖怪は独自の解釈が多分に含まれております。
実際の伝承、内容とは著しく異なる場合がありますのでご了承ください。本作品はフィクションです。