6話 灯台もと暗し
異様。
辺りから全く音がしない。
人の気配は一切無し。
ここはなんだ?
本当に俺が今まで歩いていた道なのか?
帰り道はよくここら辺を通るんだ。
こんなに静かな事は今までに無い。
宇都見は大丈夫なのか?
やっぱり二手に別れたのは失敗だったかもしれない。
心配、そんな柄にも無い感情が湧いてくる。
あの銃声からもう十分は経った。
伊吹も無事なんだろうか。
ずっと何も聞こえない。
実はもうとっくにやられちまってたりして……
「クソ……! 馬鹿な事考えんな!」
焦っても何も変わらない。
そう分かっていても気持ちが早る。
何故なんだ。
俺が一度に二人も心配しなきゃならんとは。
特に伊吹はたかだか一度話しただけの仲。
それも『話した』と言うよりは、言葉と言葉のぶつけ合い。
最悪のファーストコンタクトだった。
それでも助けるのは、やっぱり俺は馬鹿って事か。
ほんとに損な性格だ。
昔からそうだった。
弱い者いじめだとか、陰口だとか、そういうのが嫌いだった。
でも、俺は不器用で、解決策なんてこの腕しか無かった。
そして、気がつけば周りから誰もいなくなっていた。
礼を言ってくれる奴も、慕ってくれる奴も、最初からいなかった。
ああ、やっぱり馬鹿だな。
こうして振り返ってみると痛感する。
そもそも他人なんぞに見返りを求めるのが間違い。
途中で気づくべきなんだ。
俺があいつを助けた所で、返ってくるのはきっと罵詈雑言。
誰だって、こんな不良から手を差し伸べられたって、その手を取りたくない。
恐怖すら感じる筈だ。
助けようとして、勘違いされて、誰にも関わらず生きるのが賢い生き方だって、またそう思うんだ。
そんな未来が見えている。
多分、どうせ、また……
それでも、例えそうでも。
馬鹿な俺は何度でも間違える。
「伊吹」
だって、こんな姿を見たら全部どうでもよくなる。
気の強そうな態度も、見下した様な冷たい目つきも、まさかこの見窄らしい女が見せていたものだとは、誰も思わない。
生まれたての子鹿みたいにプルプル震えて、出来るだけ見つからない様にと肩を抑えて、民家の塀の裏に隠れていた。
その目は絶望と恐怖に支配されていて、その哀れさに、かける言葉もすぐには出て来なかった。
「……お、おい」
「ひっ……!」
俺の二回目の呼びかけでも怯えるだけでこっちを見ようとはしない。
頭を抑えて、最早逃げる事すら諦めている。
挿し詰め、俺の事を例の学ラン野郎だと思っているんだろう。
「違う……銃を持った奴じゃない。お前を助けに来てやったんだよ」
「え……?」
「ほら、隣の席の……」
言いかけた所で伊吹は初めてこちらを見る。
「……は、え? はぁ?」
「あー、まぁ色々と言いたい事もあるだろうが、とにかく離れねぇか? 死にたくはねぇだろ?」
「な、なんであんたが? ど、どうなって……!」
「……いいから行くぞ」
手を差し伸べた瞬間に、伊吹はその手を払い退ける。
予想はしていた。
「なんでアンタなんかに助けられなくちゃいけない訳!? つか、アンタがアタシの事殺そうとしたんでしょ!?」
「だから、俺じゃな……」
「うるさいっ! 殺したいなら殺せばいいじゃん! 腹いせにこんな事するんでしょ!? アタシがあんな事言ったから! 恨んでるんでしょ!?」
