EX-1「誾乃観人の失望」
閑話です。
本編に影響しません。読み飛ばし可。
私は観人。誾乃観人。
ごく普通の20代の女性である。
親戚や近所からは美人だとか才女だとか言ってもらえるけれど、そんな大したものじゃない。名字が凄く珍しい以外は至って普通だと自分では思っている。
子どもの頃から比較的なんでもできたけど、あくまで普通の範囲での話。
天才や神童と言われるような人たちには遠く及ばず、だからといって私自身、そういう才能が欲しいとは思わなかった。そこが普通たる所以なのかもしれない。
そんな普通女子にも春はやってくるもので。
小学生の頃は男子によく悪戯され、友達から「観人ちゃんに気があるんだよ」と教えてもらうことが度々あった。
中学生の頃はラブレターをたまに貰うようになり、友達から「モテるね」と度々茶化されたりした。
高校生の頃は面と向かって告白されることが多くなったが、とある事件があってから男性と目を合わせるのすら怖くなって、男性とは極力二人きりにならないようにした。友達も事情を知っていて協力してくれたので、その事件以外は平和な三年間だったと思う。
短大生の頃は……女子だけの学校で、春とはかけ離れた生活だったと思う。まあ何度か告白はされたけど、相手が男性じゃないから別にいい。
そして今、私は社会人。正直、社会に慣れるので精一杯で春どころではない。
逆にそれを理由に断りやすいわけだが、幸いにも私のモテ期は遠退いたまま。
きっと社会には有能で素敵な女性がたくさんいて、私みたいな普通の女性では見向きもされないのだろう。私としては願ったり叶ったり。
そんな私だが、男性全てが駄目というわけではない。
父はもちろん、親戚など一部の男性となら普通に話せる。親戚でも苦手なタイプの男性はどうしてもいるが、そこは向こうも事情を察してくれるので問題無い。
そして家族や親戚以外でも私が普通に話せるのが、ご近所さんたちだ。
特に数軒先の柳谷家とは昔から親しくしていて、現在高校生の男の子とは所謂幼馴染のようなもの。とは言っても六歳離れているから微妙な距離感ではあるが。
ちなみに小学生の女の子もいるけれど、その子とは十歳以上離れているから面識自体があまり無い。玄関先で会ったら挨拶する程度である。
話は戻るが、その男の子の名前は柳谷光明という。
彼と初めて会ったのは彼が一歳くらいの頃。私が小学生になったばかりの頃だ。
彼が初めて外歩きをするというので、私で経験済みなうちの母が付き添うことになったのだ。何故か私も母に同行して参加したのを覚えている。
彼は初めて歩く外の世界に戸惑い、ちょっとしたことに驚いては母親の足にしがみ付いていた。その姿がとても可愛くて、私はメロメロになった。
その日から私は彼に夢中になり、か弱い彼を守りたいと思うようになった。将来、彼と結婚して守ってあげると密かに決心した。
幼馴染になった私と彼は、歳が離れていても学校以外で一緒に遊ぶ仲に。
周囲は彼を弟代わり、微笑ましいと見たが、私は彼を弟とは思えなかった。
私にとって彼は未来のパートナー。私の中で確定した未来の旦那様で、私がずっと守るべき相手だったのだ。
けれど残酷なことに、私と彼の歳の差は六つ。その差はあまりに大き過ぎた。
私が中学生になる頃、ようやく彼が小学校に入学する。私が中学を卒業しても彼はまだ小学生。私が高校を卒業する頃になって、ようやく彼が中学一年生だ。
学校の外で一緒に遊んではいたけれど、それも年々減っていった。彼も段々と私より学校の友達と遊ぶことが当たり前になった。
私と彼との障害はそれだけじゃなかった。高校一年の頃に、私は恋愛観を左右される出来事に遭ってしまう。
それまで、私は彼をずっと守ろうと本気で思い込んでいた。だから男子から何度告白されても「心に決めた人がいるから」と断っていた。
小学校で男子に悪戯された頃は別として。中学校でラブレターを貰っても、高校で告白されても、その全てを断っていた。私は一途だったのだ。
しかし高校二年のとある日、何を勘違いしたのか自称サッカー部エースの先輩が「付き合ってもいいぜ」と言ってきた。どうやら私が心に決めた人というのが自分だと思ったみたい。私は先輩と出会うずっと前、中学生の頃から言っているのに。
先輩が言うには、部活の勧誘会で私がジッと見つめていた、一目惚れなんだろうと。私が見ていたのは多分、先輩の背後にあった文化部の勧誘の看板なのに。
その先輩はかなり強引でしつこく、断っても話を聞いてくれなかった。それどころか段々とヒートアップして乱暴なこともするようになり、痣や傷を生む事態も。
最終的に部活の先輩や先生たちが間に入ってくれて解決したのだが、その事件は私の心に大きな傷を残すことになった。暫くは男性が怖くて仕方なかったし、時には学校に行けない日もあったくらいで。
その時から、私の恋愛観は一変してしまった。
ずっと「彼」を好きだと思っていたけど、結局は弟代わりでしかなったのかもしれない。何故なら私の中で譲れない条件に「私を守ってくれる人」が加わった瞬間、彼はあっさり候補から外れてしまったから。
彼は私が守るべき男の子。私の大切な幼馴染。だけど私を守ってくれる人からは程遠く、やっぱり弟代わりの近所の男の子でしかないようで。
きっと彼に対する気持ちは姉のそれ、家族愛に近いもの。そうでないなら一種の保護欲だったのだろう。それを恋心と勘違いしてしまったのだ。
この先、私にも再び春が来るのかもしれない。長い人生だ、きっと来るはず。
けれど、二度目の恋は――――いや、本当の初恋は未だ兆しすら見えていない。
白馬の王子様……なーんて、夢見る少女みたいなことは言わないけれど。こんな私にもいつか運命の出会いがあると信じている。きっといつかは。
そんなことを考えると、つい彼の顔が浮かんでしまう。私の大切な幼馴染で、弟代わりの彼の顔が。
その瞬間、私の脳裏にはいつも幻想が浮かぶ。
もしも彼が私を守ってくれたなら、百点満点のお相手なのにな……と。
「おはよう。光明くん」
「あっ、おはようございます。観人さん」
「これから学校?」
自宅の玄関を出たところで、彼と遭遇する。
彼とは今もこうして挨拶を交わすし、大事な幼馴染であることに変わりない。でも今の彼はもう、未来の旦那様ではなくなった。
「あ、はい。えっと……観人さんは仕事ですか?」
「そうなのよ。お互い大変だね? 頑張りましょ」
「そうですね。き、気を付けて。いってらっしゃい」
「ありがとう。光明くんもね」
彼は凄く優しい。穏やかで可愛らしい。
けれど、とてもじゃないが私を守ってくれるようには見えない。
……だから私の運命の相手は彼じゃない。彼じゃないのだ。
そう自分に言い聞かせ、私は今日も会社へと向かう。
彼とは反対の方向に進み、私の人生を歩まなければならない。
私は観人。誾乃観人。
ごく普通の20代の女性である。
観人さんのエピソードは、いずれまた。