q145「正体とは」
「……いい加減に、しるぉおおおおっ‼」
突如響いた怒号。
開け放たれたドアを起点に、大気が揺れた。
和気藹々と過ごしていた妖怪組やUMAたちが、みな等しく石化する。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った部屋の中。
氷点下の屋外のように息苦しく、動きづらい。
僕の目に映っている元凶の人物は――――
「あ~ん~た~らぁ! どんどん調子に乗りやがって!」
――――妹の癸姫だった。
だがしかし、僕の知っている癸姫とは決定的に何かが違う。
というか、小学生の女子が怒鳴っただけ……にしては、この息苦しさは流石におかしいと思う。ちょっと寒気さえ感じる。
「……あんたら?」
以前の僕なら、この異常事態が如何に異常か気付くことなく「癸姫、どうしたの? 何をそんなに怒っているの? 僕、何かした?」なんてオドオドと質問していたかもしれない。
だが、球体のおかげでフラットになった僕の頭は、現状の異常さにすぐさま気付くことができた。もちろん小学生が異様な圧力を放っていることも充分おかしいのだが、それよりもっと気になることがあった。
――――そう、癸姫が「あんたら」なんて表現をするのは明らかに変なのだ。
何故なら、この場に人間は僕しかいないのだから。
「き、癸姫? あんたらって……」
「そ! こ! の! 大勢いる、そいつらのこと‼」
確信した。
癸姫には妖怪たちが見えている。
……だが、ちょっと待ってほしい。
いったい癸姫は、いつから見えていたんだ?
前に癸姫の前を琴子たちが通った時も、彼女は見えていないようだった。
僕の部屋に癸姫が訪ねて来た時だって、室内の妖怪たちには一切反応していなかった……そのはずだ。
だとすれば可能性は三つ。
一つ目は、癸姫が見えていないフリをしていた。
二つ目は、今日になって突然見えるようになった。
三つめは――――考えたくないけれど、これが最も可能性が高い気がする。僕はそれを探るため、癸姫に問いかけた。
「お前、さては癸姫じゃないな?」
「アホなん? 正真正銘、あなたの妹の癸姫です」
……違ったみたいだ。
もし癸姫に化けた妖怪とかなら、妖怪ゆえに妖怪が見えても不思議ではない。この線が濃厚かと思ったのだが、勘が外れたな。
「えっと、癸姫だとしたら……妖怪、急に見えるようになった?」
「前ッから、見えて見えて仕方なかったね」
……僕の勘、どうやら当てにならないらしい。
まさか三択を二回連続で間違えるとは。
「つーかさ? 人が大人しくしてりゃあ、調子に乗りやがって。一体二体ならともかく、次から次へと居候してギャーギャーギャーギャー、毎日毎日毎日毎日、好き放題に騒ぎやがって……」
「ちょ、ちょっと待って⁉ 癸姫、キャラ変わりすぎじゃない? そんな乱暴な口調……ほ、本当に癸姫本人なの?」
「そうだよ。死ぬまで我慢して黙っとこうと思ってたけど、UMAだかなんだか知らないが、さらに三体も増えるとなっちゃあ流石に我慢の限界ってもんよ。ウチの可愛い光明ちゃんの優しさに付け込みやがって……」
「ちょっと待って⁉ 光明ちゃんって何⁉」
まるで悪い夢でも見ているようだ。
妹の言っている意味が微妙に分からないし、普段の癸姫とは別人みたいだし、極めつけは僕のことを「光明ちゃん」だって?
そもそも改造人間になった僕が動きにくさを感じるほどのプレッシャーって、いったいどういうことなんだ?
大妖どころか神妖相手でも平気だったというのに、何故小学生の癸姫がそんなものを放っているんだ?
「癸姫、いったいどうしちゃったんだよ? 何がどう……」
「おい、何事だ⁉」
「ちょっと⁉ 姫、まさか貴女……」
するとそこに、階下にいたはずの両親が飛び込んで来た。
癸姫のことで混乱していた僕は、両親の登場で少し安堵する。これでひとまずは、この状況も落ち着くかもしれない。
……だが、そんな僕の期待は呆気なく裏切られることになる。
何故なら、現れた両親が突然、癸姫に向かって跪いたからだ。
「姫。理由は分からないが、どうか怒りを鎮めてくだされ」
「今ならまだ間に合うわ。光明の記憶を消して、無かったことにできますから。そうでしょう?」
母さんの言葉に、耳を疑った。今、僕の記憶を消すとか言った?
二人の行動と言葉に、僕の困惑は一層増すばかりだ。
そもそも、なんで親である二人が子である癸姫に対して、跪いたり丁寧な言葉を使ったりしているんだ?
ふざけているようにも見えないし、一体全体なにが起こっているの?
「……いや、いい。どっちみち我慢の限界だったのだ。ここで全てを無かったことにしたとしても、いずれまた同じことが起きよう」
「し、しかし……それでは十数年もの努力が水の泡と……」
「構いません。ここらが潮時なのでしょう。非常に残念ではありますが、計画は第二フェイズに移行させます」
「第二、フェイズ……?」
僕の呟きに反応し、癸姫の視線がこちらを向く。
そして未だ戸惑っている僕に向かって、癸姫がスッと掌を向けた。
「……さあ、今は一度、眠りなさい。あたしの可愛い光明ちゃん」
「えっ?」
そうして向けられた掌が、仄かな輝きを放つ。
そして、僕は――――