q105「山登りとは」
冬休みが始まってすぐ。
僕は快晴の空の下を、帽子モードの光理とともに歩いていた。
「パパ、早く早くぅ、なの!」
「はいはい」
今日の目的地は、最寄りの神社がある山の山頂である。
なお、かなり歩くと伝えたところ、琴子たちは揃いも揃って自宅警備を希望した。なんて薄情な人外たちだろうか。
「パパ、とっても大きいの! そそり立ってるの!」
「そうだね、山がね。誰もいないけど、一応言い方には気を付けてね」
琴子たちが薄情というのは冗談だけど、誰か一緒に来てくれてもよかったのに。
光理と二人きりで山登りだなんて、間が持つか心配だよ。
「パパ、イッてもイッても終わらないの! ぼく、ヘトヘトになっちゃうの!」
「たった今、言い方に気を付けろって言ったばかりだよね? 進んでも進んでも登山道の終わりが見えないって言い……」
「パパ! ぼく、突かれすぎて壊れちゃいそうなの!」
「せめてツッコミを最後まで聞いて⁉ あと、「突かれた」じゃなく疲れただよね? 明らかにニュアンスが下ネタだったよ?」
「パパ、絶好調なの! ぼく、とっても楽しいの!」
「ハァ、それはよかったねぇ。まったくもう……」
間が持たないというか、ツッコミが追い付かないというか。
光理が本当に楽しそうだから、別にいいんだけどさ。
そもそもどうして冬場に登山道なんかに来ているかというと、光理が唐突に我儘を言い始めたせいである。
最近は小学校低学年くらいに成長したから、自由に動く肉体にテンションが上がっているらしい。それで急に「ハイキングしてみたい」と言い出したのだ。
最早、妖怪件というより普通の小学生、子どもそのものだわ。
「光理、あんまり急ぐと転んじゃうよ?」
「パパ、今の台詞は本当に父親って感じだったの! 板についてきたの!」
「ハハハ、子どもを作った覚えが無いんだけどね」
「それなら識那に頼めばいいの! 僕の子を産んでくれって言うの!」
「言えるわけないでしょ? 識那さん、また卒倒しちゃうよ」
皮肉を言ったつもりだったのだが、今の僕には識那さんという恋人がいるから、話が広がってしまった。迂闊。
恋人同士なんだから、いずれはそうなる可能性もあるのだろうけど。流石に付き合ってまだマトモなデートもしてないうちから考えることじゃないよな。
そもそも僕って赤ちゃん作れるのかと思い、アイミスに聞いてみたところ「相手の卵子にもよりますが、超人から凡人まで自由自在です」と説明された。
卵子とか生々しいのはともかく、宇宙パワーで遺伝子操作も真っ青なベビーが生まれそうである。欲しかった返答は「赤ちゃんできます」だけでよかったのに。
「パパ、早くイクの! まだまだ先は長いの!」
「はいはい。休憩はしなくていいのかい?」
「まだ休憩する時間じゃないの! ぼくは先にイかせてもらうの!」
「どこかで聞いたような台詞だなァ……まあなんだ、頑張れェ」
本物の小学生のようにバタバタと駆ける光理を眺め、僕は昔の癸姫を思い出す。
そういえば癸姫が幼稚園児の頃も、こうやって山登りに来たっけ。確か癸姫は元気いっぱいだったけど、僕が先に音を上げて父さんに背負われたんだっけ。山頂までは行けなかったような気がする。
そう考えると、今の僕らは凄いことになっているな。
僕は改造人間だし、光理は仮初の肉体だから平気なんだけど、普通は高校生と小学生が山頂まで登るなんてかなり異質なことなんじゃなかろうか。
そういえば小学生の兄より逞しかった幼稚園児の癸姫もおかしかった気がするけど、あれは当時の僕がひ弱すぎたのかな?
「パパ! 遅いの!」
そんなことを考えてボーッとしていると、光理が檄を飛ばしてきた。
疲れ知らずの光理にとって今日の山登りは、全力で体を動かせるチャンスだもんね。普段は眼鏡やぬいぐるみ姿で窮屈な思いをさせてるからなァ。
「よーし、それじゃあ競争しようか?」
「ぼく、頑張るの! パパには負けないの!」
「ハハハ、ズルは無しだよ」
「パパこそ、本来のスペックじゃないと駄目なの! パワーアップしたら反則で、識那と一時間ハグの刑なの!」
「……それは本気で負けられないね。識那さんが融けて蒸発して空に消えちゃいそうだし、僕も一時間は流石に……」
「よーいドンなの‼」
「あ、ズルいぞ⁉ フライングだァ!」
そうして山登りを楽しむ僕と光理。
山頂まではかなりの距離なのだが、疲れを知らないコンビにはあっという間だ。
ちなみに競争はギリギリで僕が勝ち、識那さんの危機は去った。
一時間じゃなく十秒くらいだったらワザと負ける可能性もあったが、それは言わないでおこう。十秒だと罰ゲームじゃなく普通のご褒美だし。
「ハァ、ハァ。疲れたァ……」
「パパ、だらしないの! もっと体力付けなきゃ駄目なの!」
「ひ、光理が本来の僕でって言ったんでしょ……ふぅ、疲労回復っと」
「あ⁉ ズルしたから、罰として光理とチューするの!」
「……そこまで言うなら、光理にもここまでの疲労感を再現してあげよ……」
「さーて、今度は山下りなの! パパ、さっさとイクの! ゴーなの!」
漸く山頂に着いたと思ったら、光理は風情を感じる間も無く山を下り始める。
達成感より、光理はとにかく体を動かしたいのだろう。だからって飛ばしすぎな気はするし、小学校低学年の女の子が大人でも苦労する山を山頂までノンストップで往復しているなんて、傍から見たら異常である。
それを言ったら真冬の登山をする高校生と小学生のコンビが既に異常なんだけどね。おかげで誰もいなくて快適だわ。
だが、光理はそんなことは気にせずガンガン行こうぜの精神で突き進む。
まあ、肉体を得た件が夢だった成長を体験できたのだ。そりゃあテンションだって上がるよね。気が済むまで付き合うとするか。
「パパ、遅すぎなの! ぼく、先にイっちゃうの!」
「光理、分かってると思うけど、神社の近くでそんなこと大声では……」
「もう我慢できないの! ぼく、先にイクの‼」
「話を聞いてくれない⁉ あと、下りで転んだら大変だから落ち着いて!」
そうして僕は、冬休みの始まりを慌ただしく過ごすのであった。
光理の我儘に付き合うのもひと苦労だよ、まったくもう。