息巻く元気は出たみたいだが、誤解されているらしい。
どこまでも気難しい奴なんだ。
俺がどんだけ頑張ったかなんて、知る由も無いだろうに。
「なんでそうなるんだよ……よし、じゃあ俺がその殺人犯だとして、どこに銃を持ってるんだ? ポッケにもどこにも入ってないぜ? なんならここで全裸にでもなってやろうか?」
「は、はぁ……?」
「第一、見つけたら即撃つだろ。殺人犯がこんな悠長にターゲットに話しかけるか? そもそも、学ランは着てるけどよ、フードなんかついてねぇぜ?」
「フード……そ、そうだ! なんでその事知ってんの!? アタシがフードの男に襲われたって!」
「想定で言っただけだ。そういう連中に何度か絡まれててな。結局、その殺人犯が誰なのかは知らねぇけど。とにかくさぁ、こっから逃げようぜ? 俺も怖くねー訳じゃねぇんだよ。割と膝ガクガクだ」
「……な、なんで、アンタがアタシを助けんの……?」
「は?」
「そんな義理無いでしょ……」
コイツの言う通りだ。
何が悲しくて、こーんな性悪女を助けなきゃならないんだか。
それこそ、一銭の得にもならないどころか、命すら危うい。
でも、その答えは既に出ている。
「自分の命惜しくて逃げ出せる程、賢くねぇんだよ」
「……え?」
「……それに、ダチってだけで助ける奴もいるくらいだしな。まぁ俺の事を信用してねぇんならそれでいい。逃げ出せた後にたっぷり悪口言われてやる。だから今は着いてこい。おめぇにも家族とかがいるだろ? 死んじまったら俺の立つ瀬がねぇじゃねぇか」
「……家族? ばっかじゃないの」
「あ?」
「誰がアタシの心配するっての……」
「……」
家族って言葉でナーバスになってるのか?
卑屈になってんのもそれが理由か。
「……誰が心配するなんてどうでもいいだろ。元々、周りの目ぇ気にするタチか?」
「……っ! 言われなくても!」
苛立ちがトリガーになったのか、伊吹は勢いよく立ち上がる。
「アンタがアタシの事理解した様な口聞くな! そこまで言うんならアンタがなんとかしなよ。こっから逃げられるってんならね」
その目には、微かに光が戻っている様な気がした。
「誰に言ってんだぁ? 例の野郎が出てきても、この俺様がボコボコにしてやらぁ」
「……あっそ。じゃあさっさとエスコートしなよ」
「俺はさっさとしてたんだが……」
「なんか言った……?」
「別にー」
いいように使われてる感が否めないが、やっと乗り気になってくれたな。
ま、あんな辛気臭い面されるよりはよっぽどマシだ。
女って生き物はちょっとくらいイキってる方が可愛いもんだ。
いや、今の無し。
こいつに可愛い要素は皆無だった。
「で、走れんのか? 例の野郎に怪我負わされてねぇか?」
「別に。弾が左腕にかすっただけ。服が傷ついたくらいで済んだ」
「おお、ラッキーガールだな……」
「あの学ラン野郎の目が節穴ってだけでしょ?」
「……その言葉、野郎に聞かせてやりてぇぜ。ま、元気そうで何よりだ。顔に傷がつかなくて良かったな」
「な、何言っちゃってんの……心配される筋合いなんて……無いし……」
とか言いつつ、若干嬉しそうな顔に見えるのは気のせいか?
