7話 逃走
信じられる人間なんてこの世にいないのか?
ほんの少しでも信じたらそれは罪なのか?
ダチだと言ったあの言葉はなんだったんだ。
俺はどこまで恥を晒せばいいんだ。
少しでも歩み寄ろうとした結果がこれだとしたら、あまりにも酷だ。
ふざけるなよ。
馬鹿にしやがって、腹が立つ。
今まで俺に対して喋りかけてきたのは、心の底で嘲笑う為なのか?
その為に近づいて来たのかよ。
探すのを手伝ってくれたのも、俺を利用していただけなのかよ。
「……おい、宇都見。そんなんでくたばんねぇよなぁ……?」
はらわたが煮えくり返る感覚が体中に伝播する。
アドレナリンって奴が、脳の髄まで染み込んでくる。
自然と拳も震えてきやがる。
「この嘘吐き野郎が……! 大人数で、武器持ち込んで、無抵抗の女を撃ちやがって……! 底辺野郎がよぉ……!」
まだどてっ腹に一発食らわしただけだ。
こいつも同じ力を持ってるんなら、くたばる訳がない。
そして、こいつは銃を持っている。
だから、近づいてまたぶん殴る。
意識がなくなるまでぶん殴る。
「いたたた……なんで、そんなに怒るんだ?」
「……馬鹿だとは思ってたがよ、そこまで脳味噌が腐ってるとはな。言わなきゃ分かんねぇか」
「ああ、馬鹿だから分からないな……ははは」
ぶっ飛ばして、塀に思い切りぶつかったってのに、ピンピンしていやがる。
何事も無かったかの様に膝のほこりを払う仕草は、俺を更に苛立たせる。
この野郎は今までの奴と違う。
明らかに違う何かがある。
「風間……お前とやり合う予定は無かったんだが、伊吹ちゃんのボディーガードをするんなら話は別だ。死んでも文句は言えないぜ」
「やってみろよボケ野郎……!」
「なら遠慮なく」
近づくより先に、宇都見はどこからか取り出した銃を構える。
見た目はピストル、銃には詳しくないが、警察とかが持ってる奴と同じ奴に見える。
でもって、間近で向けられると思わずたじろぎそうになる。
本物を向けられた事なんて、今の今まで一度も無いのだから。
しかしビビるな。
俺の力で受け止める。
これは言わば外装みたいなものだ。
纏えば鉄だろうがぶっ壊せるし、鉛玉くらいなら弾いてくれる筈。
「来やがれ……!」
さっき聞いた音と同じ音。
乾いた発砲音が鳴り響くと共に、両手に力を凝縮させる。
大丈夫だ。
俺なら出来る。
この手で捉えられる。
そして、これと同時に、視力に限界までリソースを割けば、見えない事は無い。
「……甘いぜ風間」
「……!」
宇都見の不穏な言葉の直後、まっすぐに飛んでいた筈の弾道が切り替わる。
俺の両手を避ける様に、目の前で二回曲がって再びこちらへ先端を向ける。
完全に不意を突かれた。
逃れる術なんて無かった。
この弾は絶対に俺に当たってしまう。
だが、当たるなら、その部位に力を込める。
目では追えてるんだ。
場所なら把握出来る。
「ぐっ……!」
目で追った銃弾は、右の鎖骨にクリーンヒットした。
場所が分かったから、例の力で防御した。
けど、瞬間的に防御なんて出来る訳が無かった。
何年もかけて作られた城じゃない、即席で作った簡易的なハリボテ。
これはそういう事だ。
準備するには時間が数秒足りなかった。
信じられない程の激痛だ。
今までの人生で一度も達した事の無い痛み。
頭がおかしくなりそうだ。
体中の全神経が右肩の痛覚を伝達して来やがる。
どうも人間の脳味噌はちゃんとしすぎだ。
こんな痛み、わざわざ俺に伝えるなよ……!
「おー……おー……おーおーおー! 手じゃなくて肩にぶち当たったのに、なんで立てるんだよ!? 痛みのショックで立ってらんない筈なのによぉ!?」
「けっ……こんなん、蚊に刺されたくらいだぜ……!」
完璧な防御とは言えない。
発狂しそうなくらいに傷は痛む。
でも、まだ立つ事は出来ている。
ハリボテの防御とは言え、少しは和らげられたみたいだ。
だったら勝機はあるだろ。
なんか知らないが、宇都見の野郎はビビってる風だ。
「おーおーおー! マジにこのままじゃ俺は殺されちゃうなぁ! だったらまだまだ撃ち込むしかないなぁ! 腕、足、頭、首、脇腹にこめかみに心臓に! それでも立ち上がったらどうしようかな! あははははは」
いーや、俺の勘違いだった。
猿芝居見せやがって、相変わらずふざけた野郎だ。
まだまだ撃ち込むだと?
もう一発でも撃たれたらキツい。
それに、なんで銃弾が曲がったんだ?
まだその謎が分からない。
それとも、こいつは俺の知らない力、そういうものを持っているって言うのか?
銃弾を曲げてしまう、最早魔法の様な、俺じゃ太刀打ち出来ない様な力を。
とにかく、このまま正面から向かってもただ犬死にするだけだ。
避けられる訳も無いし、受け止めようと思っても弾は曲がる。
だからと言って、どうやって逃げる?
背中を見せた瞬間に蜂の巣にされてアウトだ。
命乞いなんざ、死んでもしたくない。
既に死にそうだが。
しかし他に手は思いつかない。
どうする?
