q36「祈紀とは」
「おっはよ~三重籠ぅ」
「あ、おはよう。いのりちゃん」
「ミケちんも、おっはよぉ♪」
「遠野さん、おは……って、うぉい⁉」
僕が遠野さんの正体を知った翌朝。
彼女から誘われ、僕と識那さんは地域の朝のイベントに参加すべく集まる。
この辺の地域では自分の町内に限らず、どこででも参加できる仕組みになっていて。こうして識那さんたちの最寄の会場に参加するのも可能なのだ。
とはいえ、無警戒で来たのは失敗だったみたいで。遠野さんが何もせず大人しくしているはずがなかった。
「……ふ、二人は、いつの間にそんな仲良しになったの? ま、ま、まさか、本当に付き合って……もう、ひと夏の思い出とか、男女の関係……?」
「ほらァ! 識那さん、泣いちゃいそうじゃないか。僕には傷付けるなとか言っておいて、どうするのさ」
「ご、ごめ~ん。三重籠、冗談だから泣かないでぇ。付き合ってもないし、三重籠が想像しているようなことも無いってばぁ」
焦って言い訳しているが、自業自得だ。人を揶揄うのが好きなのは、河童の性分なのか。それとも遠野さん個人の性癖だろうか。
それはともかく、普段通りにしていればいいものを。彼女にどう説明する気だ?
「まあ、仲良くなったのは本当だけどね。手も握ったし?」
「ふぇぇ……」
「遠野さんは少し黙ってくれる? 識那さん、騙されないで。無料通話アプリで呼び出されて、識那さんに変なことするなよって忠告を受けただけだし。手を握ったんじゃなく、約束の証しに握手しただけだから。彼女が好きなのは識那さんだよ」
「……ふぇ?」
咄嗟にそんな説明をするが、概ね本当のことだ。
それに遠野さんが識那さんを好きだと言うのもその通りである。
「い、いのりちゃん? そんなこと言ったの?」
「……まあ、言ったけどさ。なんで正直にバラすかなぁ」
「自業自得だよ。遠野さんは僕が識那さんと二人で会ったって聞いて、厭らしいことしないか心配になったみたいだよ。友達思いの素敵な人だね」
「いのりちゃん……ありがとう。わたしのこと、そんなに心配してくれてたんだね。けど柳谷君は大丈夫だと思うよ」
「まあ、彼と話してみてわたしもそう思ったけど。これからは二人のこと信用して口出ししないから、仲良くやりなよね」
そう言いながら遠野さんは照れくさそうにしていた。
どうやら彼女が憎まれ口や揶揄いを見せるのは、識那さんの純粋な心に触れると照れて間が持たないからのようだ。天下の大妖怪も可愛いとこあるね。
「……しかし、ミケちんはそういうふうに誤魔化すんだね。君の手の内が分かったから、少しだけ好感度が下がったかなぁ」
「し、仕方ないでしょ。まさか正直に言うわけにもいかないし、遠野さんをフォローするにはそう言うしかなかったんだから」
その後のラジオ体操の最中、遠野さんがこっそりと耳打ちをしてくる。
僕は識那さんに怪しまれないかとヒヤヒヤしながら、彼女と内緒話を繰り広げるのだった。遠野さん、割とスリルを楽しむタイプなんだろうか。
「冗談だよ。さっきはありがとう。こんなわたしだけど、改めてよろしくね」
「はいはい。こちらこそよろしく。琴子たち共々ね」
「……ちょっと羨ましいなぁ。わたしも君の家、行きたいかも」
「え? それなら今度遊びに来たらいいよ。豆狸のポンちゃんもいるし」
「……ミケ、鈍チンにゃ。天然たらしで間違いないのにゃ」
「いのりも苦労しそうじゃのう。まったく」
「……うっさいよぉ、二人とも。余計なこと言わないで。怒るよ?」
当たり前のように付いて来た琴子たちとも、バレないようヒソヒソ話をし。僕たちは朝日に照らされながら、爽やかな汗を流した。そして冷や汗も、少し。
