q107「初デートとは」
「おはよう、識那さん」
「おおおおお、おはははよう、み、光明君」
「まずは落ち着いて、識那さん。これから死地に赴くわけじゃないんだから」
十二月二十四日の昼近く。
冬休みが始まって間もない頃、僕は識那さんと初デートの日を迎えていた。
今日はクリスマスイブだ。聖なる日……とかは正直よく分からないけど、とてもハッピーな日だというのは分かる。
「それじゃあ行こうか。楽しい一日にしようよ」
「……うん」
そう言いつつ、僕は心の声でアイミスに「何かあったら助けてね」と伝えた。
情けない気もするが、折角の初デートなのだし素晴らしいものにしたいからね。
「それでさ、最初は水族館なんてどうかな?」
「わあ、いいねぇ。うん、いいと思う」
「よかった。断られたら、どうしようかと……」
「そんな、断ったりしないよ。わたしなんて頭が真っ白で、なに着て行けばいいかとか待ち合わせに遅れないかとか、そんなのばっかり考えちゃって」
識那さんの言葉で、僕は漸く彼女の服装に目を向けた。
そういえばデートでは、まず女性の服装や髪型を褒めるべきだと聞いたことがある気がする。妖怪談義ですっかり慣れていたけど、美少女の私服姿を褒めないとは巨大な失態である。
「そういえば、今日は一段と可愛いね。その服も識那さんによく似合ってるし、纏めた髪も似合ってて可愛いよ」
「ふぇっ⁉ あ、あ、ありがとごじゃいましゅ……」
おっと、彼女の場合は褒め過ぎにも注意しないと。限界突破で気絶させたりしたら、折角のデートが秒で終わってしまう。
それより今は「そういえば」が要らなかったかもとか、ひと言ひと言が気にかかる。識那さんはそう難しいことは言わないだろうけど、女心と秋の空とも言うし、よーく考えて発言するようにしよう。
「……光明君、ズルい。わたしばっかりテンパってて、光明君は余裕でデートプラン考えてきてたり、手慣れた感じで褒めてくれたり。本当はいのりちゃんとかとデートした経験あったりしない?」
「そんなわけないでしょ。改造人間になってなかったら、たぶん識那さんよりテンパってたと思うよ。それ以前に識那さんと友達にすらなれてなかったかも」
「ふーん、凄いんだね? それって、どんな感じなの?」
「なんか、ザワザワしたりドキドキしたりがスーッと平常心に戻される感じ? これが無かったら識那さんみたいな美少女とマトモに話せなかったよ」
「またそんなこと言って。実はいのりちゃんと黒大角豆さんも口説いて……」
「しないって。遠野さんには揶揄われてばかりだし、黒大角豆さんとは真面目な話ばかりだし。強いて言うなら光理と散歩はするけど、保護者以上のナニモノでもないからなァ……」
何やら識那さんから疑惑の目を向けられているが、やはり女心と秋の空なのか。あまり冷静すぎて初々しさに欠けるのも考えものみたいだ。
というか、初デートの初っ端から他の女性の話ばかりってどうなんだろうと思ったけど、識那さんから話を振られたし、いいのか?
こういう場合の会話って本当に難しいなと思いつつ、そうして僕は水族館に向かうため、彼女と一緒に最寄りの駅へと歩くのだった。
緊張で無言になるよりいいけど、この後は大丈夫かなァ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「わあ、凄い人だね」
「……そうだね。計算外だったよ」
デートプラン最初の目的地である水族館。
そこに到着した僕たちが目にしたのは、溢れ返る大勢の人々であった。
考えてみれば、今日はクリスマスイブなのだ。
水族館なんて格好のデートスポットではないか。しかも、親子連れやその他の客だって来るとなれば、かなりの混雑が予想されよう。実際、この通りである。
「失敗したかも。どうしようか、他に行く?」
「え? 折角ここまで来たんだし、入ろうよ」
「そう? 識那さんがいいなら、そうしようか」
「うん。わたし、イルカが見たいな」
乗り気な識那さんにリードされ、僕たちは入場の列に並ぶ。
いくら改造人間とはいえ、根が小心者な僕は水族館のワクワクより「今の受け答えとか大丈夫だったかな」と心ここに在らずだ。デートなのに失敗とか言っちゃ駄目だったか?
