q26「識那さんとは」
「……あれ? 柳谷君?」
弥生さんの家に向かう途中、僕は聞き覚えのある声に呼び止められる。
振り返ると、そこにいたのはさっき別れたばかりの識那さんだった。
「え? 識那さん?」
「どうしたの? こんなところで」
「あ、えっと……識那さんこそ」
思わず質問に質問を返してしまう。
すると彼女は、不思議そうな顔をして口を開いた。
「わたし? わたしは、だって家がそこだから」
「えっ?」
彼女が指差した先には、多くの家々があった。
そういえばこの辺は学校の南にある、大規模な住宅地だ。当然、そこに同級生が住んでいても不思議ではない。
空間認識という優れた機能も、他のことに気を取られていては無意味で。ずっと彼女が近くにいると知らせていただろうに。見逃すとは、まさに宝の持ち腐れ。
「あ、そうなんだ。なんか……ごめん」
意図せずクラスメイトの女子の家を知ってしまい、僕は咄嗟に謝ってしまう。
別に謝ることでもないのに、またも陰キャな返し。最早、陰キャのプロだな。
「どうして謝るの? 柳谷君、変なの」
そんな僕に、彼女は首を傾げて「ふふっ」と優しく笑った。
美少女と呼ぶに値する識那さんの笑顔である。とてもフラットじゃいられない。
「ええと……僕は学校から北の住宅地に住んでるんだ」
動揺のあまり、聞かれてもいないことを答える。
すると、彼女は一段と首を傾げた。これは失敗だ、藪蛇ってやつだ。
「それなら、尚更どうしてここに?」
ほら見たことか。余計なことを言うから、藪から蛇が出て来たじゃないか。
けれど、どちらにせよこの疑問は遅かれ早かれ出ていたに違いない。
「……実はあっちに用事があって」
僕が指差した方角は、住宅地よりさらに南。古民家がある方向だ。
ここから南東には小さな商店街があり、そこに用事があると嘘を吐くこともできた。その方が、この場所にいる理由としては自然だと思う。
けれど、折角友達になれた相手に下手な嘘を吐くのは駄目な気がする。彼女はそれ以上踏み込んで来ないだろうけど、それでも僕は真実を告げた。
「えっと、さっきの民家に。弥生さんのところに行こうと思って」
「へっ?」
「実は、弥生さんに個人的に聞いてみたいことがあってさ。迷惑になるかもしれないけど、少しお邪魔しようかなって」
「ええ、そうなんだ。柳谷君、真面目なんだね」
流石に座敷童子に会いに行くとは言えないけど、嘘は吐いていない。
けれど誤魔化したことには変わりないから、罪悪感で心がチクッと痛んだ。
「どんな話?」
「え⁉ あ、えっと……大したことじゃないんだけど、ちょっと噂をね」
「噂?」
「そう。座敷童子の……」
そこまで正直に言う必要は無かったと、僕は慌てて口を閉ざした。
こういう話を好まないかもしれないし、彼女にあまり変に思われてもな。
「……座敷、童子?」
「あ。こういう話が好きじゃなかったら、ごめ……」
だが、彼女は予想外の反応を示した。
僕が謝り終わらないうちに、彼女が一気に距離を詰めてきたのだ。
「あの、わたしも一緒に行っちゃ駄目?」
「えっ?」
「迷惑かな?」
「い、いや。僕は全然全く構わないけど」
識那さん、余程この手の話に興味があるのか。
そう思わせるくらいの食い付きに、僕はたじろいでしまう。
「識那さん、そういう話、好きなの?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……」
「そうなの? それじゃあ……まあ、一緒に行こうか」
「う、うん。ありがとう」
なんだか、おかしな展開になってしまった。
こうなるくらいなら嘘を吐くべきだったかと若干後悔したが、折角できた友達に後ろめたいことをするよりはいいのかな。
「それじゃあ、このまま向かってもいいかな?」
「うん。ご近所に用事があって、その帰りだったから。大丈夫だよ」
「そっか。なら行こうか」
そうして、僕たちは校外学習の時と同じ方向へ歩き出す。
彼女は僕の数歩後ろを付かず離れず歩いていた。流石に同級生の男子と並んで歩くのは恥ずかしいよね。僕だって美少女と並ぶのは照れるから、助かる。
それにしても、本来なら琴子に頼んで、民家の裏手にでも座敷童子を呼び出してもらう算段だったのに。こうなったら本当に弥生さんと会うしかあるまい。
実は座敷童子について聞いてみたかったのは本当で。あの民家に居付いて暫く経つだろうし、弥生さんが御先祖様から何かしら聞いている可能性はあるから。
「なんにゃ? デートかにゃ?」
すると突然、頭の上で傍観していた琴子が茶々を入れてくる。
僕にしか聞こえていないとはいえ、そういうことを言わないでほしい。
(琴子。デートじゃないから)
「アツアツだにゃ。ミケはその子にアチチなのにゃ?」
(表現が古い! 違うから、そういうこと言わないの。意識しちゃうでしょ)
「冗談にゃ。けどベッピンさんにゃよ? ツバ付けとくといいにゃ」
(識那さんに失礼でしょ! 止めて!)
こんなの、もしも識那さんに聞こえたら大惨事だ。
聞かれてはいないと知りつつも妙な気まずさを感じ、彼女をチラッと見る。
(……あれ?)
すると、何故か彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
まさか今の会話が聞こえているはずがないし……あれか、同級生の男子と二人きりなのが急に照れ臭くなっちゃったのかな?
そう思い、場の空気を変えようと必死に話題を探す。
「その……識那さんは座敷童子っていると思う?」
「ふえっ⁉ そ、それは……いるんじゃないかなあ?」
「そういうの信じる方なんだ?」
「うん、信じるかな。だって……」
そこまで言って、何故か彼女は言葉に詰まる。
僕が話の続きを待っていると、彼女は目を泳がせながら口を開いた。
「だって、柳谷君も信じてそう……だから?」
「へ? どういうこと?」
「あ! ご、ごめんなさい、変なこと言って。違うの、その方が夢があるかなって思っただけで、その……」
アタフタして顔を赤らめる識那さん、可愛い。
それにしても彼女、どう思うのかな。彼女の好き……かどうか分からないけど、妖怪が実在すると知ったら。しかも、今この瞬間も自分を見ているだなんて。
まあ、知る由もないし、夢にも思わないだろうけど。
「よーし、いい雰囲気なのにゃ。このまま接吻かにゃ?」
(そんなわけあるか! どちらかというと微妙な空気だよ!)
「初々しいのにゃ。ミケ、こう手を繋いで恋人らしさを……」
一方の琴子はこちらの話を聞かず、自分の世界に浸っている。
すると話に夢中になるあまり、琴子はうっかり両手を離してバランスを崩し、僕の頭上から背中側へと落下してしまった。
どこかで見た光景だなと思いつつ、僕は落ちる彼女を受け止めようと……
「えっ?」
「にゃっ?」
「……あっ」
……振り返って琴子を受け止める僕の腕に、同じく琴子を支える腕が重なった。
一瞬、何が起きたのか分からずに混乱する。
だが、この場に僕以外の人間は一人しかいない。
「……」
「……えっと」
どう声を掛けようか迷っている僕と、明らかに「やらかした」という表情の識那さん。そんな二人の沈黙は、琴子の核心を突くひと言で破られた。
「にゃ? にゃにゃにゃにゃ⁉ もしかして、お前さんも見える人間にゃ⁉」
……まさか、彼女にも妖怪が見えていた?