q18「猫又とは」
「大丈夫か、柳谷。顔が赤くなってるぞ?」
「えっ? あ、うん。大丈夫だよ」
顔面でボールを受け止めた僕に、それを投げた生徒が駆け寄って来る。
そのくらいでダメージなんて受けないが、どうやらアイミスがそれっぽく肌に赤みを付けてくれたようだ。今の一瞬でとは実に有能なナビである。
「なんだ、メガネの活躍に対抗でもしたかったか? でも顔面は止めとけ」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……次から気を付けるよ。ビックリさせてごめんね、七曲君」
「それにしてもいつの間に? 投げる前は、動いてたように見えなかったが」
「あはは……タイミング悪かったね。もう気にしないで、教室に戻ろうよ」
「あ? おう、そうだな」
彼に話しかけられたのを好機と見て、僕は逃げるようにその場をあとにした。
だが、猫又の視線が僕を射貫いているのがなんとなく分かる。もう一度目が合ったら確実に「見える人」だとバレてしまうだろう。
(アイミス、どうしよう……)
〖バレても実害がありません。どうしても嫌なら徹底的にスルーすればいいかと〗
(まあ、そうなんだけどさ。嫌な予感がするなァ)
……そして、僕の予感は的中する。
今までグラウンドでしか見かけなかった猫又が突然、教室に現れたのだ。
「たのもーーーーっ、にゃ‼」
季節は初夏。
開け放たれた教室の入り口に、道場破りのような掛け声で猫又が降臨する。
「にゃ!」
「……」
そして、すぐに視線が僕の方に向く。
あかん、これ完全に標的にされてるわ。絶対にそっちを見ないようにしよう。
「みーえーてーるーにーんーげーんーは? どこかにゃ?」
わざとらしくそう言いながら、猫又が教室に入ってくる。
必死に視線を合わせないよう演技するが、猫又は教室の奥にある僕の席へとジリジリ近寄ってくるではないか。
「ウーチーとーあーそーびーたーいーひーとー? この指止まれにゃ!」
そう言って、猫又はダッシュで僕の目の前に到達した。
それでも僕は動じない。平静を装って授業に集中しているよう演じ続けた。
「お前さん、見えてるのにゃ? 見えるにゃよね?」
「……」
「……わっ、なのにゃ‼」
「……」
「くくく、にゃ。この鋭い爪の餌食になりたくにゃかったら、素直に見えてますと認めるのにゃ。ウチに演技なんて通用しないのにゃ」
「……」
「しぶといやつだにゃ。カツ丼、食うかにゃ? ウチは油が舐めたいのにゃ」
「……」
以前の僕なら最初の「わっ」で机ごと引っくり返っていただろうが、今の僕は動じない。色々とツッコミを入れたいが、それも我慢だ。
猫又はさらに、机によじ登ってメンチを切ってくるが、それでも僕は全く動じない。動じないったら動じない。
「うふーん、あはーん、にゃ」
「……」
「ウチのセクシーポーズにも反応しないにゃんて、とんだ玉無しにゃ。仕方ないのにゃ、これはとっておきの……悩殺ダンスにゃ!」
「……」
「もしかして、本当に見えてないのにゃ? これにも反応しないにゃんて」
「……」
さらに僕の目の前でパンッと猫だましを披露するが、それも鋼の精神で耐える。
教壇に立つ先生を見つめるようにし、猫又から視線も意識も外すよう頑張った。
「……にゃんだ。見えないのかにゃ。もしかしてと期待したのに、にゃ」
すると暫くして漸く諦めたのか、猫又が机の上でスッと立ち上がった。腹部のボサボサの毛が僕の視界を完全に塞ぐが、目の焦点は必死に教壇に合わせる。
そのまま寂しそうに俯く姿にはちょっと心が痛んだが、これ以上纏わり付かれても困る。徹底して無視を決め込まねば……って、意外と毛深いのね。
「……残念にゃ」
やがて最後の足掻きと、僕の顔スレスレに足を上げて足裏を向ける。
肉球らしきものが見えて触りたい欲求が湧き上がったが、たとえ槍が降ろうが鉄砲が降ろうが、今の僕は絶対に反応なんてしな――――
「にゃ?」
次の瞬間。
机の上で片足立ちしていた猫又が、バランスを崩して後方に倒れる。
「あっ⁉」
僕は咄嗟に手を伸ばし、猫又の腕を掴んだ。
頭から落ちずに済んだとホッとしたが、我に返ると時すでに遅し。
「……柳谷? 急にどうした?」
「あっ、いえ……その、消ゴムが落ちそうになったので、咄嗟に」
「そうか。それじゃあ授業を続けてもいいかな?」
「すみませんでした。どうぞ続けてください」
ガタンと音を立てて机を揺らした僕に、クラス中の視線が集まっていた。
居心地の悪さを感じつつ、僕は然り気なく猫又を机の上に引っ張り上げる。そして再びバッチリ合った視線を剃らすことをせず、大きな溜め息を吐く。
「……にゃはっ♪」
新しい玩具を見つけたようにニヤリと笑う猫又に、僕は諦めムードで「静かにしててね」と人差し指でジェスチャーし、せめてもの抵抗を見せるのだった。
僕の生活、これからどうなっちゃうんだろう。