q17「妖怪とは」
妖怪が見えるようになり、日常は非日常へと変貌を遂げた。
だが球体のおかげで、今のところ生活に大きな変化は無い。
「光明。今日は学校、どうだった?」
「……非常に凄く普通で平和だったよ。変わったことなんてこれっぽっちも無く普通で、至って普通だったかな」
「お兄ちゃん? 普通を強調し過ぎじゃない?」
「ソ、そんなことないヨ? それより癸姫はどうだったのさ?」
おっと、声が裏返ってしまった。
妹のツッコミに動じるとは僕もまだまだだな。
「あたしは……」
「アブッ⁉」
妹に話を振った直後、僕は奇声をあげてしまう。
何故なら父さんの横から海月みたいな妖怪が飛び出してきたからだ。
「ちょっと、急にどうしたの? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「光明、大丈夫か?」
「だ、大丈夫、大丈夫。さっき見た動画を思い出し笑いしただけ」
「そう? ならいいんだけど……」
母さんに心配されながら、改めて新しい世界にうんざりする。
精神がフラットになるとはいえ、急に驚かされると反応してしまうのは仕方がない。それすら無反応になったら愈々人間じゃなくなるから。
そして憂鬱な時間は部屋に戻ってからも続いた。
「……ここにもいるのかよ」
当然、僕の部屋の中にも複数の妖怪がいた。
しかも、然も当たり前とばかりに僕のベッドで寛いでいたのだ。
(僕が見えると知ったら、余計にヤバいよね? これはスルーした方がいい?)
心の声でアイミスに助言を求める。
すると安定のドSナビから返答があった。
〖むしろ語りかけてみては? ヘイ、ブラザー? オレっちオマエラのこと見えちゃってるんでヨロシク~! はい、りぴーとあふたみー?〗
(いや、言わねーよ? そしたら今後ずーっと付き纏われるよね?)
〖冗談です。妖族は壁などをすり抜けられる個体が多く、そのうち出て行くかと〗
(なんだ、よかったァ)
〖まあ、反対に入っても来るわけですが……〗
(うぉい⁉ 安心できないよ⁉)
そんな不安でいっぱいな新生活は――――それから三日後。
「……慣れるものだね」
〖だから言ったのです。大丈夫だと〗
「うん。これからはもっとアイミスの言うこと、信用する」
あっという間にそんな非日常に慣れ、僕は普通に生活するようになった。
急に目の前を横切るとビックリするが、カーソルが役立って不意を突かれることは少ない。物陰に潜んでいてもカーソルが見えれば事前に察知できるのだ。
妖怪がベッドで寛いでいても動じなくなった。退くまで待つか、もしくは「シーツ曲がってる。直さなきゃ」などと理由を付けて払い退けるようにしたのだ。
最初は怒って襲ってきたらと不安だったが、アイミスが昆虫や小動物に例えただけあって小さな個体はスタコラと退散してくれた。
入浴中に湯舟から浮いてきたのには不意を突かれたが、ノーリアクションを貫いたら暫くして何処かに消えた。
そんな感じで新生活は意外と問題なく過ぎていく。
ただ、ひとつを除いて。
(うわ、今日もいる……)
それは、学校の体育の時間にグラウンドでサッカーの試合をやった時のこと。
「へい、こっちパス!」
「させるかっ!」
「よし、いっけぇーーーー!」
「オーバーヘッドだとっ⁉」
サッカー部の面々が中心となって白熱したプレイをしている最中、僕の目にはとんでもないものが見えていた。
それは普段見えている付喪神や豆狸とは全く違うもので。姿かたちを分かりやすく言うなら、二本の尻尾と猫耳を装着した子どもだろうか。
「パス行ったぞ!」
「にゃにゃにゃにゃっ‼」
「ナイスパス! 上がれーっ!」
「危なかったにゃ。紙一重だにゃ」
端から見たら、高校生に混じって遊んでいるコスプレ幼稚園児だ。その頭上に妖怪であることを示すカーソルさえ無ければ。
それ以前に幼稚園児の動きではない。スポーツ選手もお手上げな機敏さである。
「もう一本、いくのにゃ‼」
誰にも見えないのをいいことに、自由気ままに振舞う妖怪。
アイミス曰く、それは「猫又」という種族らしい。
「柳谷! 次、交代!」
「あっ、はーい」
僕がチームに合流すると、猫又の視線が一瞬だけこっちに向いた。
だが妖怪が見えると思わなかったのか、視線はすぐにボールへと戻る。
「にゃにゃっ!」
そして猫又は再びボールに飛びかかった。
だが、その手がボールに当たることはない。
――――やがてピーッとホイッスルが響き、僕たちは一度休憩に入る。
暫く観察して分かったが、どうやら猫又は縛りプレイを楽しんでいるようだ。
今は草花にじゃれて遊んでいるから、物に触れることができるタイプの妖怪なのだろう。ならどうしてボールに手が当たらないかというと、たぶん条件が「如何にギリギリまでボールに接近できるか」だからだ。
猫又はボールに手を伸ばし、ギリギリ触れるか触れないかのスリルを楽しんでいるように見えた。それにしても宙を飛び交うボールにそんなことができるとは、凄まじい運動神経である。ちょっと分けてほしい。
ともあれ、それは必ずしも成功するとは限らないようで。
「にゃにゃっ⁉」
「サッカー部の七曲のGKを抜いただとっ⁉」
「メガネ! すげーな、ナイスシュート!」
「今、滅茶苦茶な曲がり方したぞ⁉」
「えっ? は、ははは……」
北野君は、僕と同じ陰キャタイプの男の子。通称メガネ君。
そんな彼が出鱈目に蹴ったボールは猫又の手に接触して軌道を変え、サッカー漫画の必殺技みたいになってしまった。
当の本人はポカンとし、サッカー部の面々も唖然としている。そりゃそうだ、凄いカーブじゃなくて手が当たっただけなんだから。
「にゃーーっ⁉ 大失敗にゃっ! 一生の不覚、切腹モノにゃーっ!」
武士のような悔しがり方の猫又だが、一連の流れが見えているのは僕だけ。つまり真相を知るのも僕一人だけなのだ。
誤解のまま彼がMVPになるが、真実を言っても信じる人はいないだろう。
「うう……次こそ頑張るにゃ……」
落ち込んでいるのか、猫又はサッカーのゴール近くで座り込む。
妖怪も落ち込んだり泣いたりするか知らないが、今の状態だとコスプレした幼稚園児と違いが分からない程度には人間っぽい。
初めて見つけた会話できそうな妖怪だから、ちょっと話してみたい気持ちはある。だがそれで憑りつかれでもしたら大変だ。君子危うきに近寄らず。
そう考えていると、猫又の背後から生徒がボールを投げるのが見えた。
その軌道は完全に猫又の後頭部に直撃するコースで。彼が見えない猫又を狙うはずなんてないから、ただの偶然だが。
(危ないっ!)
僕は、咄嗟にボールと猫又の間に割って入る。
そしてボールは見事に僕の顔面で跳ね返った。
「にゃっ⁉」
「柳谷⁉」
背後で急に大きな音がしたからか、猫又が二本の尻尾と全身の毛を逆立てた。
ボールを投げた生徒も飛び出した僕に驚き、心配そうに駆け寄って来る。
そんな中、僕は――――
「あ」
「にゃ」
――――うっかりそちらを見てしまい、猫又とバッチリ目が合う。
そして僕の反応から何かを察したのか、猫又はジーッと僕を見つめていた。
これは……ちょっと、やらかしてしまったかもしれない。