どうする?
どうする?
どうする?
ダメだ。
思考が完全にパンクした。
これはどう足掻いても……詰……み……
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
けたたましい雄叫びと共に、上空から鋭いニーキックが炸裂する。
「へ?」
それはまるでリング際のプロレスラーの様に。
そして、宇都見の首をへし折らんとする勢いで突き刺さった。
そのいきなりの状況を全く飲み込めず、空にヒラヒラと舞うスカートをただ眺めているだけだった。
「ぐぉあ! い、いってー!」
「これでも食らえ!」
そこにすかさず、ポケットから取り出した砂の塊を、まばたきする宇都見の眼球目がけて投げつけた。
最早やり口は完全に悪役にしか見えない。
しのごの言ってられないが……!
「うぅっ! もしかして、伊吹ちゃんかぁ!? 酷い事するもんだな……!」
「風間……! こ、こっち……!」
颯爽と現れた伊吹はそのまま俺の手を引く。
「え、お、おい……!」
「逃げなきゃ死ぬでしょ!? どう考えても!!」
「おいおい! 俺を置いてくつもりか〜? 寂しいねぇ!」
宇都見がこちらへ銃口を向ける。
「や、やべぇぞ!」
「大丈夫……! 見えてなきゃ当たらない! 筈!」
「そうは言っても……!」
銃を向けられてまともになんかいられるか……!
二発目。
再びその銃身から超高速の一撃が放たれる。
今回は受け止めるよりも逃げるのが先決だ。
第一、また防げないかもしれない。
だから逃げる。
だが、この銃弾の直線上、射線から逃れるには、急いでこの雑木林のある曲がり角を曲がらなくてはいけない。
「う、うおぉぉぉぉぉ!!!」
背中のすぐ側を高速な何かが横切った。
まるでワイシャツを滑る様に、コンマ数センチと言う近さで。
マジに紙一重、マジにラッキーだ。
今度こそ死ぬかと思った。
「風間……!?」
「当たってねぇ! そんな事よりも早く逃げっぞ!」
なんとか避けられた。
角も曲がれた。
この後はただ、突っ走るだけだ。
家路をひたすらに目指して、こんな狂った日常からおさらばするんだ。
明日、明後日、これからがどうなるかは分からないが、今この瞬間だけは生き延びる事だけ考えろ。
走ればそれが叶うんだ。
そうさ。
ただ、後はただ突っ走るだけ。
走る、走る、走る。
逃げる、逃げる、逃げる。
あの狂気じみた悪魔から逃げ果せるだけで。
たったそれだけで……
「あぁ、ダメ……」
俺の手を引いていた伊吹の手が自然と離れる。
「伊吹?」
気がつけば、俺の視界の下。
追われてる途中だと言うのに、そのまま膝を突いてしまった。
「嘘……動けなく、なっちゃった……」
「お前……!」
かすり傷、そう言う風に言っていた。
しかしそれは取り繕う為の朝だった。
よくよく見れば、伊吹は足にも銃弾を受けていた。
右足の足首辺り、ソックスの裏から血が滲んでいた。
こっちも直撃こそしてないんだろうが、肉を掠め取るくらいの傷を負っている風に見える。
余計な心配をさせない為にこっちの傷は黙っていやがった。
今までよくこれで走っていたな、と感心する。
こんな怪我で良くあんな膝蹴りを繰り出せたもんだ。
「もう最悪……! なんでこんな目に……! クソッ! クソッ!」
目の前の女はひたすらに怒る。
理不尽な状況に。
理不尽な現実に。
理不尽な運命に。
その気持ちはこの肩の激痛よりも痛いくらいに分かる。
俺も怒っている。
コイツが死ななきゃいけない理由なんて一つも無い。
だのに、ここまで来て結局ダメでした、なんて事は許せない。
「ふざけんな! ふざけんな! アタシが何をした!? アタシが誰かを傷つけた!? アタシが! アタシが! 何を……!」
伊吹の足は動かなくなった。
そりゃあそうだ、撃たれたら誰だってそうなる。
俺みたいな人間もどきじゃ無いんだ。
後ろからは宇都見が追って来ているに違いない。
このままこうしてたら、追いつかれて殺される。
だからと言って、囮にしたり、時間稼ぎに使うのか?
見捨てるのが賢い選択だってのか?
自分の命を守る為なら、他人は死んでも良いってのか?
「……ありえないな」
「ちょ……! 風間!?」
「静かにしてろよ。傷が開くぞ」
元々、コイツを助ける為にここまで来たんだ。
そんな選択肢、ハナから存在しない。
抱き抱える様な形で伊吹を持ち上げる。
お姫様抱っこは流石に恥ずかしいが、誰かに見られてる訳でも無いし、今はそんな事言ってる場合でも無い。
「なんでここまですんの……?」
「……いいから、少しくらいカッコつけさせろよ」
体は相も変わらず痛みに蝕まれてる。
でもまだ走れる。
あの力のお陰もあるだろうが、不思議と死なずにいる。
そして、ここにいるコイツのお陰もある。
なんでここまでするのか?
その答えはもう出てるだろ。
伊吹だってさっき、逃げればいいのに、わざわざ助けに来ただろ?
なんだかんだ見殺しには出来ないよな。
あの時助けに来てくれたのは確かに嬉しかったさ。
だけど、やっぱり、俺達は賢くなれそうにないな。
自分より他人を優先しちまう馬鹿のままだ。