いや、こいつの照れ隠しと受け取っておくぜ。
後でイジるネタにも使えそうだしな。
ふっふっふ……
「……おーっと、そうだそうだ。忘れてたぜ」
こいつを助けるのも充分に大切な事だが、もう一つやるべき事が残っていた。
俺を手助けしてくれたあのチャラ男も呼んでやんないと拗ねちまう。
「おーーーい! 宇都見ーーー!」
「ちょっ! なにデカい声出してんの!?」
「しゃーねーだろ? 宇都見も一緒にお前の事探してくれてたんだぜ? あ、ちなみに宇都見はクラスにいたチャラ男の事な」
「ああ、アンタと一緒にアタシの事を値踏みしてたアイツね」
「そうそう……って、冗談キツいぜ〜! あ、あははは」
やっぱり聞こえていたか……
だが、こういう皮肉言えるって事は、少しは元気出たって事だよな。
さっきに比べりゃ顔色も明るくなってきた。
「……とにかくさ、早くしなよ。こんなんでバレたら意味ないでしょ」
「分かってるって、急かすなよ」
俺の声が聞こえたのか、遠くから小さく宇都見の声が聞こえてくる。
合流すれば、後はここから退散するだけだ。
「ふぅ、あいつはちゃんと無事みたいだな。ちょっと待っとけよ。あいつもすぐに来るからさ……ったく、お前もちゃんと感謝してやるんだぜ?」
「……」
「伊吹……?」
何故か浮かない顔に逆戻り。
しかめっ面は最初からずっと変わらないが、シリアス加減が少し違う。
俺が見つけた時の、怯えた風な顔だ。
宇都見の声が微かに聞こえてからだ。
「……あ、あのさ」
「お?」
「あのフードの男さ……高身長だった」
「高身長……?」
「アンタより少し大きいくらい……それで、声はちょっと爽やかだけど、低音な感じで……」
淡々と説明する伊吹に違和感を感じた。
手がかり、と言う事か。
そんな事を今になって言われてもなぁ。
「おいおい、今考えたって分かるかよ」
「いいから……! 心当たり無い……? ほら、その……アンタの知り合いとかに……!」
「はぁ……?」
ただでさえ俺に知り合いなんて少ないのに。
それに、どうして俺の知り合いなんだ?
やっぱり学ランだったから、学校の連中を怪しんでいるってのか?
第一、高身長な奴なんて腐る程いる。
それこそ宇都見だって、そんな奴に該当するんじゃないか?
「俺にそんな知り合いは……」
「おーっす! いや〜、伊吹ちゃんも見つかったじゃんかー! 大、団、円! だよなぁ!」
「あ、宇都見」
話の途中に割り込んできたのは宇都見。
いつの間にか、もう近くまで来ていたみたいだ。
「ほーんと、良かったなぁ。とんでもない銃声が聞こえたと思ったけど、かすり傷で済んで良かったよな〜…………なぁ、伊吹ちゃん」
「……っ」
伊吹は反応しなかった。
それどころか、とても顔が青ざめていた。
まるで、また例の奴に見つかってしまったかの様な反応。
「い、伊吹……?」
おかしな感じだ。
俺の事なんて嫌いだろうに、服の袖を引っ張ってくる。
そして、体を隠す様に俺の影の上に乗る。
俺が見つけてやった時みたいに、震える体で。
「あれ、どうしたんだよ伊吹ちゃん。まるでナイフで脅されてるみたいな顔しちゃってさ。あははは」
それはほんの数秒。
理解が深まる度に身の毛がよだつ。
なんで伊吹は宇都見の声が聞こえた瞬間にあんな言葉を口走ったのか。
宇都見が来てからも、明らかに態度が変わった。
そして、アイツが最後に言った、『かすり傷』と言う単語。
確かに俺は伊吹から銃弾がかすったとさっき聞いた。
でも、宇都見はその話を聞いてない。
それともう一つ。
アイツ、学ランの下にパーカーを着ていた。
「……そうか、そういう事か」
たった少しの不安は、確信に変わってしまった。
俺はどこまで馬鹿なんだと罵る前に、体は動いていた。
自然と、あの力を右腕に込めていた。
友と謳ったそいつに、その危険な力をぶつける為に。
手加減も容赦もしようがない、形容し難い力を。
「伊吹! 逃げろっ!」
「……お前、分かってたのか。風間」
初めてだ。
これを思い切り人に振るうのは。
命すら脅かすと分かっていても、使うしかないんだ。
このクソッタレな友達もどきに……!
「宇都見ぃぃぃぃ!!」
俺はまた、ミスを犯した。