「ねえねえ、光明君はここ、よく来るの?」
「僕? えっと……中学三年の夏頃、家族で来たかな? 識那さんは?」
「わたしは前に、いのりちゃんと来たよ。夏休みの前くらいかな」
「へぇ、本当に仲良しだね。けど、遠野さんはどういう目線で水槽を見てたんだろう? 水辺の仲間? それとも「わたしの方が早く泳げるし!」とか?」
「フフッ。そんなこと言っちゃ駄目だよ、光明君」
「あ、識那さん笑ったね? あとで遠野さんに告げ口してあげる」
「もう、意地悪! そんなことしたら、わたしも告げ口するからね?」
遠野さんのおかげで、僕たちは漸くいつもの空気を取り戻す。
ネタにした彼女には申し訳ないが、やっといつもの僕らに戻れた気がするよ。
そうして楽しく会話をしていると、あっという間に入場の順番がやって来た。
思ってたより早かったなと感じつつ、僕は受付のお姉さんに二人分の料金を払って水族館の中へ歩を進める。
「……受付のお姉さん、美人だったね」
「え、そう? ずっと識那さんを見てたから、特別そうとは感じなかったかな」
「そ、そうですか……ありがとうございましゅ……」
〖罠の回避に成功しました〗
(は? なに?)
アイミスから謎通知があったけど、水族館の通路に罠なんてあるの?
それはともかく、順路の一番最初に置いてあったパンフレットに目を通しながら、僕たちは真っ暗な通路を進んで行く。
そうして最初に目に入ったのは、この水族館の目玉でもある巨大水槽だ。
近海の魚を展示しているらしく、そこでは色とりどりの海水魚が右に左に泳ぎ回っている。気分は竜宮城である。
「わあ、凄いねぇ。久々に見たけど、大迫力だァ」
「本当だね。あっ、おっきな鱏がいるよ」
「本当だね。あっ、その向こうから海亀が来たよ」
「本当だね。あっ、奥からもう一匹……クスクス」
「アハハ」
感動のあまりワンパターンになった会話に、僕と識那さんが同時に吹き出した。
目の前の光景に夢中になるあまり、オウム返しみたいになってたや。
けれど、それがおかしくてテンションが上がった僕らは、初デートでも気まずさや緊張を感じることなく楽しい時間を過ごせていた。
初デートだからと妙に気取った場所だったらこうはならなかった気がするし、水族館にして正解だったかも。ちょうどいい暗さもいいね。
「次、ペンギンだってさ。琴子みたいなのがたくさんいるね」
「フフッ、本当だね」
「あの子、鈴子っぽくない? ワシは少し泳いでくるのじゃ~とか言いそう」
「アハハ、それっぽーい。顔つきも似てる気がするね」
ヨチヨチと歩くペンギンたちを見て、そんな冗談を口にする。
本人たちがいたら怒られそうだけど、今日は正真正銘二人きりだから心配ない。
「ここからは海月かァ。すごく綺麗だね」
「わあ……幻想的」
「海月って不思議だね。こんな透明な体で、どうやって生きてるんだろう」
「本当にね。けど、フワフワ舞ってて綺麗……」
それを言ったら僕が最も不思議生物なんだけどね。逆に海月に「お前、どうなってるの?」とツッコミを入れられそうである。
そんなセルフ弄りを済ませると、僕は隣でウットリしている識那さんに目を向けた。美しい海月を眺めている彼女こそが一番綺麗だなと思ったけれど、それを口にすると今の空気に水を差しそうだから言わないでおこう……なんてね。
〖ミケ、こちらの施設には食堂もあるようです。その海月を数匹捕まえて、持って行くことを推奨します〗
(なんでだよ。この雰囲気で急に海月を捕獲したら全部ぶち壊しだし、そもそも海月は食べられないでしょ? 急に何言ってるの?)
〖いえ、少々鳥肌が立ったもので〗
(……勘が鋭いのは結構だけど、今日くらいは邪魔しないでよね。というか、ナビゲーションシステムって鳥肌が立つものなの?)
そうして水を差されたものの、僕は気を取り直して先へ進むのだった。
光理の下ネタにも困りものだけど、アイミスの予測不能な冗談もやれやれだね。
助けてくれとは頼んだけど、茶々を入れろと言った覚えはないんだけどなァ。