まさか思いもしないだろうな、識那さんは。こんな近くに妖怪が見える人……どころか、妖怪そのものが存在しているだなんて。校長先生を含めて。
なお、識那さんには遠野さんの正体も妖怪が見えることも、今まで通り秘密だ。
それは遠野さんの要望で、僕もその方がいいと思ったから。いくら識那さんが琴子たちを受け入れているからって、遠野さんも受け入れてくれるとは限らない。受け入れそうな気はするけど、二人の友情が壊れる可能性もあるのだから、無理に打ち明ける必要も無いだろう。
というか、遠野さんが人間として生きるのは今回が初めてではないらしく。
たまたま僕が琴子たちと同居を始めたのと識那さんの件があったから、特別に正体を明かしただけで。彼女が河童だと知る人間は、普通ならゼロなのだそうだ。
「まあ、大昔は神主さんとか巫女さんとか見知った人間もいたけどさ。こうして学校に通うように……人間に化けるようになってからは、ミケちんが初めてだよ」
彼女がポツリとそう呟いた時、僕は彼女の悲しそうな横顔を目にする。
きっと自分の姿を見える・見えないようにコントロールできる分、琴子たちよりも出会いと別れの数が多かったのだろう。彼女たちがいくら寂しさを感じにくいとはいえ、大妖怪というのもいいことばかりではないようだ。
「それは光栄だね。じゃあ初めての人ってことで、末永く仲良くしてくれると嬉しいな。僕がいるうちは寂しい思いはさせないからさ」
「……ねぇ、二人とも。ミケちんっていつもこうなの? これ、完全に素で言っちゃってるみたいなんだけど。普通に恥ずかしいわ」
「だから言ってるのにゃ。タラシだにゃ」
「いや、まあのう。単に純朴な馬鹿……いや無垢なんじゃろうけどな」
「何か言った? 何の話?」
「ねえ、さっきから二人で何を話してるの? わたしも仲間に入れてよ。仲間外れにしないでよ、ふぇぇ」
そうして混沌としたラジオ体操が終わり、僕たちは帰路に就く。
遠野さんとはまた無料通話アプリで話す約束をして別れたけど、識那さんとは軽い挨拶だけだ。何故なら――――また会うから。
「柳谷君、今朝ぶり」
「こんにちは。やっとゆっくり話せるね」
そう言って識那さんを僕の部屋に招き、今度は彼女との妖怪談義が始まる。
仕事に行っている両親には友達を呼ぶと言ってあるが、まさか女の子とは思うまい。琴子の時とは違い、正真正銘の初めて女子を部屋に入れた記念日だ。
「いらっしゃいませにゃ。よく来たのにゃ、識那」
「識那よ、ワシらがいるから安心せい。ミケが厭らしい目をしとったら、ワシらが成敗してやるのじゃ」
「二人とも変なこと言わないで。そんなこと言ったら気まずくなるでしょ」
「ふふふっ。大丈夫だよ、柳谷君はそんな人じゃないもの。でも、ありがとね」
部屋に女の子を招いたとは言っても、既に他の女の子がいるわけだが。別に修羅場じゃなく、ここにいる五人のうち三人は妖怪である。
実は僕も球体だから、普通の人間は識那さん一人と言えなくもない。そんなことを彼女が知ったら、悲鳴をあげて逃げ出しそうだな。
「わあ! この子が噂の豆狸ちゃん? かわいぃ~」
「ポン左衛門にゃ」
「ポン助じゃな」
「ポンちゃんです」
「わぁ、ポン君って言うんだぁ? よろしくねぇ~」
彼を見つけるや否や、識那さんは猫可愛がりを始める。猫じゃなく豆狸だけど。
それにしてもポンちゃんは全員から違う呼び方をされる呪いでも掛かっているのだろうか。支障が無いからいいんだけどさ。
こうして、識那さんの前で遠野さんの秘密を守りつつ、遠野さんには秘密で識那さんと過ごすという……混乱必至のややこしい状況が、幕を開けたのであった。




